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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

捕鯨問題遺聞

  昨年末は日本政府のIWCからの脱退の表明があり、僕はその前後数日プレス対応に追われました。また今回の政府の表明に関し、僕なりの所感を記録しておこうと思い立ち、「日本国政府のIWCからの脱退報道に接して」という文章を年始に書き上げ、このブログにアップしました。
 昨年末の「喧騒」は過ぎましたが、年明けもこの関連の報道に接すること多く、引き続きそれらの記事に妙な違和感を覚えてきました。僕自身はこの問題の「当事者」という意識で報道記事を読みますが、僕の「捕鯨者としての立場」や「感覚・思考」はこの世の中においては超少数派であることは(おかしなことではあるが)紛れもない事実である様に思います。そんな訳で、今日は今回様々な報道について僕自身が感じてきた違和感を「捕鯨問題遺聞(=一般によく知られていないこと)」と題して書いてみたいと思います。興味をお持ちの方は以下の「続きを読む」をクリックして読んで下さい。

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新年明けましておめでとうございます。

 新年明けましておめでとうございます。年末年始は怠惰な生活を送っておりましたが、日本のIWC脱退に関して一言書いておかねばならぬ、という義務感の様なものを抱えておりました。満足できるようなものは書けなかったが、とりあえずは2018年末から2019年年始に書いた個人的な記録として、当ブログへのアップを完了させたところです。ぼちぼちと、でも自分なり頑張って働いていきたいと存じます。今年もよろしくお願い申し上げます。以上

日本国政府のIWCからの脱退報道に接して

 去る12月26日、日本国政府が国際捕鯨取締条約(その条約の運営機関であるIWC)から脱退することを決定した旨が報道されました。当社には24日頃からプレスからの照会が相次ぎ、「今後どうなるのか?」等聞かれましたが、とりあえずは「仮定に基づく推論を展開しても意味はないでしょう。」として発言を控えてきました。しかし流石に26日は当事者として覚悟を固め、プレスの取材に対し自分なりに丁寧に説明をしてきたつもりです。しかし今回のプレスの取材姿勢は「多様な人々の意見」を紹介することを重視する傾向が強く、(致し方ないこととは言え)僕の真意は報道の形では伝わらなかった様に感じています。加えて、新聞の社説などの論説には違和感を覚えることも多かった。現況では今後の具体的な操業がどうなるものか、わからないことも多い。が、来年の7月1日付で日本はIWCから脱退することが決まった訳で、とりあえずは今回の政府の決定に関する僕自身の感想の様なものをこのブログに示す意味はあるだろう。そう考えて今回の報道に関する所感を書いてみたいと思います。なお、不本意ながら随分と冗長なものになってしまいましたので、ご興味のある方は「続きを読む」をクリックしてお読み下さい。

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ある急がぬ旅の記録

 昨日月曜に宮城で仕事があり、先週土曜日に房州発宮城の白石へ赴き、旧友と一献。翌日曜に鮎川へ向かいました。急ぐ旅ではなし、白石発8時半の鈍行列車で仙台へ。仙台にて快速の石巻行に乗り換えたが、結構乗客が多い中で、ボックスシートが丸々空いている。そこには帽子と食べ物と飲み物のゴミが無造作に置かれている。とりあえずそこに座る。電車は30分遅れて出発。結局その帽子は忘れ物であり、ゴミは放置されていたものと判断し、ゴミを片付けてボックスシートを一人で独占して、車窓からの風景を愉しむ。石巻から石巻線に乗り換え、渡波なる駅から鮎川行のバスに乗車する予定だが、どうもそのバスには間に合いそうもない。車掌の巡回もないので、忘れ物の帽子を石巻駅で届ければいいだろう。ということで石巻駅で下車したら、石巻線の電車が待っている由。帽子を持ったまま、2両編成の電車に急ぎ乗車。結構乗客がいるのだが、またまたボックスシートひとつが丸々空いている。そこにはノートと筆箱が置いてある。電車は早々に発車。おやおや、これも忘れ物だ!ノートには持ち主の名前が書いてある。じゃあ、これらを渡波駅に届けよう。でも、この帽子は仙台ー石巻間の電車での忘れ物、ノートと筆箱は石巻ー渡波間の忘れ物ということで、少々厄介な説明をせねばならぬ。待てよ、この(石巻線の)電車は、(遅れた)仙台・石巻間の快速電車の到着を待っていてくれた。渡波には11時頃には到着しそうだ。鮎川行のバスの発車時刻は10:56。ひょっとして遅れた電車の到着を待っていてくれたりして?そのバスを逃すと次は2時間後だ。渡波駅でゆっくりと2種類の忘れ物の説明をしている暇は無さそうだ。そこで車内にいた高校生と思しき男子生徒にその忘れ物を託すこととした。こっちが仙台発の電車、こっちがこの電車、とその男子生徒に厄介な説明をして(ごめんなさい!)、渡波駅下車。残念ながらバスは待ってはくれず、定刻に出発した模様。渡波駅、そして駅前の蕎麦屋さんで約2時間読書をして過ごす。12:56発のバスで鮎川へ。道路が悪いので結構揺れる。まあそれが路線バスらしいとも言えるが。鮎川港着は14時頃。港付近では大きな工事が進行中で、春に歩いた道を使えない。適当に道を選んで、勝手知りたる我が春の散歩道を、金華山前の定宿まで約6km1時間強を歩く。さすがに広葉樹は落葉しているが、紫色の実からムラサキシキブという植物を確認したり、落葉した木々の梢に鳥の巣を見つけたりと、それなりの発見があった。やはり同じ道を四季を通じて歩くことはいいものだ。途中で宿の主人の奥さんに遭遇。、わざわざ車を止めて声を掛けてくれる。尤も僕が散歩魔ということは彼女もよくご存知で、さっと挨拶をして別れる。15時過ぎに無事宿に到着した。

 白石駅8時半発、宿着15時過ぎということだから、宮城県内を約7時間の旅をしたことになる。急がない旅というのはなかなかいいものだ。また僕自身も、無論状況次第ではあるが、時にはそういった旅を愉しめる境地に達したとも言えるだろう。犬も歩けば棒に当たる。ゆったりと旅をしていれば、いくつかのささやかな出来事に遭遇する訳で、それを受け入れる心持ちさえあれば結構それを愉しめるものだと思う。白石ー仙台間であったもうひとつの出来事。途中で二人の20歳前後の遺伝性精神疾患を持った子供さんを連れたお母さん(都合3人)が僕のいたボックスシートに座った。お兄さんの方はついつい無分別に周囲のものを手で触る癖があるので、お母さんは公共の交通機関においては常にその対応に追われているらしい。きっちり周囲の人々に説明しないとまずい、という意識をお持ちの様だ。お母さんの説明を聞いて、「大変ですね。」等々相槌を打っている内に、お母さんは日々の生活等について話し始める。まもなく仙台到着のアナウンスが流れ、「愚痴ばかり言ってしまって申し訳ありません。こうしてお話しして気持ちの上で助けて貰っているのです。」「大変ですね。お体に気を付けて、頑張って下さいね。」といった会話をして別れる。

 やはり旅はいいものですね!因みに昨日帰路の新幹線では後部に人がいなかったので、リクラインを使いましたが、その後に前の座席に若い夫婦が着席。「どうぞ、遠慮なくリクラインをお使い下さい。」と声を掛けました。以上長い長い無駄話でした。それでは。

すっかり寒くなりました。

 すっかり寒くなりました。天気図に拠ると移動性の高気圧と低気圧が交互に入れ替わる状況が続いています。西高東低の「冬型」という感じではないが、大陸より寒気が流れ込んでいる模様ですね。こんな時になると俄かに気になるのが、滋賀県(琵琶)湖北で雪が積もったかどうか、ということ。震災前に大阪の造船所を訪問した後に、木之本・高月・余呉といった雪に覆われた湖北の集落を歩いたことがあった。また湖北の深い雪の中を観音様巡りをしたい、という気持ちがわいてきます。因みに今日の彦根は天気予報は雨。初めて年明けに訪れた長浜は豪雪であったが、あの年は雪の当たり年だったのかもしれません。

 テレビではノーベル賞の授賞式の話題で持ち切りですね。科学者の皆さんの受賞に到るまでの出来事(経験)は何とも面白いものが多いですね。また、かくも素晴らしい社会貢献をされている受賞者が、(特に日本人の場合は)結構つつましい生活をされている方が多いことも魅力的です。それにしても、このノーベル賞財団という、科学の世界で最も権威ある財団がスウェーデンという国にあるのは、偶然の所産とは言え、何とも素晴らしいことです。

 スウェーデンは北欧では大国ですが、欧州内では決して大国とは言えない。加えて現況の国際秩序を決定づけた第二次大戦では中立を貫いた国。当時ノルウェー・デンマークはドイツに占領され、その西方のフェロー諸島やアイスランドは英国の支配下に置かれ、フィンランドはドイツとソ連の狭間を彷徨っていた感があり、その点からしてもスウェーデンという国の特異性が際立ちます。故に国際社会の勢力関係からある程度距離を保った立場からノーベル財団の運営が可能になるし、唯一ノルウェーのオスロで式典が開催される平和賞も含め、時には大国の嫌がる様な決定をして、国際社会の喝采を浴びる。面白いですね。そして、実はこのノーベルという人の成功は当時開発されたノルウェー式捕鯨の賜物でもあった様です。

 ノーベルの活躍した19世紀末期、スウェーデンとノルウェーは同君連合、即ち同じ君主を戴く連合国でした。ノーベルはダイナマイトを発明しますが、そのダイナマイトの原料は鯨油でした。


(無論石油からもニトログリセリンを精製することは可能ですが、石油の発見は19世紀後半に米国のペンシルバニア州で発見され、米国の鯨油関係者によって精製されました。20世紀初頭にテキサスで大油田が発見され、第一次大戦までは米国が世界で唯一の石油産出国であった訳でして、それ以前の欧州への油脂の供給の大半は捕鯨によるものでした。)

 同じく19世紀後半にスベン・フォインなるノルウェー人が現代でも使われているノルウェー式捕鯨の技術(動力船+捕鯨砲+スリップウェイ)を開発し、捕鯨業界に技術革新をもたらします。その後、ノルウェーは鯨油を供給し、ノーベルはそれを原料にダイナマイトを製造する。捕鯨及びダイナマイト製造に関する特許も両国が独占し、やがてノルウェーは大型鯨の減った北極海での操業を断念し、遥か南の南極海(北極=>南極ということで、本当に遥かですね!)の捕鯨に着手します。

 何年前のことであったか、米国の加州モントレーを旅しましたが、その海事関連の歴史には常にノルウェー人の影が垣間見れる。当時そんな実感を得ました。こんな風に世界史の一場面を考えることはとても愉しいものですね。それでは。






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