外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

バターとお金と株式と人工知能と金と銭

 初夏を思わせる日々が続いています。降水量が極端に少なく、それが野菜の価格上昇を招いている由。僕の方は春に入って以来引き続きやや不調の状態。毎朝とりあえずは犬を連れて歩き、休日も徒歩で犬と遠出(とは言っても町内)をし、仕事の方はぼちぼちとやる。夏の漁の前は何かと落ち着かず、かかる精神状態に陥ることが多いですね。まあ、わかりきったことなのだが、今日は敢えて我がこころの中を探検し、その状態を確認してみようか。そんな気になっています。そんな中でも、季節は移ろい、当地ではホタルブクロの花が咲き始めました。海岸ではハマヒルガオ、月見草が咲いています。が、季節の故か、或いは我が精神状態が故か、「もののあはれ」を感じることはないですね。

 今朝はNHKのニュースを大変興味深く見ました。昨年末に大騒ぎとなったバターの不足の問題が再燃しています。農水省の役人さんの「需給情勢を睨みながら、随時輸入量を拡大していく」とのコメント。少々奇異な感じがしたが、そもそもその違和感は僕自身が「自由な市場取引による需給調整」に慣れていることに起因している様です。バターに限らず商品一般は、供給量及び需要量の増減によって需給調整が必要となってくる。バターの場合その輸入量は国内の酪農家保護の為に公的に管理されているので、その需給調整を自由な市場に委ねず、国家(役人)が管理する。「自由」とは相対的なもの。自由な市場と言っても当然いろんな縛りがある訳で、「必要に応じて管理」することに何ら奇異なことはない。そう感じるに到りました。

 一方で、次のニュースは株式取引のお話し。そもそも株式の取引と言えば、証券取引所にて人々が手を挙げて叫ぶ風景を連想します。それは卸売市場での鮮魚のセリの風景と大差はない。ところが現代では、否、既に数十年前から誰でもパソコンの端末で株式取引が簡単にできる時代となっている。そのコンピューターを使った取引だが、最近では人口知能が「過去数年の株式・商品相場を動き」と言った膨大な情報を、人知を遙かに超えた能力をもって把握し、その情報に基づいて株式・商品を売買する。そしてそれは相当に高い利益をもたらしているらしい。しかもその人工知能は日々の自身の損益の情報を正確に把握し、その情報も踏まえて取引をしていく、すなわちより高い収益を得る方向で日々学んでいく設計になっているとのことです。さらに、データの送受信の高速化とコンピューターのプログラミングにより、昔は電話で一件々々成約させていた取引を、1秒間に数万件こなしてしまう由。何だかとんでない時代を迎えつつある。そんな印象を持ちました。

 資産運用を生業とする人々にとっては、より効率的でより収益の上がる仕組づくりを追求することは彼等の仕事そのもの。故に技術革新によってかかるシステムが創造され、それが経済社会を動かしていく。しかるに、この革新的な仕組に違和感を覚えるのは僕だけであろうか?僕の理解で言えば、お金は物資やサービスを交換する手段としてとても便利なもの。「金は天下の廻り物」であって、そのお金が、「生産者が人々の必要とするもの・欲しいものを生産し、それが流通して、人々の手元に届く」様に、うまく廻っていくようにする必要がある。それは「貨幣の需給調整機能」とも言えるもので、現況ではそれを自由な市場に委ねている訳であり、日々その市場に参加して資産を運用する人々は、その「貨幣の需給を調整する」社会的機能を果たしていることは間違いない。しかしマルクスが書いている様に、その自由な市場においては、金はより高い利回りを求めて動く。金は金の都合で動く訳で、その金は時に穀物や石油の市場に流れ込み、商品相場を大きく動かす。そもそも商品やサービスの便利な交換手段であった筈のお金が、、、、、、これじゃあ本末転倒ではないか。そしてこんなマネーゲームが「我が国のGDPの何割占める基幹産業だ!」なんて、それはまともな感覚とは思えませんねえ。

 以上、今朝のニュースを起点につらつらと考えてみました。近年、TVでは貨幣のことを「お金」と呼ばず、「金」(カネ)と呼び捨てにするのが正しい報道の仕方なのだそうです。でも僕にとっては美しき女性アナウンサーが「金」「金」と言うのにはどうも馴染めません。日本語には「銭」(ゼニもしくはゼネと発音)というなかなか味のある言葉もある。
どうせだったら、労働の対価たる「お金」と「銭」という言葉を分けて使ったら如何でしょう?女性アナウンサーが「銭(ゼネ)が欲しくて犯行に及んだそうです。」なんて言うのも結構愉快そうです。

一方で我が社は海から鯨を取ってきて、それをバラして、それを食べ物としてお客さんに買って貰って、有難く「お金」をいただく仕事をしています。そして、その金は天下の廻りもの也。それでは。

パルミラの遺跡への想い

 報道によると、シリアのパルミラにイスラム教過激派組織ISが侵攻し、既に多数の人々が殺戮されたらしい。またISは非イスラム教の遺跡破壊を繰り返していることからして、パルミラにおいても同じことが起こるのではと危惧されている。あの広大にして繊細な美しさ持ったローマ帝国時代の廃墟、その傍らの小さなオアシスの集落で日々の生活を営む善良な人々。そこを舞台とした地獄絵図を思い浮かべ、こころを痛めている。

 今から30余年前、大学の5年生の春、僕はこの地を訪れた。あの頃は、確かに反政府組織の人々(スンニ派イスラム原理主義者であり、現在のISに近い人々)がシリア政府によって虐殺され、ハマの中心部に見せしめの意味で吊されていた年だったと思う。それでも旅行者にとっては、シリアは人々の笑顔が優しい、静かな印象を与えてくれる国であった。一昨年は十字軍と戦ったアラブの英雄サラデイン(実際にはクルド人)の要塞が残るアレッポの街が破壊され、今回はあの麗しきパルミラで大規模な虐殺が行われ、遺跡は破壊の危機に直面している。当時の50日に渡る中東放浪の中で、パルミラは最も思い出深い地であるだけに、彼の地の動静が気になるのである。

 あの日、僕は朝アレッポをバスで発ちホムスへ南下、そこでパルミラ行きのバスに乗り換えた。バスはシリア砂漠を横断、時々羊群を率いるベドウィンの姿が見えること以外は何もない砂漠。僕はその風景に見入っていた。そしてシリア砂漠の残照が絶えんとする頃にバスの車窓から遺跡と思しきシルエットを見たものの、バスを降りた頃は真っ暗だった。呼び込みに来た宿の主人と一応宿代の交渉をした上で泊めて貰うことにした。晩飯を何処で食べたものか、記憶に無いが、その晩主人と以下の様な会話をした記憶がある。

主人「貴方は何教徒であるか?」
私「仏教徒である。」

(当時は「無宗教=コミュニズム」と理解され、時にトラブルも招く、という「旅の知恵」と、我が家が真言宗であることから、「仏教徒」と返答した次第である。)
主人「仏教の神様は誰だ?」
私「ええと、仏陀ですねえ。」
主人「仏陀は生きているか?」
私「ええと、遠い昔に死んでいますね。」
主人「神様は死ぬのか?一方でアッラーは不滅である。やはり仏陀よりアッラーの方が偉大である。」
私「、、、、、、、、、」

 流石に自分自身の宗教に関する無知に唖然として動揺したが、その後の主人のアガール等の土産物の執拗な売り込みに対しては、無い袖は振れず、切り抜けて就寝したことを覚えている。

 翌早朝、パルミラの遺跡を歩く。とにかく凄い規模の遺跡である。遠くに人が一人歩いており、僕の方に近づいてくる。その人は比較的若い女性であった。彼女は一言、「バクシーシ」と喜捨を要求したが、やがて無い袖は振れない僕に見切りをつけて退散した。僕はたった一人で遺跡に取り残された。やがて砂漠の地平線から太陽が昇り、広大な遺跡はバラ色に染まった。息を飲む様な美しさ。僕は廃墟の大理石の土台に腰を下ろし、しばらく茫然と遺跡を眺めていた。やがて何人かの男性が集まってきた。彼等は遺跡の発掘の仕事をしいるらしい。そうだ、この遺跡は未だ発掘の最中なのだ。やがて彼等は木切れを集め、焚き火を始めた。そして、僕に手招きをする。紅茶の一服の時間の様だ。有難く紅茶をいただき、さらに結構立派なオレンジをひとつご馳走になる。英語もドイツ語も通じないが、何だかとても豊かな気分でしばらく彼等と過ごす。ひとりひとりと握手をし、集合写真を撮って貰って、ようやく数時間茫然と佇んだ遺跡を後にした。この写真があの旅でのベストショットとなった。

 以上、とりとめもなく、記憶を辿ってみたが、やはり、あの美しき広大な遺跡を穏やかな人々がぼちぼちと発掘していた風景と、内戦の風景は重なり得ない。彼の地の人々が内戦を逃れて生き延び、また何時の日にか、彼の地に戻って安逸な生活を送れる日が来ることを、切に希望している。また、何時のことになるかわからないが、再び、朝日に輝くあの遺跡の片隅に佇みながら、茫然と過ぎし日々のことを想う機会が来ることを希望している。

 それにしても、人々は時に、論理的整合性の高い思想を背景に、情熱をもって現状の改変を志向して行動するが、それがとんでもない惨状をもたらすことは結構多い様に想う。塩野七生さんは文藝春秋のエッセイの中で、イスラム教のドグマの明快さの中に、その危うさを指摘している。キリスト教も過去に多くの破壊活動を推進した歴史を持つが、その贖罪意識を伴った複雑なドグマと、そんな歴史認識の定着は、社会・人々をより自制的に動かしている。そんな論点だったと思う。やはり、明快な論理は時に人々を思考停止状態に陥らせ、そんな人々の行動が社会にとんでもない惨禍を招くものなのだ。

 翻って、最近の日本の状況はどうか?中韓との関係の悪化が影響してか、「日本を素晴らしい国」とする書籍と、中国や韓国の後進性を表す書籍が、かくも多数本屋の棚に並んでいる状況は異常と思う。僕自身はこの国に生まれてラッキーだった、という想いが強く、所謂自虐史観に与するものではない。しかし、自国を賛美して隣国を軽蔑し、安堵する様な精神構造は、如何なものか?物事は概ね「良かれ悪しかれ」というものではないか?中韓政府の対応に不愉快な想いをすることは多いが、自画自賛的な国家観にはやはり危うさを感じるのである。以上

今夏の和田浦くじらゼミは7月4日(土)ー5日(日)に開催の予定です。

  ようやく鮎川から戻りました。そして、昨日は米国カリフォルニア州モントレーより、アワビ漁業のご縁で来日された30余名の皆さんと、ここ和田浦にて終始和気藹々とした雰囲気で散歩したり、捕鯨の話をしたりして過ごしました。この会合にて感じたことは、追ってこのブログに書いてみたいと思います。

 ということで、今日は「第7回和田浦くじらゼミ」の開催日に関する連絡です。今年は、「7月4日(土)13時から、5日(日)12時まで」というスケジュールにて開催する方向で決まりましたので、連絡させていただきます。追ってセミナーの内容を鋭意検討の上、募集要項を作成し、このブログに掲示したいと思います。

 さて、今回は何をテーマとするか?昨夕、日本動物園水族館協会は、世界動物園水族館協会から除名されることを嫌い、太地のイルカ漁業(追い込み)で捕獲されたイルカの購入を止める、という苦渋の決断をしたことを公表しました。今朝はこのニュースが大きく報道されています。以下、時事通信の記事からの抜粋です。


 (荒井会長は「追い込み漁は残酷な手法ではないと一貫して主張してきたが、残念ながら理解してもらえなかった」と納得がいかない様子。世界動物園水族館協会(WAZA)に対し、「どこが残酷なのか具体的に指摘してほしいと何度も申し上げたが、回答はなかった」と無念さをにじませた。)

 今年はこの水族館の問題を皆さんと一緒に勉強しようか。西脇さんとも相談しましたが、そんな気持ちになっております。詳細が決まり次第、このブログで紹介しましょう。ということで、取り急ぎ今年の「和田浦くじらゼミ」の開催日に関する連絡でした。それでは。



 

メイデーに想う

 今日より5月。ここ鮎川の春は房州のそれと比べれば、湿気が少なくからっとしている。房州では照葉樹の強い色彩の新緑が丘陵の風景を躍動させていたが、当地の広葉樹は芽吹き始めたばかりなのか、色が淡く、春未だ浅き風景に感じられます。尤も僕には「春まだ浅し」と感じられる風景が、当地の本来の春のそれなのでしょう。桜は葉桜となり、ぼたん桜は未だ重い花をつけている。僕には当地の春の方が落ち着ける様な気がします。

 事務所でパソコンを開ければ、「そうだ、今日はメイデーだ。」と想う。東京で働き始めた頃、都内のどの辺りだったか、春の佳き日を会社の先輩方と愉快に闊歩した記憶が残っている。極めて良質な思い出である。あれから茫々30年。今年のメイデーや奈何?と、ネットで検索してみる。ニュース記事が見当たらず、ようやく連合のHPに辿りついたが、今年のメイデー(大会)は4月29日に実施済との由。おそらくは参加人数も当時の規模と比べれば激減しているのではないか、と思う。

 僕の勤めていた会社はそれから5年後あたりに、メイデーを自由参加に、即ちオルグしない(組織的な参加勧誘を一切せず、実質的に不参加となる)方向に舵を切った。当時の労組の委員長Sさんは僕らが「親分」と慕う腹の太い人だった。当時は5月1日という会社公認の実質的な休日を、メイデーの行進に使うのはいかにも勿体ない、といった感覚が強まっていた時代だったと思う。世はバブル経済の真っ只中。個の自由が尊ばれ、労組が組合員に強いてきた「団結すること」も左翼的な用語も、古臭い、流行らないものとして、脱ぎ捨てられた時代であった様に想う。労組の中央委員会だったか、研修会だったか、いわゆるデイベートという手法を使って、「労組としてメイデーに参加すべきか否か」を討議した記憶がある。その中でSさんは自由参加となった最初のメイデーの朝の出来事を話してくれた。不参加を決断した張本人ということで、敢えて朝ゆっくり寝ていると、奥さんに「あんた何やってんの!」と叩き起こされ、とりあえずメイデー会場へ。そこでSさんが何をし、何を感じたと言ったのかは覚えていないが、恐らくは複雑な気持ちで行進を眺めていたのだろう。

 当時は「個を不必要な束縛から解放して自由な時間を与えよう」という考え方から、昔から職場にあった(個の拘束を伴う)習慣を消していった時代であった様に思う。そして、与えられたその「自由な時間」を個は社外で合理的に使い自己を啓発する。とかく同質化しやすく、没個性的(と言われた)従業員の質が変わる。当時はそんな妄想(?)があった様に思うし、また僕ら自身も「自由な時間=休み」が増えるのは大いに結構、とう感覚が強かった。それでも、今あのメーデーの佳き日のことを懐かしく思い出す。

 1月4日が「働きもしない、意味のない出社」ということで労使の合意の下、休日となったのも、あの頃のことであった。その前は、1月4日には女性社員の大半が着物を来て出社し、職場は大いに華やいだものだ。会社では社長の年頭の挨拶の後、職場にてビールを飲んでお終い。そして若手の社員達は、着飾った女性社員と一緒に喫茶店に入って雑談する。嗚呼、あれも新年の佳き日だったなあ!

 今、ああいった場、時空にわが身を置けたことに大いなる幸せに感じる。会社を去って早20年。今でも当時の仲間と時々連絡を取るが、それは年々歳々かけがいのないものになっている。想えばあの組合の仕事だって、大した仕事をした訳ではないが、昼に組合の部屋で雑談をし、仕事の後にちょっと部屋に寄れば飲み会に引っ張り出される。それが午前様になることが多く、翌朝は結構しんどい思いをしたが、根が嫌いではないのだから致し方ない。そうですね、「居場所」、僕は幸運なことにそれが結構多かった様に思う。何をする訳でもなくそこに居られたこと、メイデーの春の佳き日も、1月4日の仕事のない仕事始めも愉しかった。

 ちょうどあの頃、ソ連邦が崩壊に向かい、日本はバブル経済へ、西側の国々は「平和の配当」を享受した。その先には「平和の時代」が待っている筈であったが、昨今の国際情勢はそんな穏やかなものではない。経済史的に考えても、当時ネガテイブに捉えられた冷戦構造は、西側(資本主義体制)と東側(社会主義体制)の両陣営が一般民衆・労働者に対して、それぞれの国家の存続を賭けて、サービス合戦に血道を上げた時代、という見方も出来そうだ。近年、「経済格差の拡大」が社会問題として取り上げられているが、この現象は、「社会主義」なる競争相手が失われ、資本主義の独壇場となったことにより、必然的に起こった事象とも言えそうです。今、あの春の佳き日の行進、組合の大会で聞こえて来る紋切型の表現がとても懐かしいものに感じます。

 何だかややこしいことを書いてしまいましたが、そうですねえ、「こうでなければ生き残れない」とか、市場原理の名の下、誰もが黙って実は「自分だけよければいい」思っている様なおぞましい社会は願い下げですね。それでは。

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