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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

ヒグマに遭う

 先日、知床半島南東岸の羅臼町の相泊集落から知床岬方面・観音岩付近への散歩の帰路、クズレハマ川河口付近にて、ヒグマに遭遇。一対一の遭遇で肝を冷やしたが、幸い追われることはなく、事なきを得ました。無論遭遇を期待していた訳でなし。むしろ遭いたくはなかった。でもヒグマが生息していること、一般に秋の河口には鮭が遡行し、それをヒグマが食べにくることは知っていた。見晴らしの効く海岸線の散歩ならば大丈夫だろう。ヒグマがいたら引き返せばいい。そう軽く考えていたが、仮に復路に遭遇した場合は、自動車を置いた相泊に戻れなくなる。そのことに気づいたのは歩き始めた後であった。また実際に往路にはいなかったヒグマが復路にはいた訳でして、結果的には事なきを得たものの、やはりこの散歩はハイリスクであったと思う。という訳で事の顛末を報告します。

 今夏・秋の網走・釧路沖のミンククジラ操業はひどい不漁。10月の気象は不安定で、働けない日が多かった。そんな折、40余年前に遊んだ知床に行ってみよう、という気になった。実際に行ってみれば、いろいろと当時のことを思い出した。宇登呂から知床峠を越えて羅臼町へ。さらに知床岬方面の最終集落相泊までドライブして、そこを少し散歩しているうちに、かつて知床岳の下山ルートに使ったウナキベツ川河口まで行ってみよう。そんな気になった。かつて歩いた記憶を辿る旅は愉しい!「天気晴朗にして風強く」働けない日を選んで行ってみることにした。まあ無理して目的地まで辿り着く必要はなし。気楽な旅である。

 当日の出発は正午前。電話仕事をしていて、出発が遅れた。14時頃相泊集落着。羅臼町役場に一応電話を入れ、最近のヒグマの目撃情報を照会する。春に知床岬手前の赤岩付近でハイカーがヒグマに追われたことがあったらしいが、その後は目撃情報なし。まあ、海岸線を歩く分には見通しも効くし、もし先にそれらしきものが見えたら逃げればいい。そう考えていた。

 相泊発。一本目のカモイウンベ川を長靴で渡る。前回はここまで歩き、小さな河口部に鮭が蠢く様子に感動し、「よし、次回はウナクベツ川まで歩こう!」と決心した場所である。この辺は今では使われていない鮭漁の番屋が残っている。もう少し歩いて、クズレハマ川河口に到着。この川には簡単な橋が掛かっていて、それを渡る。復路にこの橋を渡る数秒の間に、川の上流部・至近距離にヒグマが1頭いるのを目撃した次第である。

 そこから先は引き続き見通しのよい海岸線を歩く。今日は国後島がやたらに近く見える。最初は小石の上を歩く感覚だったが、崖下の海岸は大きな石が多く、歩行ルートを選ぶ感覚であった。快晴だが、やはり秋は日が短い。

 その頃から考え始めた。もし帰路ヒグマに遭ったらどうしようか?見通しがいいので随時逃げればいいと考えていたものの、帰路後ろに逃げるということは知床岬方面に逃げるということ。その場合は海岸で一夜を明かすことになる。流木は多いので、焚火はできそうだが、、、もっと新聞紙を持ってくればよかった、防寒の為にも。まずは身の安全が第一だが、もし「帰れない」ということになると、社会的な影響が大きく、厄介だ。

 そんな不安を感じながら、観音岩に向かう。観音岩を越えたあたりがウナキベツ川河口であるが、遅いので無理することはあるまい。そんな感覚で、観音岩への最初の巻道の上で小休止。15時15分頃、相泊に戻ることにする。1時間強の散歩。今日はこれで良しとすべきであろう。

 巨岩の海岸線を歩く。結構汗をかいた。廃屋とは言え、鮭の番屋のあるところに着くとほっとする。クズレハマ川に到着。恐らくは16時頃、件の橋を渡ると、上流部にヒグマ1頭を発見!本能的に「大騒ぎをしてはいけない」と考え、何事もなかった様に速足で橋を渡る。その後も早足でグングン歩く。どうやら熊が追っている気配はなさそう。初めて振り向いたら、やはり熊はいない。その後しばらく走った。再度振り返ったが、やはり熊はいなかった。ところが、もうすぐカモイウンベ川河口に着く。もしこの河口にも(別の)ヒグマがいたらどうしようか?この河口には橋はなく、長靴で渡渉しなければならない。ヒグマに遭ったら厄介なことになる。後ろに逃げても、クズレハマ川には例のヒグマがいる。だったら相泊港まで遠くはない、河口から海に入り、港まで泳ごうか?そんなことを考えながら、クズレハマ川最下流部からその上流部を祈るような気持ちで眺める。ヒグマはいない!よかった!少し上流部の浅瀬を無事渡渉。もう大丈夫だろう!助かった!相泊には後10分も歩けば着く!

 相泊の駐車場着。早速ことの顛末を羅臼町役場に連絡した。担当の方に拠ると、やはり相泊から先を歩く人々はせいぜい釣師が若干名で、ヒグマ目撃情報は極めて少ない由であった。

 
 という次第でありました。今回は「一対一の遭遇」と言っても、真正面の遭遇でなく、ヒグマからすれば「横をすうっと(鹿の如く?)通過した動物がいた」といった感覚だったと思う。「すうっと通過出来た」のは、あのクズレハマ川の橋のお陰であったと思う。もし橋のない河口で遭遇していたら、より長い時間ヒグマと向き合う状態になっていた筈で、相当に厄介なことになっていた!運がよかったと実感!尤もその後のミンククジラの不漁を想うと、あれで我が運勢を使い尽くしてしまった!そう考えられなくもありません。それでは。

読書の秋?

 秋の深まれり!当地では澄み切った青空の日々が続いています。朝晩の気温は下がり、夕暮の訪れが早い。秋愁。秋の夜長。「読書の秋」というのはそういった雰囲気に対応するものかと思う。

 尤も10月の北海道の海は快晴でも概して風が強い。引き続き漁模様は芳しからず。季節にかかわらず、漁が悪ければ概して僕は暇。それも芳しからざる精神状態下の「暇」にて、「精神の救済(?)」を求めて古本屋を訪れる。今年は春夏秋と長期の不漁を経験。その結果、普段では読まないであろう本を読むこととなった。

 パール・バック著「大地」4巻を読了。山崎豊子の「大地の子」はこの本の強い影響を受けていることに気づく。たまたま有吉佐和子の紀行文等を読んだが、彼女の「複合汚染」もレイチェル・カーソン著「沈黙の春」との関係性が強い筈。両方とも未読だが、そう推察した。我が母親は戦後に旧制の女学校から新制の高等学校に移り、短大で英文学を学んだ世代。アメリカ映画が好きで、「大地」については「バッタの大群が中国の大地を覆う風景」を子供の頃母親から聞いた記憶がある。やはり戦後日本の文壇に米国文化の及ぼした影響は甚大なり。今更ながらそれに気づいた。

 コロナ禍で騒然とする社会、「生き物としての人間の本質」という観点から、様々な提言をする山極寿一の姿勢に感銘を受け、「サル学」の本を多読した。現生類人猿の群れへの「生態的参与観察」に拠って得られたデータをベースに、現存する類人猿や発掘された旧人類の遺物のDNA解析等、自然・社会科学全般の知見を統合し、「人間の本質」に迫ろうとする姿勢は誠に健全である。

 その山極先生の関連で「京大変人講座」なる本を購入。その中の「なぜ寿司屋のおやじは怒っているのか」という経営学者の論説は面白かった。一般に「サービス」という概念は、市場に供給される「商品」と同様なものと考えられている。従い「質の高いサービスは市場で高い評価を受け、その価格は高い」というイメージで僕らは理解している。でも、それならば、なぜ寿司屋のおやじは怒っているのか?普通は誰も「怒られたくない」のだから、怒っている寿司屋のおやじのサービスの質は低いと見なされ、その対価(値段)の方は安くて当然である。ところが現実はそれとは真逆だから、寿司屋のおやじは怒ることをやめない。これは矛盾? 否、「サービス」を「その主体と客体が価値を共創するもの」と理解すれば、その矛盾は解消するのだ。つまりサービスを受ける客体がどう思うかはその主観に拠るし、サービスをする側も受ける側もそれぞれ主観を持った人間。両者の間で形成される関係性が、客体の主観に影響を及ぼすということであろう。

 長引く暇な長期出張生活。春はコロナ禍で遠慮したが、最近当地周辺で感染者が出たことはないので、僕は時々居酒屋に行く。ひとりで行くことが多いので、小さな店の止まり木にて一杯やりながら、地場の食べ物を愉しむことが多い。大きい店に行かないのは、そこでは「価値の共創」が起こりにくいから。止まり木で時々店主と話しながらの飲食。そこで(結果的に)「共創される価値が高い」から、僕はその店に通うのであろう。尤も店主の方も「僕と共創したサービスの価値が高い」と思っているかどうか。それは本人に聞いてみないとわからない。が、人間という生き物はそれを結構敏感に察知するものと思う。食事の場面、特に「共食の場面」は相互の共感を育み、相互の存在と親近性を認め合う場面だから。それでは。

網走秋冷索索たり

 久しぶりに書きます。今夏網走入りしたのが8月13日。早2ケ月が経過。このオホーツク海岸の街でも当初は30℃超えの日もあったが、やはり北国の秋の訪れは早い。明朝の最低気温は2℃の予想。先日山には雪が降った模様で、海上に浮かぶ知床の最高峰羅臼岳は冠雪し、朝日に輝いている。今日は週末ということで、処理場前の砂浜には釣り竿が林立。秋は鮭が河川を遡上・繁殖する時期だが、当地では海岸での釣りは一般に開放されている。

 想えば昔、鮭(シャケ)というのは無茶苦茶にしょっぱいもので、子供ながらに「しょっぱくないシャケを食べてみたい!」と思ったものだった。そう言えば昔札幌の友人は「シャケじゃなくて、サケだよ。お前のシェケは如何にも不味そうだ!」と言われたっけ。昭和末期から平成前半にかけては、秋鮭は「脂の薄い人気のない魚。安いので弁当屋さんが使う」というものだった。「猫またぎ」等という汚名さえ着せられていた。一方で販売不振が故にそれは凍結され、安値で大量に中国向に輸出され、そこで骨と皮を完全に除去した切り身となり、欧州の市場に供給されていた。ところが近年秋鮭の漁獲量が水温上昇等の影響もあってか、大幅に減少。鮭定置網に鮭よりもブリが多く入ることもあると聞く。その漁獲量の減少を受けて、魚価は上昇。尤もそれは「昔の価値を取り戻した」ということであろう。滞在先の朝食でも焼き鮭が供せられるが、確かに「昔の魚の味」がする。昨今の一般的な嗜好は「脂が乗り程よく軟らかいもの」を美味と感じる傾向が強い様に思う。一方でそれは「ゆっくりと咀嚼して、タンパク質の味を愉しむ」食べ方とは真逆であり、故に「脂の少ない硬い食べ物」は敬遠されることが多い様に思う。でも「脂の多い軟らかい」食べ物は概して早食いの対象であり、「脂の少ない硬い」食べ物の摂取にはそれなりの時間がかかる。

 このコロナ禍、感染防止の観点から「社会的な距離」や「リモートワーク」が云々される世の中。「他者とのつながり」を実感する「共食」という機会は貴重であり、心してそれを大事する必要があるだろう。そんな「共食」には案外「摂食に時間のかかる、じっくり味わう食べ物」が似つかわしいのではないか。そしてその「昔の味」を会話の中で語り合うのは結構愉快なことではないか。そんなことに思い当たりました。捕鯨は食べ物の仕事。僕自身食べ物全般についてよく勉強し、実際に調理し、食べる時間を大切にしたい。そう考えるに到りました。

 それにしても、今夏のオホーツクのミンク漁は誤算続きだった。海況は毎日ベタ凪ぎで、大型のナガスクジラ等は多数見えるが、とにかくミンクがいない。網走では過去3年間6-8月に捕獲調査を実施。連日の捕獲に睡眠時間の確保に苦しんだ記憶しかなく、今回は全くの想定外であった。遥か北西方の海域でも操業したが、やはりミンクが見えない。海況は良くても、獲れる気配のない海域での操業はとても苦しいもの。捕獲の吉報を待っている僕ら陸上の解剖員にとっても精神的にきついところだ。人為的な側面においては、「誰が悪い訳でもない」のに、現場はとげとげしい厭な雰囲気に包まれる。結局同業他社の皆さんや、地元の網走や釧路の皆さんのご厚情を賜り、9月に漁場を釧路沖に変更して現在に至っている。しかし今秋はひどい天候不順。1週間全く出漁できないことが何度もあった。それでも、数少ない出漁日にはそれなりに捕獲することも出来た。オホーツク海でくすぶっているのと比べれば、まだましであったと思うし、関係者の皆さんに感謝している。それでも、本来であれば9月の中旬にはミンク漁を切り上げ、和田浦のツチ漁を再開するつもりだったのだ。今夏7月上中旬は天候不順で全く働けず、貧漁に終わったことが今になって響いている。実質的な商業捕鯨の初年度、まさかミンクの捕獲枠を大きく取り残す訳にはいかない。それが業界の総意である。各社それぞれの事情を抱えているが、とにかくミンクの残された捕獲枠を消化する方向で一致団結働いている。尤も頑張ってみようとしても、海況が悪ければ、働けない。空回りする気持ち。それも漁業という仕事の本質とも言えそうだ。

 船が働けない日は、終日暇になる。ただ宿の部屋に籠っていては、精神的に破綻する。そんな訳で夏以来網走を随分歩いた。過去3年の網走は多忙で歩かなったので、それは将に「新規ルート」の開発。数少ないJRの便を組み合わせる形で多方面の散歩を愉しんだが、やはり圧巻は「鱒浦=>女満別」の通称「感動の径」の田園ルートだった。40余年前の思い出の詰まる知床に何度も足を運んだ。そこでは何とヒグマに一対一の遭遇。初体験!肝を冷やしたが、まあ無事で何より!嗚呼、でもあれで我が運を使い尽くしてしまったか?ヒグマとの遭遇のことはまた別途書きましょう。とりあえず北国の短い秋、最後まで、働けるところまで、頑張れる時に頑張りたいと思います。それでは。また書きましょう。以上

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