外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

羅臼沖の捕鯨船と観光船の遭遇事件の続報

表示事件の続報ということで、現況を報告しましょう。以下のヤフー(毎日)の記事に関し、前回の「今年のツチ鯨漁は無事終了しました。――」の末尾にてコメントさせていただきました。その続報です。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2000825-00000039-mai-soci


 最終的に、今回の事件は観光船側に非があることが現地の当事者間で確認され、今後捕鯨船と観光船が共存していく方向をめざし、来年の漁期前に捕鯨船・観光船が会合を持つ方向となった様です。この事件で捕鯨船側も観光船側も、そして捕殺の場面を見せられて気分が悪くなった乗客も、こころに傷を負ったものと思われますが、いい方向に行くのでは、否このネガテイブな事件を教訓に我々は正しい方向に前進しなければないないのだ。そう感じました。


 ホエールウオッチングの是非についてこの夏海外のプレスに聞かれましたが、私は「この沖に回遊してくる鯨です。それを観てもいいし、食べてもいいのではないか。沿岸の町で、観光客が水族館で魚を観て、夕食に地場の魚を楽しむ。それはよくあることでしょう。」といったことを言いました。うまくやっていけばいいのです。ただ、このツチ鯨という種は非常に音に敏感で、船が近づくとすぐに潜ってしまう。おまけにいったん潜ると40分、長い場合は1時間出てこない、という捕獲するには非常にやっかいな鯨です。観光船は流石に「捕鯨見物」をする意向はないと思いますが、やはり乗客に鯨を見せたい。結構難しい調整になると思われますが、そこを人間の英知で解決していかなければならない。かつて「ものを言わない日本人」という形で批判された時期がありましたが、これは「相手の立場・気持ちがわからないから、とりあえず相手の言うことを聞く。」という日本人の美徳と言える面もあると思う。相手の立場・気持ちを斟酌しながらしっかり主張する。かくありたいと思う。


 オホーツクのツチ鯨漁の現況は8月下旬から9月上旬の漁期で捕獲枠は4頭。関係者の努力で何とか調整は可能と思う。また「獲りにくいツチ鯨」でありますが、その性質が資源状態を健全に保ってきた面も否定出来ません。例えば遊泳速度時速3kmで、脂肪層が厚く(従い脂が大量に採れる)、死んでも沈まない背美(セミ)鯨は、資源管理の思考のなかった19世紀に、日本沖で操業した米国を中心とする捕鯨船にその資源の大半が捕獲されてしまった。それを知らず、沿岸で背美鯨を獲って生活していた和歌山県の太地浦の人々は不漁に喘ぎ、その結果大きな遭難事件(通称背美流れ)が起こり、多くの働く盛りの男達の人命が失われ、太地の伝統捕鯨は一度消滅する。それでも江戸期鎖国政策の下、沿岸のみにて捕鯨をしていた日本には、鯨という生物を徹底的に利用し尽くす技術・食文化が残りました。人間万事塞翁が馬。こうして歴史の中の因果の糸をたぐっていくことはなかなか楽しいことです。


 ただ、また来年の捕鯨会議のロビーにて日本の鯨愛護団体が冊子を配布する。その冊子には今回の事件で撮影された中で最も嘔吐感を誘う写真が日本の捕鯨者を非難するコメントを添えて掲載される。従来IWCの会議場で起こったことを考えれば、来年も多分そうなるのではと。もういい加減にして欲しいと思う。今回ヤフー(毎日)の記事を引用したブログを見られる機能があることを知り、早速30件以上のブログを探検してみました。(もちろんこのブログもそのリストに入っていました。)沢山のコメントを拝見しましたが、「観光船が捕鯨船に近づいたのが事実のようで、「観光船の目前で捕鯨」という見出しはおかしい」「乗客が気持ち悪くなったことの責任は捕鯨船ではなく、観光船が負うべきだ。」「「世界遺産の海域の近くの捕鯨ということで、波紋を呼びそうだ」と毎日の記者は結んでいるが、波紋を呼ばせようとしているのは記者自身ではないか?」というものが大半。多くの読者の冷静な視線を感じ、安心しました。


一方で「日本の漁に関しては海外でも取り上げられているようです。アメリカに住む友人から送られてきたメールには信じられない映像が。。。皆さんも一度見てください。考えてみてください。」という投稿に多分太地のそれでしょう、イルカの虐殺の画像を複数のブログに貼り付けている人がいる様です。(実は画像の中身は見ていません。ここに掲示する気も無い。)こんな、人の恥部を漁師達が嫌がるのにも拘わらず、覗き見て撮影し、最も見るに耐えない画像を複数のブログに手当たり次第(もちろん匿名で)貼り着ける。こういった行為に激しい嘔吐感を覚えます。が、僕もブログ投稿初体験を果たし、いい勉強にはなりました。それとあれですねえ、逆に言えばこういった人々は鯨愛護の国際的な集会に出席して、自分たちの活動を画像と共に紹介し、「日本にも私達ような人々もいる。こんな残酷な連中ばかりが日本人ではないのだ。」と言って、日本の国益を守っているのかもしれませんね。「事実は小説より奇なり」であります。それでは。長くなりました。また書きましょう。まずは仕事、仕事。

今年のツチ鯨漁は無事終了しました。御世話になりました。(改定版)

昨日8月25日、この漁期の最後(26頭目)のツチ鯨の解体を終了。我々の和田浦の夏が無事に終了しました。事故と言える程の怪我もなく、船の方も陸上の方も、多くの皆さんのサポートを得ながら、無事この猛暑の中の大切な漁期を乗り切ることができた。感謝・感謝。そんな喜びを感じながら昨夜は慰労会にて暴飲。今日は使いものになりませんでした。それにしても昨日は夜中の1時半に作業を開始しましたが、こんな夜中に大勢の見学者がいて吃驚。明らかに昨年より見学者が多い様に思います。まあ、解体は見世物ではないのだが、人間と食料の関係、かつて狩猟の民であったとされる人類の原風景のようなもの。そんなものを感じていただければ幸いと考えています。また見学者の皆さんは僕らが気づかないような、いろいろな感想をお持ちのことと推察します。今年はそういったものに触れることができたことも収穫でありました。


 それにしても残暑の厳しいこと。最後の1頭は秋の気配を感じながら、房州の人々の好む柔らかい熟成した肉を出すべく、解体開始時刻を遅くする等の努力をしたが(この時間でも結構遅いのです)、出てきたのは硬いプリンプリンの肉。そして夜中だというのに秋の「あ」の字も感じられぬ無風の暑さ。処理をしながら、肉の経時変化をじっと見守っていたが、やはり駄目。あきらめて「今日の肉は硬いので無理しないで。」という電話を加工屋さんや魚屋さんに入れました。なかなか思うようにはいきません。それでもこの類の肉を九州の皆さんは好むのです。我が家でも今日はその肉を刺身で食べました。そうですね、地元の嗜好に合った肉を出すことは大切なことですが、それができないこともある。そういった肉はそれなりの美味しい食べ方を経験として蓄積していく必要がありますね。


 思い起こせば、今年はアラスカでのIWC総会後の最初の漁ということで、国内外のプレス関係者や学者や学生他、多くの人々にお会いし、お話しする機会を得ました。加えて小学生・中学生・大学生・社会人のそれぞれを対象に都合4回捕鯨の話をする機会もありました。結構いろいろなことを学ばせていただきました。感謝したいと思います。またこの処理場の運営に関し、当初は「60年ここでやっていること。何が悪いか。」といった開き直った感覚がありましたが、今となっては少々感覚が変わっています。「見て貰って結構です。この場で是非捕鯨のこと、鯨のこと、食べ物のことを考えてみてください。」そんな感覚を得ました。


 二日酔いの寝ぼけた眼でパソコンに向かえば、友人からのメール。友船の勝丸の動静に関する記事が添付されています。8月上旬まで当地にて操業していた勝丸が8月末に北海道の羅臼沖にて操業中、ホエールウオッチングの観光船に遭遇、観光船は一部始終を見学、フランス人夫婦の妻は「ちょっと気持ちが悪くなった」とコメント、世界遺産の海域の近くでの出来事で波紋を呼びそうと筆者のコメント、といった記事です。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070825-00000039-mai-soci


 末尾に僕が読売新聞北海道にメールした文書の一部を掲載します。興味のある方はお読み下さい。当初この記事を読んで少々興奮した面もありまして、特定の個人を非難するようなことを書き、それをそのまま掲示したことは事実です。しかしながら、遥か北海道の羅臼沖で起きた事件を、ひとつの報道記事のみを読んで、私達同様の沿岸の漁村社会に住もう人々を非難するのは行き過ぎがあると感じ、今回ブログを改訂する次第です。しかし既に掲示をしたことは事実でありまして、その責任を私が負うのはもちろんのことですし、また今後問題が起これば適切に誠意をもって対応したいと考えています。


 このブログは夏の漁の解体時刻掲示の為に、以前使っていたホームページ運営会社のサービス停止を受けて、あわてて準備、何とか漁期に間に合ったもの。現場で聞いた範囲で結構有効に機能している様にも感じ、よかったと思っています。漁が終わっても、引き続き捕鯨のこと、鯨のこと、食品のことを定期的に書く方向で努力をしようと思います。そうですね、折角なので漁期の後の鯨製品の加工のことなども紹介しようと思います。それでは。また書きましょう。


 


編集者 殿

 表記記事を拝読しました。私は千葉県南部にて捕鯨業を営んでおります、Sと申します。勝丸の船主である和歌山のIさんや網走のSさんとは日本小型捕鯨協会の会員ということで同僚の関係にあります。記事に関し以下意見を書かせていただきたいと思います。
 当該の事件の捕鯨船の操業及び観光船の航海に関する安全に関する法的な問題に関しましては地元の羅臼町も関与して検討中と、Sさんより御伺いしております。個人的には二度とこのような事件を再発させない方向で、穏便に解決がなされることを希望するものであります。
 ただ私の見解では、本件は単に船舶の安全な航行に関する問題だけでは済まされないものを含んでいると考えます。ツチ鯨は体長10米にも達する巨大な生き物です。そしてそれを捕獲する、すなわち捕殺する場面は凄惨なものです。私自身の考えは、この捕獲(捕殺)の場面は船員と1頭の鯨との間の神聖な場面であって、興味本位で他者が見物するようなものではない、というものです。船員は、毎日「何とか今日は鯨が獲れますように」と祈る様な気持ちで、自ら生きる為に働いている。鯨を殺す場面に快感を覚えている船員などいません。それを是非見てくれ、という船員もいないでしょう。もちろん個人差はあるかもしれませんが、多くの砲手達が殺生に関与したという意識を強く持って、誰から勧められるわけでもなく、供養等によって自分なりにそういった気持ちを消化していることは昔からよく耳にしていたことです。観光船は興味本位か、或いは乗客の希望を満たす為にかかる行為をしたのかもしれない。そう理解できる面もあります。しかし、非常に厳しい言い方をしますと、(悪意はなかったかもしれませんが)今回の観光船の行為は「牛の屠殺場のドアーが 開いているから、無断で観客を連れて覗きに行った」ことと同類の行為と言わざるを得ません。今後このような事件が再発しない方向で、穏便に解決がなされることを希望します。    ()内は後から付け加えた部分です。

明日8月25日は午前2時より解体開始。これにて今年のツチ鯨漁は終了!

本日8月24日、純友丸は今年14頭目のツチ鯨を捕獲。明日25日の解体は午前2時に開始します。販売の方は午前6時開始を予定しています。これにて、今年のツチ鯨漁は終了。最後の1頭の解体、事故を起こさぬ様に充分注意して行いたいと思います。船はこれから沿岸のミンク鯨を対象とした捕獲調査に参画すべく、北海道は釧路に向かいます。陸上の従業員も一部は釧路へ、残りは千葉・宮城の加工場にて鯨肉の加工に精を出すことになります。


  幾分残暑も緩和され、ほっとしているというか、一種の脱力感のようなものを感じます。夕刻犬を連れて当地の田園地帯から海岸を散歩することを日課としていますが、猛暑の中でも季節は確実に移ろっていることを感じる。ここ1週間はまだ少数ながら赤トンボが漂っています。秋の雨が降り始めれば、田圃の畦に真っ赤な彼岸花が顔を出すでしょう。鯨も獲れたことだし、秋の雨でも降ってくれないか、連日の猛暑で大地にこもったままの熱を雨が冷ましてくれないか。漠然とそんな想いが去来します。こんな仕事をしているからなのか、秋は大好きな季節です。子供の頃の秋の情景を、昔勤めていた会社の労働組合の機関紙に書いたことがあります。十五夜の日に物干し場に備えられたススキと団子と柿、夕刻アケビを獲って山から下りてくる時の白い息、日の当たらぬ板の間のピアノの黒光り。こんなことだったか。でもこれらはどちらかというと少々寂しげな晩秋の情景ですね。房州の季節の移ろいは穏やかなもの。僕のイメージする秋はまだまだ先のことの様です。


  僕自身はこれから夏の漁の残務作業等をこなした後、9月下旬に北へ向かいます。その頃北の大地は静かな秋が訪れていることでしょう。またあのラーメン屋で塩をいただこうかとか、処理場付近の原野では釣鐘草が可憐な紫の花をつけているだろうかとか、また江戸期道東の中心であった厚岸の古刹にまたひとり佇みたいとか。書いているうちにそんな想いが溢れ出てきました。いずれにせよ今年最後の1頭。安全第一でしっかりとやりたいと思います。

明日8月24日の解体はありません。

本日8月23日、船は操業したものの捕獲は無し。明日24日の解体はありません。

明日8月16日の解体は朝5時より。これにて残枠1頭!

 本日15日は1頭の捕獲があり、明日16日午前5時より解体します。これにて残すところ1頭となりました。夏の房州のつちんぼう(槌鯨)漁ももうすぐ終了となります。お盆の最中は毎日「くじら家」の売店にて売り子見習をやっておりました。それにしても暑かったですね。今日から売店でも麦茶でもサービスしようかと考えたのですが、直ぐに用意出来るものではなし。仕方ないので、最初は冷や水、途中からカルピスで対応しました。明日からも残暑厳しき日々が続くものと思います。くじら家では食堂では当然ですが、売店の方でも冷たいものをサービスしますので、遠慮なくお申し付け下さい。このお盆の最中、くじら家の店舗にて、解体見学をした方、このブログを詳細に読まれている方とお話しする機会を得ました。解体は基本的に見世物ではないのですが、やはり見学するだけの価値があるものというのが妥当な見解かと思います。またこのブログ、「格調高い」とお褒めの言葉をいただき、やはり嬉しいものですね。



 本日は終戦記念日。お盆の送り火の日と重なる訳でして、何か暗示的な気がします。サラリーマン時代に独身寮の隣室の先輩が、「毎年終戦記念日はどこかの墓地で蝉の声を聞いて過ごす。」と言っていたことを思い出しました。この先輩は相当な変わり者でしたが(一方今頃彼は僕のことを「昔変な奴がいた。」と言っているかも)、終戦記念日の猛暑の中を墓地に静かに佇ずむという感覚はわかる気がします。高度成長期に生を受け、もちろん戦争を全く知らない子供達である我々の世代でありますが、当時大学の経済学部では概ね半数の教授がマルクス経済学を教えていました。統計学の講義でヘーゲルの不可解の論文を教授が淡々と口述し、我々はそれをノートに取る。どう考えても理解出来る訳がなく、僕は当時専ら朝まで酒を飲み続けるか、山に行くか、といった生活をしていました。難解な観念的なことばかりを教える大学の講義にはついていけなかった。一方で、就職後の生活においては、観念的な雰囲気の全くない会話は無味乾燥な感じがし、そんな議論には満足出来なかった。何だか僕は不可思議な時代の影響を受けた人間かもしれません。そうですね、もっともっと戦争のこと、戦前戦後の庶民の生活のこと、そんなことを知りたいと思いますね。最近の最先端を学ぶよりも、歴史を学んだ方が、余程「使える知識」の歩留が高い、と常々感じています。別に本を読む必要はなく、年配の皆さんのお話をじっくり聞ければ、いろいろなことを知られるのではないかと思います。それでは。

明日8月14日の解体は朝7時より。

 本日8月13日、1頭捕獲。従い、明日8月14日の午前7時より解体です。


 酷暑の日が続きます。それでも昨日は鯨体処理場に多くの人々が見学に訪れました。本来見世物ではないのですが、やはり食べ物、つまり肉というものがどういったプロセスを経て食卓にあがるのかを実感できる稀少な場とも言えるのかもしれません。また、やはり血液が流れる壮絶な場面とも言えますが、その処理に汗水流して働く人間たちが関与していること。さらには、近所の人々がバケツを持ってその肉を買いにくること。この解体を見学に来る人々は、この場所に身を置き、それを昔から続く人々の営みと認識し、それを受け入れるのではないか。そんなことを最近感じます。


 そう言えば、黒澤明の「生きる」という白黒映画。志村喬演じる役人が自ら身を粉にして建設に持ち込んだ公園のブランコに乗って「命短し 恋せよ乙女 黒髪の色 褪せぬ間に」と歌う場面が著名ですが、不治の病に冒されたその役人が改心する場面は、職場の若き女性に「何故に元気なのか。」と尋ねたところ、「私なんて、ただ働いているだけ。」という言葉だったように記憶しています。人々の労働の風景、かつては街中に溢れていました。世の中が自分の目で見えにくなっている。これは冷静に考えても事実なようですね。


 今日は当地ではお盆で、藁に火をつけて、先祖を家にお迎えする日です。最近歳の故か、こういった習慣に感慨を覚えるようになりました。唯物的な立場から言えば、こういった習慣はナンセンスということになるのでしょう。一方で唯物的な思考が浸透する現代においても「千の風になって」という歌が肉親の死に直面して苦しむ人々のこころを慰める。お盆という習慣も本質的にはこの歌と同じことですね。人間は普段は死を意識しないが、それに直面して藻掻き苦しむ。人の世は多くの人々の大量の苦しみの感情がうごめくところ。一方で人間社会は、生まれるものがあり、死せるものがあって、新陳代謝を繰り返して、一見淡々と維持されていく。カミュは人間が死すべき運命を背負っていることを「不条理」という言葉で表現しました。お盆という習慣はこの不条理を乗り越えるべく日本民族が獲得した知恵と言えるのかもしれない。そんなことを考えます。


 これにて残枠は2頭。但し現在操業しているのは1隻のみなので、捕獲・解体は1日1頭、残りは2回ということになります。


 

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