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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

「新捕鯨元年」雑感

以下、下関くじら食文化を守る会会報「いさな」21号(2019年11月号)に掲載された「新捕鯨元年雑感」なるエッセイを紹介します。


 昔母親に誘われて「国語元年」という芝居を観た記憶がある。それは故井上ひさしさんが主宰した劇団「こまつ座」の舞台。明治の中央集権国家建設において「お国なまり(方言)」を放置したままでは兵隊間の意思疎通さえままならぬ。そこで「共通語=国語」を創造しようとする抱腹絶倒の物語であった。ネットで調べたところ、この舞台の初演は昭和61年の冬。当時母親は50代前半という計算となり、今の僕よりも若かったことになる。僕の方は日本水産㈱に入社して2年目。当時は家業の実情には疎かったが、今想えばあの頃我が両親は昭和の商業捕鯨の最終局面を生きていたことになる。

 あれより茫茫30余年。平成30年末に日本国政府は官房長官談話の形で国際捕鯨取締役条約からの脱退と翌7月からの商業捕鯨の再開を表明。翌5月1日には元号が令和と改められ、期せずして令和元年は「商業捕鯨元年」ということになった。そんなこともあってか、今年は報道機関からの照会が多い。沿岸捕鯨の過去の経緯と現況、さらに近い将来どうなるのか?そういったことを僕なりに説明するのだが、記者さんとの会話がどうもスムーズに流れない。この違和感はどこから来るのだろうか?

 今年7月に水産庁が発表した鯨種毎の捕獲枠、加えて日本の捕鯨史や戦後の経済史を俯瞰すれば、今回の「商業捕鯨再開」は単に「昭和に戻る」という様なものでないことは明らかだ。捕鯨産業の規模は当時と比較にならない程に縮小し、鯨肉の供給量は激減している。さらに日本人の消費する食品の供給・需要構造は大きく変貌し、鯨肉を身近な食べ物と認識する人々の数も激減している。

 昭和と令和の捕鯨の共通点は「商業捕鯨」という言葉であろうか?が、「商業捕鯨」という言葉は国際捕鯨取締条約の記述には見当たらない。ネットで調べてみたところ、1972年の国連人間環境会議において「商業捕鯨の10年間モラトリアム(一時停止)」という形で使われている。その後IWC(国際捕鯨委員会)が条約の付表を修正する形で定義した「先住民生存捕鯨」や、今年の6月迄日本が鯨類資源管理に必要な科学情報の収集を目的に行ってきた捕獲調査(同条約8条の「科学調査目的の特別許可」)と区別する意図で、この「商業捕鯨」という言葉が使われる様になったというのが真相の様だ。

 しかし、僕が働いている沿岸小型捕鯨の業界は、この「商業捕鯨」という言葉には複雑な感情を持っている。そもそも、これは「商業漁業」という言葉が意味をなさないのと同様に不可解な言葉だと思う。加えて僕等はIWCに対し長年ミンククジラを対象とした沿岸捕鯨の再開を要求してきたが、「日本の沿岸捕鯨には商業性がある」ことを理由にことごとく要求を否定されてきた歴史があるのだ。また昨年のIWC総会での反捕鯨国の立場は「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)の解除は(無条件に)認められない」というものであった。こういった条約用語を使った掛け合いは、世間の一般常識からすると「屁理屈」に属するものであって、その種の言葉の濫用は物事の平易な理解を阻害するものに他ならないだろう。またプロ捕鯨側とアンチ捕鯨側が双方の立場を擁護する意図から発せられた数々の理屈は将に玉石混交の様相を呈している。時にはその「石」の部分が人々の心に残り、独自の「捕鯨観」が形成される。記者さんとの会話において感じた「違和感」はこれに由来するではないか?

 という訳で、すっかり前置きが長くなってしまい恐縮ですが、まずはこの令和元年を「商業捕鯨元年」ではなく、敢えて「新捕鯨元年」と名付けたいと思います。その上で、戦後の経済史等と関連づけながら、令和の新しい捕鯨・鯨食文化の有り方を考察してみたいと思います。

 まずは供給量について。IWCを脱退したのだから、鯨を自由に獲れる、当然供給量は増えると理解している人々は結構多いのではないかと思う。が、残念ながら(?)短期的にはさにあらず。日本国政府は「IWCに留まっていても商業捕鯨モラトリアムが解除される見込みはない」との判断に拠りIWCを脱退したが、IWCの採択した「捕獲枠の計算方式」を順守することを表明している。また操業海区は日本の200海里内に限定され、令和元年7月発表のヒゲクジラの捕獲枠を年間ベースに変換した数字は、従前の捕獲調査の目標標本数と比較では、大型のイワシクジラは激減、それを埋め合わせる形でニタリクジラの大幅に増えたものの、ミンククジラは微減。仮に日本の200海里以内の供給量を概ね昨年並みとしても、南極海のミンククジラ333頭の捕獲調査部分が全量抜け落ちることとなり、供給量はむしろ平成30年比減少するのが実情である。

 一方でこの「供給量の減少」という事実をもって「昨年末の政府の決定は国益に反する」と批判する論説が散見されたが、これは事の本質を見誤った議論であろう。僕自身今夏7月1日から釧路でミンククジラ漁に従事し生鮮肉の販売を担当したが、市場の反応は概ね良好であった。確かに報道機関が大々的に取り上げた影響があったことは間違いない。しかし市場の関係者、さらには一般の消費者にとっても、(必要があって合法的にしてきたこととは言え)「捕獲調査の副産物としての鯨肉」よりも「食べて貰う為に獲ってきた鯨の肉」という方が余程わかりやすいことは明らかだ。また脱退により南極海での捕獲調査は終了するが、引き続き目視調査を実施し、南極海の鯨類資源状況をモニターしていく由。戦後の食糧不足の解消に大きな役割を果たした当該資源の状況の「ブラックボックス化」を懸念していたが、その問題への対応もなされている。政府の捕鯨に関する基本方針はIWC脱退前も後も何ら変わっていないが、今回の政府の決断は「鯨は食べていい」という明確なメッセージを送ってくれた。僕はそう感じている。捕獲枠は未だ十分なものとは言えないが、今後の鯨類資源量調査の継続・工夫に拠り、資源量推定値の不確実性の幅は縮小し、将来的には捕獲枠は徐々に増えていくだろう。僕はそう期待している。
 
 次にその供給量とも関連するが、複数の報道機関の記者の「鯨は庶民の味に戻るか?」という質問には正直当惑した。僕自身は小さな捕鯨船1隻を運営する零細会社を経営しているに過ぎず、自分出来ることは極めて限られている。またマクロで見れば鯨肉の供給量は短期的にはむしろ減少する訳で、需要が減って在庫水準の高い部位はあるものの、「庶民の味=低価格(?)」が実現するとは考えにくいからだ。尤も僕自身「庶民」であって、「庶民の買えない様な高価な食品」というイメージには抵抗がある。でも「庶民の味」とは一体何なのであろうか?例えば豚肉や鶏肉は「庶民の食べ物」であることは明らかだ。子供の頃の記憶(概ね50年前)では、豚のばら肉(当時は三枚肉と呼んでいた)の価格は100gあたり100円程度であった。でもその価格は50年後の今でも概ね同じレベルだ。鶏肉や鶏卵に至っては、むしろ今の価格の方が安い位だ。この事実は何を意味するか?豚や鳥を生産する畜産業界はここ50年の間、技術革新による生産規模の拡大が進め、かかる低価格でも存続できるだけの経済基盤を整備してきた。そう理解するのが妥当であろう。

 一方で捕鯨業界はどうか?鯨の捕獲方法は砲手が捕鯨砲で銛を海面に浮かぶ鯨体に当てる方式であり、極端な言い方をすれば江戸期の古式捕鯨の銛打ちの(人間の)筋力が、火薬のエネルギーに置き換わったに過ぎないとも言えそうだ。解体技術の方もウインチ等の動力を使えることと氷の使用や凍結が出来ることを除けば基本的には同じ。捕鯨産業の規模が大幅に縮小した昨今、捕獲・解体というプロセスに抜本的な技術革新が起こることは考えにくい。加えて人々の平均月収は50年前と比較すれば数倍にはなっていることは間違いない。そもそも豚肉並・鶏肉並の価格でこの仕事を存続させるのは無理があるし、それは魚介類全般にも言えることであろう。

 そんなことをつらつら考えていたところ、大阪の友人から電話が入った。「百貨店で生鮮のミンクが売っていましたよ!」と。その価格は百貨店ということもあるが、相当な高値であった。僕の方から「庶民の味」云々について聞くと、「そうですね、ギリギリ食べられる値段じゃないですか。マグロがいくら、サーモンがいくら、といったところですからね。」とのことであった。なるほど、確かに日本人が毎日安価な豚肉や鶏肉や鶏卵ばかりを食べている訳ではないのだ。逆に僕はかつて母親が夕食にハンバーグらしきものを調理しているのを見てほくそ笑み、口に入れてそれが鯖のハンバーグであることに愕然とした世代。根っこの部分で、かつての豚肉・鶏肉・鶏卵に対する強い渇望感が自身の食べ物に対する価値観を形成しており、それは一般的価値観からは乖離しているのかもしれない。また大日本水産会で魚食普及活動に従事している友人は「魚の価格を豚や鳥と比べることはやめました。最近は美味しいお米やパンを競争相手と意識しています。」と言っていた。そうですね、日本人の家計の消費構造全体も、食費の内訳も、この50年間、或いは平成30年の間に大きく変化したことは間違いなし。人に拠って価値の置き方は多様であって、その多様な価値観が供給量や情報(イメージ)と相俟って市場を動かしているとしか言い様がないのかと思う。

 という訳でこの「庶民の味」に関する考察はどうも明快さを欠くものとなってしまった。「新捕鯨元年」を迎え、今後僕ら捕鯨者はどんな心構えをもって働いていったらいいのか?それはやはり「より多くのお客さんと価値を共有出来るような美味しい食べ物(鯨肉)を供給し続けること」に尽きるであろう。紆余曲折はあったが、江戸時代初期から400余年続いている日本人と鯨という巨大な生き物との関係。まずは与えられた捕獲枠を消化し(要するに鯨を獲り)、それを合理的に解体し、鯨体を構成するいろいろな部位を(時には鯨食の歴史書を紐解きながら)自分なりに美味しく食べる努力を続ける。そしてそれをお客さんに提供し、食べ物としての価値を共有できる様に務める。そんな地道な仕事が「捕鯨を守る」ことであり、かつ「(生活を)鯨に守って貰うこと」であろう。そう考えている。以上

「こだわり」の構造

 前回少し書いたカルロス・ゴーン氏の記者会見は、彼の「明るい悩み」の披露宴の様相であった模様。ニュースを伝える方は英国皇室のゴシップと同様の扱い?具体的な日本からの違法な出国方法に記者の関心が集まった由です。彼自身はとにかく日本の検察・裁判から自由になれたことが素直に嬉しかったのでしょう。そんな印象を受けました。披露宴には沢山の人々が集まってくれたし。

 米国によるイランの司令官の殺戮に対するイランの報復攻撃の報。国際社会に緊張が走りましたが、米国側の被害はほぼ皆無と発表。とりあえず最悪の「報復の連鎖」に陥ることは無さそうです。イランが事前にイラク政府に攻撃場所を明示したとの報道もあり、「イラン政府の大人の対応」を評価する識者が多い一方、米国の攻撃はいかにも評判が悪い。トランプ政権内の謎の人間関係が引き起こした「突発的な人災」との評価が主流。やはり「権力は蜜の味」なのか?この世の中、「個の自由」と「公共性」のバランスが前者に傾き、それが極端に「自己を肥大化させた人間」を量産している。そんな印象が強いです。

 最近にどうも鼻につく「こだわり」という言葉。本来のその意味は、「心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる」といったネガテイブなものです。そう言えば、阿川佐和子さんがお父上(阿川弘之)より、「本来ネガテイブな言葉なので、使い方に注意する様に」言われていたことを、彼女のエッセイで読んだ記憶があります。一方ネットで検索すると「こだわりの何々」という商品説明がたくさん出てくる。この時代は「心が何かにとらわれて、自由に考えることができない」人々が製造したものが、高く評価されるのかしら?その構造を食品の世界で考察してみましょう。

 戦後日本の「食べ物の世界」の変化のスピードは驚愕に値します。自動化された工場で規格化された食品が大量に生産される。またグローバル化に拠り、世界の各地から多様な原料が調達される。食品の規格化・大量生産化は、無論従前の食品に質的に近似し、かつ高い生産効率という条件で開発・製造されるので、(大量消費が前提となるが)その原価は低い。その低い原価=安値が故に、それは売場において、従前の食品と置き換わる。置き換わって売場に生き残った食品も、引き続き価格競争・品質競争にさらされる。質や原価を巡って、そんな「置き換え」が短期間に何度も起こるし、その「置き換え」は永続する。一般にデフレ経済下において人々は「節約(要するに出来るだけお金を使わない)」行動を採る傾向が強まり、特に消費財の中でも最も身近かつ日々発生する食品への支出を抑制する方向に動く。故に、売り場での「置き換え」は、「より安いもの」が「高いもの」を駆逐することとなりやすい。

 一方でそんな大規模化・自動化が進む食品工場の世界の外側に生きる生産者もたくさん存在した。経済社会の流れに合わせて立派な工場を建てられる人々はむしろ少数派である。ほとんどの場合は従前の食品を従前の方法で生産し続けるが、上述の経済構造の中で仕事を続けていくことはなかなか大変である。故に零細な家業の継承がなされず、廃業する事例は多い。そもそも「こだわる」意志は無くても、仕事を続けるのであれば、(従前の生産方法に)こだわらざるを得ないのだ。

 一方で零細故の強みもない訳ではない。生産規模が小さければ、無論その総生産コストも小さい。加えて上述の売り場での度重なる「(より安いものへの)置き換え」の結果、現在売られている食品は、従前の食品の「近似」ではなく、「別物」への極端な質的乖離が起きていることがあるのだ。故に従前の方法で製造された食品が「驚く程に美味しい!」、「こだわりの食品」と再評価される。それは相対的には高値で売れ、零細ながら仕事として続けていけるだけの収入を確保出来ることもあるだろう。最近ではインターネットの普及により消費者は生産者の発信する情報に容易にアクセスできる様になり、昔ながらの仕様の食品に対する市場規模が拡大。それは「こだわる意志はなかったが、(受動的に)こだわらざるを得なかった」生産者に自信を与え、前向きな生産者はさらに己が製造技術を磨き、自ら「こだわりの何々」といった情報発信をすることが多くなってきた。

 これは当社も含めた田舎の零細な生産者にとっては朗報ではある。しかし、時に「こだわり」という部分が極端な形で強調されることや、(すっかりマスコミに乗せられて自己を肥大化させた)生産者や調理人の傲岸不遜な態度にはうんざりさせられることが多いのも事実だ。本来「こだわり」は主張する様なものではない。人から聞かれた際に、「僕はこれがいいと思っている」といった表現が丁度いいし、美味しいそうだと思うのだが、、、、。それが現代の「こだわり」の構造であろう。

 そして、かく言う当社外房捕鯨。その経営者として「僕は一体何をしてきたのだろう?」と自問します。そうですね、捕鯨という仕事から足を洗おうと考えたことはなかった。鯨を獲り、鯨を解体し、それを原料のまま或いは加工して販売する仕事をしている内に、茫々26年が過ぎてしまった。経営者自身がそんな感覚ですから、恥かしながら当社もご多分に洩れず「(受動的に)捕鯨の仕事にこだわらざるを得なかった」会社と言えそうです。令和元年7月に、30余年ぶりに再開されたミンククジラを対象とした商業捕鯨。実質的には今年令和2年が「新捕鯨元年」となります。さて、この1年をどう生きようか?長年に渡って不毛な国際的な論争を繰り返してきたこの仕事、多くの人々が多種多様な「こだわり」を持っているが、僕個人はそんな「こだわり」から極力自由に、「消費者に食べ物を提供する仕事」を、真面目にやっていきたいと考えています。戦後の遠洋捕鯨業の様な「日本人の食生活の向上」に資する程の力は持ち合わせていないが、「かつて存在していた美味しい食べ物が、今でもとりあえずはここに存在する」様に仕向けることは、それなりの価値がある様に思えるのです。

 という訳で「こだわり」の話から期せずして自分の仕事についてまで書く破目に陥りましたが、とりあえずは書くことは精神衛生上望ましいことです。年始の米国への報復で「男を上げた(?)」イランですが、自国軍によるウクライナ機撃墜を隠蔽していたことは非常にまずいですね。176人もの罪なき人々の死は平時では考えられない規模の被害です。「運が悪かった」では済まされないし、それを(短期間ながらも)隠蔽したことで、その行為は益々おぞましいものに写ります。これもイラン軍の「こだわり」のなせることか?カルロス・ゴーンによる「こだわりの日本脱出行」、トランプ政権による「こだわりのイラン攻撃」等々、困ったことは多いが、せめてこの房州の静かな冬の日々、自己都合にこだわらず、ぼちぼちと平和に生活していきたいものです。それでは。

正月雑感

 早5日。長い年末年始の休業も今日でおしまい。明日から普通の生活に戻ります。正月は専ら歩こうかと考えていたが、気が乗らず少し歩く程度で終わった。箱根駅伝の往路5区の狂騒は、今年は穏やかなものになった。敢えて正月に観戦せねばならぬ程のものではなかろう。日常が非日常になる正月。日常の場にいてはうまく過ごすのは難しい様だ。来年はしっかり準備をして転地をしようと思う。

 年末に日本にて保釈中のカルロス・ゴーン被告の違法な出国のニュースに接した。年明けの海外メデイアの報道は概ね彼の行動に対して批判的であった。そりゃあそうですよねえ、社会のもたらす富を一身に集めているこの御仁は、己が(不快なれど、人権には一定の配慮がなされている)拘留をもたらした日本の司法制度を批判し、結局「悪法も法なり」という「自己都合を抑制する立場」を採らなかった。グローバル化・無国籍化が産み落とした「著しく自己を肥大化させた人物」と言えるだろう。尤もその「自己の肥大化」が人々を死地に赴かせるものではない。「巨大な詐欺師」は比較的無害だ。巨額の資産を持っているのだから、何処かで安逸な余生を送るのであろう。AFPだったか、「普段抑制的な日本のメデイアは」という表現を使っていたのが面白かった。僕もそうだが、日本のプレスは海外メデイアの報道をよく読んで己の主張を相対化させることが多い様だ。まあ、あまり格好のいいことではないのかもしれないけど、健全とは言えそうですね。

 そして年明けには米国の(イラク国内にいた)イラン革命防衛隊の司令官等を空爆で殺戮したニュースが飛び込む。戦闘のない状態を常態とみなしている僕らに感覚からすると、米国とイランが、第三国のイラク国内にてドンパチやっていること自体が異常である。今朝のニュースによるとイラクでは「米国による国家主権の侵害」と怒りの声があがっている由。そりゃあそうだ!確かにイラク国内では外国政府の支援を受けた多様な勢力がドンパチやる複雑怪奇な様相を呈している様だが、原則は原則、言うべきことは言わねばならぬ。米国が自己都合でイラク戦争を起こした部分は間違いなくある訳だし、一般に終戦後のケアーは極めて杜撰なものであったとされる。介入を行った以上、自らの価値観を現地の人々と共有する形で新しい社会の建設に協力するのが筋というものであろう。

 が、トランプ以降の米国の外交政策は極めてわかりにくい。一般に米国の外交政策は東部の名門校卒の官僚(但し官・産・学・軍を自由に移動する存在)によって牛耳られているとされる。故に大統領が変わっても米国外交は極端な方向に振れないものとされてきた。しかし民主主義体制において、原則的には選挙で選ばれた大統領が官僚組織を統べる訳で、「外交なんかには全く興味はないが、いずれ死を迎える我が身、冥土の土産にビジネスマンとして培った交渉能力を使って米国の政治を動かしてみたい」なんて考えている人物が大統領に選出され、気まぐれな政策が敢行されないとも言い切れないのだ。これもグローバル化による米国社会の格差の拡大によってもたらされた「国民の分断」が、かくも自己を肥大化させて人物を大統領という地位に押し上げたものと言えるかもしれない。ただこの「自己の肥大化」は多くの人々を死に追い込む可能性が大きい。「地球上に生きる人々の不幸の量の極小化」を肝に命じて欲しいものである。

 とまあ、とりあえず深い考えも何の脈絡なく、社会復帰なる自己都合目的で、時事問題絡みの感想を書いてしまいました。今日から鋭意働きます。今年もよろしくお願いします。以上

大晦日雑感

 大晦日は典型的な冬型。シベリヤの寒気が入り北日本は大荒れの予報であった。一方で当地は「夜来風雨の声」であったが、朝には天候は回復。温暖な朝を迎えた。今日は山の集落へ向かい、そこから林道を歩いて平塚山を越え、旧丸山町の山間の集落を巡りつつ南三原駅まで歩いた。

 が、やたらに暑い。大晦日とは思えぬ。平塚山はかつての遠足のルート。既視感のある風景になつかしさを覚える。斜面に家屋が点在し、全体で一集落をなしている感覚である。ここはかつての「峯岡の牧」。斜面を利用して馬や飼育し、牛乳の消費が始まる明治期に酪農産業が勃興したものと思われる。

 山を越えて珠師ケ谷集落に向かう。山間の小さな集落の佇まいは何とも美しい。こうして自分の足で歩かなければ一生見ることのない風景である。「遠くに行きたい!」と思うことは多いが、何のことはない、近場にて新鮮にしてゆかしき風景を愉しめるではないか!山奥の集落は概して家屋が寄り添う様に隣接している。「寄り添う」必要があったのであろう。前谷・割田・釜滝といった地名にもこころが引かれる。正月は歩いて過ごそう!

 普段ドライブで常用している道に出る。しばらく歩くと既視感のある家屋が、、、S先生のお宅である。大晦日の突然の訪問というのも憚られたが敢えてチャイムを鳴らす。やはりこういった場面での再会は愉しい。その後地図と磁石を頼りに南三原駅を目指すが、遠回りを避ける様に丘を登っていけば、立派なお寺がある。こんな場所も歩かねば一生行かない場所であろう。

 紆余曲折を経て、ようやく南三原駅へ。和田浦へ向かう電車までは1時間弱の時間がある。駅前の食堂にてビールと餃子を注文。歩いた後の餃子とビールは格別である。うっかり時間がなくなり、南三原駅のホームへ走る破目になった。電車で和田浦駅へ。約4時間の小さな旅であった。

 という訳でなかなか充実した大晦日となった。そして正月も同じように過ごそうと思いきや、なかなかうまくいかない。今日はもう3日である。昨晩は制癌剤と思われる緑色の薬を大量に飲んでいる場面等の悪夢にうなされ、絶望的な寝起き。散々であった。「働かねばならぬ」という強迫観念から自由になれない故か、年末年始のまとまった休日はかえって苦痛である。現況ではやはり、何時もの「歩いて働く生活」が何よりも精神衛生上好ましい様だ。でもこうして書くことで、気持ちが落ち着いてくる面がありますね。何だか「愉しくない」正月となってしまいましたが、残りは3日弱。我がこころの安寧も求めて、まあそう悲観せずに、ぼちぼちと過ごして参りましょう。次回の年末年始は「転地」をしようか、とも考えています。それでは。以上、1月3日にようやく「大晦日雑感」を書き終え、これからアップすることとなりました。まあ、それはそれでいいのでしょう。精神状態の向上の為に、これから別途「正月雑感」を書かせて貰うかもしれません。それでは。

年の瀬雑感―2

 昨日は終日自宅にいたが、我がこころは鬱々として愉しまず。一昨日は年内の仕事納めで束の間の解放された気分を味わっていたが、昨日は秋以来抱えてきた憂鬱な気分が頭をもたげてきた様だ。今日は定置網の仕事納め。とりあえず港に顔を出した後、捕鯨の事務所に入る。想えばここ数年無邪気に楽しい年末年始を味わった試しがない。ハリーポッターの物語で使われた「移動キー」の様なものでもあれば、中部山岳の雪降る白樺の森にでも瞬時移動するのだが、混雑が予想される年末の交通機関と宿の両方の予約を敢行する元気はない。こんな時は我が街を「歩く」に限るのだが、生憎今朝は雨。とりあえず何か書いてみよう。そんな気になった。

 一昨晩は近所の医院の次男坊A君の来訪を受けた。彼は思うところがあって、官立の理学部から別の官立の医学部に移り、今では癌細胞の研究に明け暮れる生活をしている。A君とは長い間会っていなかったので、思わず「大きくなったねえ!」と叫んでしまった。が、彼の研究内容についての詳細な解説に大いに感動すると共に、時の流れを実感した。彼は未だ学部の4年生なのだが、「職場」と呼ぶにふさわしい人間関係の中を生きており、その「職場」の説明がこれまた圧巻であった。将に「お元気でご活躍の由、何より!」という感覚ではあるが、そんな気力と知力と体力に溢れる彼が「彼なりの大きな不安」を抱えている様にも感じられた。

 「自己実現」。これは平成の世を象徴する言葉と言えるかもしれない。田舎生まれの僕の感覚では、昭和は葡萄の房の様に繋がって生きていた人々が徐々にその束縛から解放されていった時代であった。「自由である個」に対しては、「葡萄の房」の外側に存在する「遠慮のない市場経済なるドグマ」により、必然的に「個の力量」が問われる。「個の内なる声」に従順に従うことが是とされている様に思う。しかるにその個の「内なる声」に導かれた多種多様な人々は、己が人生に対しどの様な実感を持っているのであろうか?

 人間は誕生した時から、「他者(最初は母親)との関係」において生きる。学説に拠ると幼児は生後9-12月頃に「自己と他者(母親等)と他の事物」を明確に区別して認識し、他者に対して自己なりの働きかけをするものらしい。そもそもその「個の内なる声」はかなりの割合で、「他者との関係」において形成されてきたことは間違いのないところだろう。加えて「個の内なる声」に導かれて「自己実現」をする職場なる「場所」。それは複数の人間から形成されている訳で、本質的にはかつて己が繋がっていた「葡萄の房」と変わりはない。そもそも人間はその「葡萄の房」に繋がることで、幼少時に感じた「安堵感」を求める存在なのではないか?想えば、僕自身も昔、社会人となって約10年の間、「葡萄の房」に繋がらせて貰って生きてきた、結構愉快に生かせて貰った、という実感がある。尤も個が「葡萄の房」に対して無意識に期待するものと、「葡萄の房」が個に求めるものの間には常にギャップが存在するものではあろうが。

 とまあ、つらつらと考えながら作文をして参りましたが、実はその「葡萄の房」に繋がらせて貰えること自体、有難いことですね。でも継続してそうさせて貰うには、自分自身の行動・働きかけの質と量が問われるものです。そうですね、この世の中は甘くはない。でも人間という生き物の性質上、そんなに厳しいものであっては困りますね。この年末年始、ぼちぼちと働きながら、考えていきましょう。本当は雪を見に、雪の中を散歩しに行きたい気持ちもあるんですが、その辺は時々刻々と変わる「我が内なる声」に従いましょう。

 ここまで書いて少し気が晴れました。雨は小降りとなっています。天気図は良くないが、午後には雨は上がりそうです。それでは。

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