外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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初夏を迎えて-第6回和田浦くじらゼミは    7月5日(土)―6日(日)開催の方向で調整中-

 初夏を迎えましたが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか?このブログの更新を昨年末以来怠っておりましたが、そろそろ夏が始まる頃合い。地元小学校の解体見学、和田浦くじらゼミの打ち合わせ等が始まりまして、怠惰な我が身に鞭打ち、ぼちぼちと夏に向けて働いていきたいと思います。

 今夏の「第6回和田浦くじらゼミ」は7月5日(土)―6日(日)に開催する方向で調整中です。今年のテーマはやはり「捕鯨裁判」とせざるを得ないかと。本来ややこしいことは嫌いなのですが、この捕鯨という仕事に大きな影響を与え得る、既に起こってしまった事象を避けて通る訳にはいきません。尤も捕鯨問題は国際法の枠組の中で論議されるものにて、市井にて平易な社会通念を共有してぼちぼちと生活している我々にとって、その理解はなかなか難しいものです。今回はそれに「国際司法裁判所」なる国際条約の如きものが追加的に絡んだ事象ということで、益々厄介至極。でもそれを極力平易に理解する為に、問題の本質に絡まない細部を捨象し、おぼろげながらも「捕鯨問題の本質」に迫れる様なセミナーに出来ないものか?準備に残された時間は少ないが、そんなことを考えています。またこのセミナーは常連の参加者が多いのが特徴。毎度々々早めの告知が出来ず恐縮しておりますが、よろしくお願いします。再会を楽しみにしています。

 それにしても、昨年末以来半年近いブランク。昨年のこの時期は捕獲調査で鮎川に長期駐在。時に詩情が湧いてくると、捕獲調査業務の合間に由なきことを綴ったものであった。今年は事情があって和田浦にいる。詩情が湧くことはあるのだが、それを書くことで形として残すことをしなかった。想えば、この半年には結構いろいろなことがあった。以下久しぶりに思いつくまま綴ってみたいと思います。

 昨年から新たに和田浦の定置網等の仕事に関与することとなった。とりあえず年始はサラリーマン時代の先輩に再会すべく、雪の中を境港・大阪へ出張。大いにご厚情やご説教を賜り、大阪では久しぶりの強度の二日酔い状態だった。帰路恒例の湖北の木之本に一泊したが、流石に二日酔いの影響で愉しめず。何事も体調次第ですねえ。2月には同窓会の帰路大雪で電車が止まり、一晩外房線の特急列車内で夜を明かした。ブリザードの蘇我駅にてファミレスで一夜を明かす覚悟をしたが、運良く暖房の効いた列車内で過ごさせて貰った。JRさんに感謝。早朝列車は上総一ノ宮に向かい、昼過ぎには何とか我が家にたどり着いた。待合で右往左往していた米人と懇意に。4月に彼に鴨川で再会、すっかりご馳走になった。シーシェパードのこと、捕鯨裁判のことで、彼に大いに慰められる。

 3月末には映画づくりへの協力で、カリブ海のハイチへ。3年前の沖縄の久米島行以来、どうしても僕が鯨と一緒に泳いでいる(?)映像を撮りたいらしい。毎朝宿の前の海岸から小舟で海に出る生活。一向に鯨に遭遇しない。午後には宿に戻り、ビールを1本頼んで海風に吹かれながら、メイビルの「白鯨」を読む。気温は30度前後、朝晩悩まされるヤブ蚊も海風に引き飛ばされ、毎日の爽快な時間であった。カリブ最貧国故にインフラは貧弱だが、少しもの悲しい欧米風の休暇の過ごし方を初めて体験した様に思う。時に海は油を流し込んだが如く、気味の悪い程に平穏。鯨はいないが、真っ青な海を泳ぐ。最終日にようやく鯨との遊泳の撮影に成功。2頭のマッコウ鯨の子供が群青の海の水面下に浮かんでいる様は幻想的であった。尤も近くで鯨が暴れたらアウト、という恐怖感は拭い去り難い。久米島以来すっかり馴染みとなった水中カメラマンの米人の後を泳ぎ、鯨に近づいたら僕はそのままの状態で待機、彼は僕から離れて撮影する。そんな方法で無事撮影は完了。
 一方で3月31日には「捕鯨裁判」の判決が出たことをネットで知る。生憎(?)携帯電話が国際仕様であり、電話が鳴り響く。「判決文を読まないとコメント出来ないよ。」ということで黙りを決め込む。嗚呼、外国にいてよかった!一方で渡航前に受けた取材由来の記事には自分のコメントが掲載されている。何だか不思議な気分だ。一緒に撮影をしている人々が裁判の判決を知り、気を遣ってくれる。「貴方は僕の友達だから」と。彼等の大半は基本的には鯨愛護思想に共鳴している人々。しかし時間と場所を共有した人々の間では共感・友情が生まれ、それが人間の行動に微妙な影響を与えるものの様だ。尤も、IWC会議の場でそれを感じることはなかったが、、、。米人の水中カメラマンからは、彼が感じてきたマグロの乱獲の話を聞く。彼はそもそもシーフード好きだったが、仕事で世界各国を訪れる度に魚の乱獲の話を聞き、それ以来ベジタリアンを通している。最終日、無事鯨との遊泳の撮影に成功した後も、「はい、また泳ぐよ。」と僕に要求する。「もう終わったじゃあないか、何度撮ればいいんだ?」「ショウジ、これはグリード(強欲)というものだよ。
こんなチャンスは滅多にない。いい画像を撮らなくちゃ。」すっかり彼の愉快さと迫力に乗せられ、また小舟から海に入る。ただ次のチャンスには恵まれなかった。やはり彼の言う通り、なかなか得難き機会を我々はものにした、と言えそうだ。因みに「グリード(強欲)」の水中カメラマンである彼の大学卒業後の職場は、ダラスの証券会社だった由にて、これにも結構笑わせて貰いました。

 帰国すれば、捕鯨業界は裁判の判決のことで揺れている。この裁判の判決は南氷洋の捕獲調査計画に関するものだが、我々の沿岸域捕獲調査の取り進め方にも大いに影響する、ということである。本件、国の上層部の判断に委ねられることになったが、最終的には調査の内容・手法等に変更が加えられたものの、4月26日に開始することになった。4月29日には、明治期に千倉・白浜地区から米国西岸に移住しモントレー付近でアワビ漁をした人々の残した万祝を100年ぶりに復刻したものを米国へ届けるミッションへの参加が決まっていた。「捕鯨裁判」由来のゴタゴタで、急遽渡米を断念することも考えた。捕獲調査に従事する同僚には申し訳なかったが、参加を決断し、4月29日に渡米。

 モントレーでお世話になった人々は、かつて日本で僕の房州捕鯨に関する話を聞いた人々。モントレーの博物館で僕が房州捕鯨を論じたのを聞いた人々もいた。夕食を共にしながら、「それにしても、貴方、よくやったものだよ。蛮勇としか言い様がない。」「よく言うよ。計画する方も計画する方だ。蛮勇という言葉はそのままお返ししましょう。」と愉快に会話。
 モントレー地区は米国一海産ほ乳類保護が盛んな地域。湾内にはラッコやトドがうようよしている。海産ほ乳類保護法に拠り、これらの海獣に触れることは禁止されており、彼等は安心して海岸や桟橋で寝転んでいる。その桟橋でアワビの養殖を手掛ける人を訪問したが、彼の養殖場は時折ラッコやトドの襲撃を受けるらしい。彼等はそこに彼等の好物が養殖されていることを知っているのだ。まさに四面楚歌とはこのことを言うのだと思い、笑ってしまった。「ラッコ達を雇用しては如何でしょう?養殖の他に彼等にアワビを獲ってきて貰えばいいでしょう。尤もサラリーがドル建てならぬアワビ建てだとしたら、本末転倒になりますねえ。」そんな冗談で笑う。
 また、この万祝の受け渡しを、モントレーの「JAPAN DAY」の会場である桟橋付近にて実施。この万祝は鴨川の鈴染さんによって復刻されたものだが、その作業の詳細を上総DNA研究所の磯野先生(神戸大学名誉教授)が記録し、画像の挿入された立派な英文の説明書を作成、モントレーまで持参して下さった。第4回和田浦くじらゼミにてこの万祝を紹介させていただき、その際に皆さんに外房捕鯨の製品をご購入させていただく形で保管していました22千円は、この冊子の作成に使わせていただきました。長期の保管業務から無事解放されました。有難うございました。

 とまあ、そんな訳で米国から帰国した後は、ずっと和田浦におります。思いつくまま記述した経験については、また詩情が湧いてきた時に、尤も我が内なる怠慢を克服出来る場合に限りますが、何らかの機会に書けるかもしれません。こんな状態でブログにアップしてしまっていいのかしらん。まあいいか。もうすぐ夏が来ます。またよろしくお願いします。

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