外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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読書の秋

 釧路ではさわやかな秋晴れの日和が続いています。通常この時期は移動性低気圧と高気圧が順次通過し、悪天と好天が周期的に入れ替わる季節。偏西風の蛇行のよるブロッキングなる現象なのか、今秋は一向に低気圧が来ず、天候が崩れません。南洋で発生した台風もゆっくり移動していますね。そんな天候故にミンク鯨を対象とした捕獲調査事業は順調に進んでいます。

 これはいいことなのですが、この事業に関わる我々は多忙にて休めず。通常秋の低気圧が通過して海が荒れれば、2-3日船は働けません。そうなれば我々は暇になる。夜な夜な盛り場に繰り出したり、時には古本屋に行って適当に本を買い求め、のんびりと「読書の秋」を愉しんだりする。ところが今秋はそんな余裕がありませんね。

 それでも、先日は久しぶりに明るいうちにホテル着。駅ビル内の古本屋で佐藤愛子著「佐藤家の人々」という文庫本を買ってきました。この本は、彼女が小説「血脈」の連載を終えた後に書いたエッセイや対談から成るのですが、とにかく無茶苦茶に面白い。久しぶりに何度も声を出して笑いました。

お部屋は北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク

 お馴染のサトウハチローの詩「小さい秋」の一節ですが、彼は佐藤愛子の異母兄にあたります。こんな繊細な詩を書いたサトウハチローなる人物、実は「佐藤家の荒ぶる血」を濃厚に引き継いだ、とんでもない人だったらしい。そして「血脈」の作者佐藤愛子も含め、佐藤家の人々はその血脈が故に、程度の差こそあれ、おしなべて「とんでもなかった」のだそうです。以下、「声を出して笑ってしまった」部分、いくつか紹介しましょう。

 ハチロー・愛子の父紅緑は3人の女性との間に 10人の子供(内1人は愛人の連れ子)がいた。  その荒ぶる血を受け継いだ八郎も3回結婚して子供は5人、妻妾同居さえさせた。愛子も2回離婚しているが、とにかく佐藤家にはやたらにこういった人が多いらしい。愛子はこう言っている。
「だいたい系図というものは縦に長くなるものなのに、佐藤家の(系図)は二番目の妻、三番目の妻って、どんどん横に広がっているんですよねえ。」
さらに、上述の父紅緑の愛人の連れ子(東大卒で後に小石川高校の校長を務める)ついては、彼女こう言っている。
「本当に立派な人格者です。唯一人格者がいると思ったら、(佐藤家の)血脈ではなかったんです。」

 父紅緑や兄八郎の残した文学作品と、彼らの実生活との間の乖離については、こう説明する。
「海水を煮詰めて塩ができるようなものでね、紅緑の少年小説やハチローの童謡というのは塩です。生きていくために必要なもの。ところがあとに苦汁(にがり)が残る。これを家族や子どもたちがなめさせられた。」

 佐藤家の人々の早熟さについて、対談の相方との会話では、

相方「皆さん、十代で女性に手を出したり、一緒になって駆け落ちしたりと、そういう面では早熟ですね。八郎の三男の五郎に至っては、八郎のお手つきだった女中と一緒に家を出たのが、14歳です。」
愛子「色情の因縁がありますね。手がついたとか、そんなもの、どうってことない。」

 その他、紅緑の次男節(タカシ)は、金に困ると妻の親族を一人づつ病気にしたり、殺し(死んだことにし)たりして、親族から見舞金をせしめる。ついには仙台の旅館より「タカシ シンダ」との電報を送り、心配して駆けつけた使いの者より、芸者と同衾している状態で香典を受け取る。さらに彼は弟の久への親からの仕送りの大半を着服。それが原因か、久は仙台で困窮の末、女と心中してしまう。そして紅緑の家には仏壇はなく、家の隅にさりげなく置かれている写真1葉が久を偲ぶ唯一のものである。

 とまあ、もう無茶苦茶・出鱈目・破天荒の連続、但し愛子に言わせれば「実は家族想いの一族なのだが、ここ一番という時にはやはり荒ぶる血が騒ぎ出し、ついつい走ってしまう」ということらしい。このとぼけた感覚がまた何とも可笑しい。そしてこの小説の最終部は、紅緑の曾孫(八郎の孫)の恵(40過ぎにして無職)が大伯母の愛子を訪ね、「八百屋の引き売りでもやろう」と言う。愛子は「佐藤家の血を継ぐ40過ぎの男が八百屋の引き売りなんて!」と感嘆しつつ、その荒ぶる血脈が次第に衰微し、正にこの夕方の寂しい光の中で終焉を迎えたことを実感し、「あずましく」感じるところで終わるらしい。因みに津軽弁では、寒い日に風呂に入った時に「嗚呼、あずましい」という言葉を使うらしい。

 自称赤線大学卒の吉行淳之助、佐藤愛子と共に文壇の三奇人と呼ばれた遠藤周作・北杜夫。かつては彼等の描く「誠にとぼけた、困った人々」に憧れたことはあったが、家業を継いでからは無茶をする感覚から遠ざかっている様な気がします。せいぜいこの佐藤愛子著「血脈」でも読みながら、釧路での「読書の秋」を愉しみたいと思います。それでは。

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IWC総会開催中

 15日より、旧ユーゴスラビアのスロベニアにて、国際捕鯨委員会(IWC)総会が開催されています。今年は件の捕鯨裁判の影響か、プレスの報道も多く、昨晩はNHKで当地釧路での捕獲調査の模様が報道されました。

 僕自身はかつて毎年の様にこの総会に出席していたが、2007年のアンカレジ総会以来久しくご無沙汰しています。鯨を(屠殺して)食べる文化とそれを保護・愛護対象と捉えるそれとの関係は、まさに「水と油の関係」。尤も僕の持論では「後者が前者を認めて棲み分けを図ろうとする理性を持たない限りにおいては」という条件が付きますが、残念ながらその条件は十二分に満たされている。従って「水と油の関係」は不本意ながら堅牢であり、毎度毎度の不毛な議論が続く。そんな訳で各国の代表団がうんざりしている面もあってか、かつては毎年開催されていた総会は最近では隔年で開催されています。

 本件、もう少し詳細に考えてみましょう。一般に「食べる文化」は「愛護対象とし、食べない文化」に対して寛容です。「俺らは食うけど、あいつらは食べない。まあこの世の中、よくあることだ」と。一方で「愛護の文化」は「食べる文化」に対してはあまり寛容とは言えませんね。時に動物愛護団体が「鯨肉は水銀で汚染されていて危険だ。」と一所懸命にHP等で広報活動をしているのを見ると、もう少しまともなやり方があるのでは、と思ったりもします。「愛護」の主張を「食べる人々の健康の問題」に置き換える論説は、感心しませんね。「鯨肉はとても健康にいい」ということになったら、まさか「鯨を食べて健康に!」なんてPRする気は毛頭ないのでしょうから、結局沈黙することになりますね。そういうのは、みっともないので、最初から言わない方がいい。

 また、「愛護の文化」の「愛」という言葉。「食べる」という言葉と比較すると、専ら人間の感情に関するもので、いかにも意味が曖昧です。

美しい「花」がある、
「花」の美しさというものはない

 これは小林秀雄の発した有名な言葉です。これは「美しさ」即ち「美学」を観念的に恋々と論ずる輩に対する苦言といった性質のものかと思う。そういった意味においては、我々の側は「鯨」という生き物を観念的に捉えるのではなく、その現物を見たり、獲ったり、ばらしたり、食べたり、業務外では水族館やウオッチング船で観察したりもして、重々体感・実感している。「鯨」を「花」に喩えれば、「花」はいつも我々の身近なところにあり、我々はそれを常々「美しい」と感じる。ひょっとしたら、「愛護しながら食べる」という感覚・感情もあり得るかもしれませんねえ。無論「一目惚れ」というのもあるが、身近に一緒に過ごしている中で生まれてきた愛の方が余程健全で堅牢なのではないかしらん。何だか馬鹿なことを書いてしまった気がしますが、まあそのまま掲載してしまいましょう。

 とまあ、常々そんなことを考えながら働いているので、IWC関連の報道に接すると強烈な違和感を得ることはよくありますね。以下、時事通信社のIWC総会開催に関する極めて客観的な報道より、一部を抜粋し、私なりの感想を書いてみましょう。


 
「日本は「ICJ判決は調査捕鯨そのものを否定しているわけではない」(水産庁)として加盟国の理解を求めたい考えだ。これに対し、欧米など反捕鯨国を中心に反発も予想される。」

 僕の感覚で言わせて貰えば、「理解を求めたい考え」という姿勢は随分友好的なものですね。同じ条約の条文・同じICJの判決を読んで、「その解釈が180°違う」ということは本来考えられません。そもそも裁判所の判決の解釈で大いにもめるのであれば、裁判所の存在する意味がない。従い常識的には「理解を求めたい」という姿勢ではなく、「条約及びICJの判決に基づき要求する」姿勢で構わないと思う。ところが「欧米など反捕鯨国を中心に反発」は、「予想される」どころか過去の反捕鯨国の姿勢からして「最初からわかりきっている」ことです。反捕鯨国の政府は国内に捕鯨者が存在しない訳だから、専ら国内の動物愛護団体の利害さえ満たされればいい。それが彼らのIWC総会における姿勢です。


「反捕鯨国のニュージーランドは今回のIWC総会で、調査計画の評価手続きを厳格にする決議を提案する。決議に拘束力はないが、採択されれば、反捕鯨の国際世論が一層熱を帯びる可能性がある。」

 確かに「反捕鯨の国際世論が一層熱を帯びる可能性がある」かもしれないが、その世論は果たして公正なものでしょうか?公正でなければ、それに阿ることなく、正々堂々と日本国政府の主張を淡々と説明し続けるべきでしょう。

 上記想いが溢れ、少々勇ましいことを書きました。但し政府間交渉においては、無論いうべきことはきちっと言うべきですが、一方で相手の話をよく聞いて、相手の立場を深く理解することは大切なことです。同じ人間なのだから。時には妥協することも必要なことでしょう。日本の代表団はそういった流儀で交渉にあたられているものと思いますし、個人的にはそういった姿勢は好ましいものと感じています。

 「妥協は人類の獲得した英知」であることは間違いない。しかしかかる妥協の結果このIWC総会終了後に具体的にどんなことが起こるか、皆さん考えたことはありますか?反捕鯨国には捕鯨者は存在しないので、妥協の結果としてそれらの国の人々が何か業務上の義務を負うかというと、それはほぼ全くないのです。一方で我々日本の捕鯨者や科学調査を担当する科学者に対しては多種多様な要求がなされ、我々は逐一それらの要求に対応しなければならない。無茶苦茶な要求する連中が何の義務を負わず、要求を受け入れる側の人々、即ち捕鯨国の捕鯨者や科学者が甚大な、時には極めて理不尽な義務を背負わされる。まあ、国家間交渉はそんなものかもしれませんが、「国」を「人間」という言葉に置き換えれば、これはどう考えてもまともな「人間関係」ではありませんね。でも「相手の話をよく聞いて、相手の立場を深く理解」しなければならない?
たまったもんじゃあねえよ!
馬鹿馬鹿しくてやってられるか!
それでは。

雨の降る日は天気が悪い

 釧路では、ここ数日は天気が安定。捕獲調査の方は7日より捕獲が始まり、既に盛漁の様相。陸上の解体要員は相当に疲労しており、思わず「もし明日獲れると厳しいなあ」と口にしたりしています。加えて美味しいけど賞味期間の短い生鮮の鯨肉を流通させている次第にて、たくさん獲れると直ぐに売り場が飽和状態に。従い、例えば天気図を見ながら「明日獲れるとまずいよ、体も売り場も限界だよ。むむむ、ひょっとしてこの低気圧の影響で明後日は時化か?よっしゃ、風よ吹け、波よ打て!」等々不謹慎な会話が飛び交う。釧路では毎秋そんな感覚で働いています。

それでも、秋の天気は移ろいやすく、適当に風が吹いたり雨が降ったりして、事なきを得る。一方で天気晴朗の日に「獲れるといいなあ。」と念じていても獲れなかったりする。要するに
「鯨はいる時にはいるし、いない時にはいない。獲れる時には獲れるし、獲れない時には獲れない。」
そんなものの様です。

 尤もこれでは(A=A)即ち「AはAである」ということで、論理的には何も言っていないに等しい。でも意味もなくこの言葉をつぶやいたり、同僚との会話をこの言葉でしめたり、と結構よく使う言葉です。そして精神的に結構救われたりして。そう言えば、わが父親は昔「雨の降る日は天気が悪い」と時々大声でつぶやいていたが、これも同類の言葉と言えそうです。父親もかかる意味の無い言葉を発することにより、目の前の事象にささくれだったこころを慰めていたのかもしれません。

 やはり言葉を発することは、人間のこころの動きに大きく影響してくる。僕自身も震災の春は釧路にて、お気に入りの詩歌を写経するが如くノートに太字の万年筆で書き付け、散歩しながらそれを吟じていた。そんなことでこころの平穏を保っていたことを思い出します。あの時から早3年超の歳月が流れている。時の流れるのは早いですね。

 こんな四方山話を書いているうちに、雨が降ってきました。空には低い雲が垂れ込めています。確かに、雨の降る日は天気が悪い。それでは。

ようやく釧路の仕事が始まりました。

 初日は雨、昨日は濃霧、3日目にようやく天気が回復。今朝船は出港し、今季1頭目の鯨(標本)が捕獲(採集)されました。この鯨の肉は国際捕鯨取締条約の第8条2項の規定に拠り「加工」、具体的には鮮肉に加工・整形され、捕獲調査の副産物として、鮮魚市場に流通させます。9月9日にはここ釧路の街にも初物の鮮鯨肉が出回る見込みです。以上、件の捕鯨裁判に関係する捕獲調査事業ということで、敢えて少々厳密に書いてみました。

 釧路市のはずれにある工場では、荒地に秋の陽光が差し込み、紫と黄色の草花を明るく照らしています。気温は結構高い。昨日は工場周辺を散歩し、さらに夕刻には幣舞橋を越えて水際を弁天浜まで散歩してきましたが、相当に汗をかき、筋肉も硬直。晩酌のビールにはため息が出ましたが、その後の焼酎一杯が余分だった。年年歳歳人不同。散歩の感覚、晩酌の感覚も違ってきます。

 昔豪雨にて登山を諦めて信越線の横川駅前の東京堂なる旅館に宿泊。ライオンの口から小さなタイル張りの湯船にお湯が流れ、朝飯は卵焼き・鯵の開き・海苔・納豆のいかにも「昔の旅館」でその名前と共によく覚えているのだが、その際に同宿した齢60超のハーレーの単車乗りの親父さんは、「九州の阿蘇から東京まで13時間程度か、何、警察?俺の方が早いから捕まらねえよ。」といった豪快な人だった。彼は「この歳になるとねえ、自分の体をいじめるつもりで鍛錬しないと、保たないねえ。」と言っていた。

 そうですねえ、それなりに節制しつつ様子を見ながらも果敢に体を動かしていかないと、山に遊びに行ったり、徹底的に歩く旅をしたりは出来なくなるかもしれない。そんなことを感じました。釧路滞在中、暇を見つけて、また夕焼けに景色を見に海に向かって歩いたり、時には腰痛対策も含め市営プールで水泳したり、ぼちぼちと過ごしていきたいと思います。それでは。

年年歳歳花相似たり

 釧路では秋の雨が降っています。今日からミンク鯨を対象とした沿岸域捕獲調査が始まりましたが、この雨で船は出航できず。今、釧路市はずれの工場の事務所にてこのブログを書いています。

 この工場は有名な釧路湿原の端にあります。確か以前釧路湿原についてこのブログで書いた記憶がありますが、釧路川の広大な三角州の上にこの釧路市が建設されている訳で、この工場団地自体も釧路湿原の一部には違いない。工場のない区画は荒地となっており、毎年この時期にここに来ると、りんどう・釣鐘人参といった秋の紫の草花が風に揺られている。今年も、同じ場所に同じ紫の草花が咲いており、それらと女郎花の黄色とのコントラストが何とも美しい。(実際にはこの黄色はセイタカアワダチソウだが、まあオミナエシということにしておきましょう!)

 一方で、釧路の街中の、これまでずっとお世話になってきた飲食店3軒が閉まっている。ラーメン屋さんと炉辺焼き屋さんについては覚悟していたが、宿近くの食堂が閉まっているのは痛い!この食堂では毎晩晩飯をいただきながら、数人の常連さんと、時には日本ハムの応援をしながら、愉快にお話ししてきた訳で、この食堂のおばちゃんはほとんど「僕の釧路のお母さん」だったのだ。おばちゃんは入院しているらしい。長いお付き合いとなっている常連さん方も四散してしまったらしい。

年年歳歳 花相似たり
歳歳年年 人同じからず

 とまあ、この漢籍の通りになってしまいました。歳を重ねれば重ねる程、こういった想いをすることは増えていくのだと思う。尤も生と死は不可分な対をなす概念。中世の欧州でペストに侵された都市の人々の言葉、メメントモリ(死を想え)。他者の死に直面することで、僕自身も少しはまともに我が生のことを考えられるかもしれない。そう考えることにしましょう。それでは。



釧路着。 映画「ふしぎな岬の物語」受賞の報

 たった今釧路に着きました。当地の気温は20度前後と快適です。また当地での秋の生活が始まります。

 1日の早朝に和田浦を発ち、2日の夕刻釧路の宿に入る、といった結構な長旅ではありますが、それがまたなかなかいい。出発前はいろいろと忙しく、1日の夜中に起床しての荷物をまとめる。二日酔いも手伝って、何とも冴えない気分であった。同僚には申し訳ないが、東北道の仙台あたりで眠らせて貰い、気づいたら鮎川に。短時間打ち合わせをし、6名で仙台港へ向かう。そして一晩をフェリーの中でゆったりと過ごす。翌日苫小牧港から日高道を走り、浦河より日高山脈横断し、十勝平野へ入る。そして海沿いの道を釧路へ。

 思い出の詰まった北海道の多様な風景をぼんやりと眺めながら、時には独り言なんぞもつぶやきながら、思いに耽る。夏に酷暑と共に我が心に重くのしかかっていた何ものかが、この長い移動時間の中でゆっくりと除去されていく。そんなことを感じています。やはりこの長い移動時間はいい!飛行機を使ったら、こころが火傷しそうだし、その重いものは容易には除去出来ないだろうと思う。
 
 宿に置いてある北海道新聞の夕刊で、吉永小百合さん主演・企画の映画「ふしぎな岬の物語」が、モントリオール映画祭の審査員特別グランプリを受賞したことを知る。とてもうれしい。この映画には和田漁港にて撮影した鯨祭のシーンがあり、それは物語の構成上とても大切な場面との由。和田浦には鯨祭は伝わっていないが、この映画の原作のモデルは房州捕鯨発祥の地である鋸南町は勝山のジャズ喫茶。という訳で、原作には存在しない、かつ架空の「鯨祭」を脚本には採り入れ、そのロケを我等が和田浦の漁村集落で行うことになったらしい。僕自身は何をした訳でもないが、この架空の「鯨祭」には集落の多くの人々が協力した。「祭の山車を使う」と簡単に言うが、この山車を組み立てるのは地域の青年団総出で行う大変な作業なのである。それでも我等が和田の人々はそれを快く受け容れ、(僕の感覚では)壮大な規模のロケが行われた。そして、吉永小百合さんの神々しい笑顔の影響も多分にあるのだろう、撮影はとてもいい雰囲気でうまくいったらしい。その映画がかくも立派な賞を受賞したのだ。

 あの慣れ親しんだ、僕のお気に入りの和田浦の風景が、映画という形で多くの人々の目に触れることは嬉しい。都会に住む当地出身の人々がこの映画を観て、郷愁を感じ、帰郷することもあるだろう。そして、何よりもこの地で日々の生活に追われている我々自身が、この風景のすばらしさを再発見してそれを誇りに思い、元気に働いたり、朝市を開いたり、散歩したり、冬に日だまりでより愉快に歓談できたらいいなあ。そう思います。それでは。釧路より、また書きましょう。




 

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