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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

空は青いな大きいな

 久しぶりの快晴の朝。ベランダでコーヒーを飲みながら、裏山の方を見てつぶやいた。
「空は青いな 大きいな」と。

 おやおや、これじゃあ、「海の歌」と同じだ。尤も「青い」は2番の「青い波」で、1番は「海は広いな 大きいな」だけど。でも「月は昇るし 日は沈む」は、主語を「空」にしても差し支えない。

 そう言えば遠い昔、まだ長女が小さい頃、第一子ということもあってか、彼女の扱いが大変だった。車に乗せてしばらくすると、退屈なのか大いに愚図る。義母が「もしもし亀よ、亀さんよ」と歌いだすと、それに唱和し、しばしご機嫌だ。ところがそれに飽きると、またまた愚図る。今度は玩具の紙製のラッパを吹かせたりして。とにかく疲れて眠るまでは、大変だった。

 そんなこともあって、長女のことで「海の歌」の替え歌をつくったことがある。

 OOをお舟に縛り付け 行ってしまえよ よその国

 これにはアメリカ在住の姪が大いに笑ってくれたものだ。でも、我が国には昔から「言葉には霊が宿り、発した言葉が現実世界に影響を及ぼす」とする文化がある。加えて「幼児を小舟に縛り付けて、よその国行ってしまえ」とは虐待の最たるものだ。こんな童謡を使った冗談も言えないとなるとどう仕様もなく動揺してしまいそうです。貴見も同様ですか?以上暇つぶしに書いてきました。それでは。

(追記)以前「節水」のことを書きましたが、小向ダムの貯水率は28日が80%越え、29日は90%を越えまして、断水のリスクは見事に消え去りました。27日の雨は冬としてはまあまあの降りだったとは言え、こんなにも貯水率が上昇するとは思いませんでした。うまくすると安全圏の50%に届くか?と期待していた次第。やはりこのダムは流域面積に比して容積が小さい。但しこの容積で地域の上水需要は十分に賄えるということなのでしょう。逆に大雨の時には放流作業を怠ると大変なことになるのでは?そんなことも考えました。でも、やはり断水は大変な災難です。回避できて良かった、嗚呼良かった!

知床でヒグマに遭う

  昨年11月に千葉エルム会なる同窓会組織から依頼を受け、その会報に昨秋知床でヒグマに遭った経緯を執筆・投稿しました。尤もそのことは昨秋このブログで紹介した次第ですし、その原稿を書くにあたり、昨秋書いたものをそのままコピーしてつなぎ合わせたというのが実情であります。まあ双方共僕が書いたものなので、著作権の問題は無し。エルム会々報の方も既に印刷されて活字なっています。という訳で、枯れ木も山の賑わい、それをそのままアップしましょう。

 今朝当地では豪勢(?)な激しい雨が降っています。雨雨降れ群れもっと降れ!市の小向ダムの貯水率の広報を愉しみです!それでは。


(追記)本日の貯水率は43.0%との市の発表。またホームページでも(断水の)Xデー予測の基準日を1月4日から、昨日26日に変更。そのシミレーションに拠ると最短のXデーは3月15日となっています。さらに貯水率の本日27日の増加、今日の豪勢な雨の影響による明日以降の増加、また明晩も降雨の予想なので、まあ大丈夫でしょう!嗚呼良かった!

「知床でヒグマに遭う」
 昨年の5月、仲間内で物故した友人を偲ぶ会を手稲山の小屋で開催。残雪の野山は北国の春の風情に溢れ、林間からは青い海と真っ白な暑寒別の山脈が望まれ、懐かしかった。旧友との再会も愉しく、夜通しよく飲みよく食べよく話した!翌朝札幌に戻り、駅前で解散。時間が空いたので北大構内、そして昔の通学路を散歩することにした。北大構内ではやたらに新しい建物が目に付き、我が記憶の中にある静謐な佇まいが感じられない。通学路に至っては、記憶に残っている建物はほぼ皆無。残念ながらかつて感じた様な「懐かしさ」が一向に湧いてこない。
 尤も札幌を離れたのは遠い昔のこと。彼の地の立場からすれば「去るものは日々に疎し」ということであろう。かつて札幌の街を「第二の故郷」と公言していたが、やはり「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのであろう。三十余年の歳月が過ぎ去り、街は変わり、人々は老い或いは物故し、己自身も変質している。そんなことを実感した。
 それでも、沿岸小型捕鯨という仕事の関係で、函館・釧路・網走といった北の街と新たな
関係性を結ぶことが出来た。特に釧路には平成14年以降毎秋滞在し、いつの間にか「第二の故郷契約(?)」を結んでしまった感覚さえある。
 そして今年は商業捕鯨の実質的な初年度。網走にお盆の時期から10月一杯滞在。ミンククジラ操業に従事した。過去3年間も春から夏にかけて網走に滞在したが、多忙な生活を強いられ、当地の生活を愉しめる状況ではなかった。ところが今夏は網走沖に全く鯨がいない!漁模様の回復は望み薄で、その後操業海域の調整等によって少しは挽回出来たものの、不本意な結果となった。長い暇な時間が発生した。という訳で前置きが長くなったが、今日は約2ケ月半に渡る網走での生活の中で、過去の記憶を辿る己が行動の所産として、期せずして生まれて初めてヒグマに遭った話を書こうと思う。
 元来怠け者の僕であっても、数日間仕事のないのはつらいものだ。鯨が獲れれば、それを解体したり、日本中の市場に出荷したりして時間は過ぎていく。しかし、とにかく鯨が獲れなければ具体的な仕事は始まらない。ホテルの部屋に籠っていては気が滅入る。そんな訳で、僕は専ら歩いた。松尾ジンギスカンを目当てに網走湖岸を隣の呼人駅まで歩く。山の博物館群を徒歩で巡る。能取湖岸まで往復。遠望の効く広大な田園の径を20km程歩く。長時間歩いていれば概して気分は爽快である。またホテルに戻っての入浴とビールは格別だし、晩飯も美味しい。歩くことで心の平和を保つ。そんな感覚であった。
 そんな網走での生活。自動車で遠出することもあった。休漁の朝、思い立って網走発、40余年前の海と山を巡る旅の思い出の詰まった知床に向かう。網走の道の駅付近でヒッチハイクの若者を発見。「標津・根室方面」という看板が目に入る。遠い昔登山の帰路、何度もドライバーの皆さんにお世話になった我が身。その恩に報いるのが筋であろう。車を止めて意向を聞いてみる。「知床にも行ってみたい。是非乗せて下さい。」ということだし、羅臼で降ろせば、標津・根室方面にも行けるであろう。意外な形でO君という同行者を得る。
 宇登呂の街は大きく変貌していた。昔は露天の小さなお土産物屋さんが連なり、その前は観光客でごった返している感じだった。海辺には港があるだけで、僕らと言えば当然の如く砂浜にテントを張っていた。近くにゴジラの様な形をした岩が屹立している様が印象的であった。その遥か後に知床は世界遺産に登録され、宇登呂はその観光拠点となった。街には立派なビジターズセンターや道の駅や整備された。記憶に残る昔の面影と言えばゴジラ岩のみだが、そのすぐ横には巨大な観光ホテルが建っている。ゴジラも昔の元気がない。何だがそぐわない。記憶を辿って歩くことを諦め、知床峠経由羅臼に向かう。この峠道は僕らが訪れた頃はまだ建設中で開通していなかった。それにしても羅臼岳は立派な山だ!峠付近はハイマツが多く、森林限界が極めて低いことを物語っている。峠からは国後島が見える。
 このドライブの道中、僕はO君に昔の記憶を語った。語っている内に、思い出したこともある。思えばあの時僕らは羅臼のお寺の境内にテントを張らせて貰った。この令和の世に寺院を訪ね、「テントを張らせて貰えますか?」なんて頼んでも間違いなく断られるであろう。でも当時寺院は「公共の施設・場所」という雰囲気があったのではないかと思う。そう言えばお寺に小学生の娘が二人いて、テントに遊びに来たっけ。そんなことを思い出した。
 羅臼に着き、漁港付近を走った後、標津方面の国道沿いでO君を降ろす。気を付けいってらっしゃい!僕はと言えば、昔泊めさせて貰ったお寺を捜すことにした。しばしコンビニに車を置かせて貰い郵便局や町役場付近を歩いた。神社はあるがお寺は見つからない。諦めて車に乗って川を渡るとそこに結構な立派な寺院を発見。ひょっとしてこのお寺かしら?境内に入ると左に鐘楼がある。そうだ、この辺にテントを張ったのだ!ふたりの小学生の娘が寄ってきて、「この5人のお兄ちゃんの中で誰が一番格好いいか?」等と他愛のない話をしていたことを思い出す。あれから40余年。あのふたりの娘達は今では50歳前後となっている筈。これも他愛のない想像だが、何だかとても豊かな気分になった。望郷の丘から羅臼の街を眺めている内に、昔知床岳の下降ルートに使ったウナキベツ川河口まで行ってみようか、という気になってきた。あの下降路は川が伏流を繰り返し酷暑の藪漕ぎを強いられ、コケで滑りやすい決して快適とは言えないものであった。夕刻満身創痍の状態で何もない河口に辿り着いた時の小さな河口と海岸の風景を覚えている。
 そして、10月の快晴にして強風の日、再び知床の相泊に向かう。当日の出発は正午前。電話仕事で出発が遅れた。14時頃相泊集落着。羅臼町役場に一応電話を入れ、最近のヒグマの目撃情報を照会する。春に知床岬手前の赤岩付近でハイカーがヒグマに追われたことがあったらしいが、その後は目撃情報なし。まあ、海岸線を歩く分には見通しも効くし、もし先にそれらしきものが見えたら逃げればいい。そう考えていた。
 相泊発。一本目のカモイウンベ川を長靴で渡る。前回はここまで歩き、小さな河口部に鮭が蠢く様子に感動し、「よし、次回はウナキベツ川まで歩こう!」と決心した場所である。この辺は今では使われていない鮭漁の番屋が残っている。もう少し歩いて、クズレハマ川河口に到着。この川には簡単な橋が掛かっていて、それを渡る。
そこから先は引き続き見通しのよい海岸線を歩く。今日は国後島がやたらに近く見える。最初は小石の上を歩く感覚だったが、崖下の海岸は大きな石が多く、歩行ルートを選ぶ感覚であった。快晴だが、やはり秋は日が短い。
 その頃から考え始めた。もし帰路ヒグマに遭ったらどうしようか?見通しがいいので随時逃げればいいと考えていたものの、帰路後ろに逃げるということは知床岬方面に逃げるということ。その場合は海岸で一夜を明かすことになる。流木は多いので、焚火はできそうだが、、、もっと新聞紙を持ってくればよかった、防寒の為にも。まずは身の安全が第一だが、もし「帰れない」ということになると、社会的な影響が大きく、厄介だ。TVや新聞で「ハイカー1名が行方不明」等と報道されるのは困る。
 そんな不安を感じながら、観音岩に向かう。観音岩を越えたあたりがウナキベツ川河口であるが、遅いので無理することはあるまい。そう考え、観音岩への最初の巻道の上で小休止、相泊に戻ることにする。1時間強の散歩。今日はこれで良しとすべきであろう。
 巨岩の海岸線を相泊に戻る。結構汗をかいた。廃屋とは言え、鮭の番屋のあるところに着くとほっとする。クズレハマ川に到着。恐らくは16時頃、件の橋を渡ると、上流部にヒグマ1頭を発見!10メートル程の距離だったと思う。本能的に「大騒ぎをしてはいけない」と考え、何事もなかった様に速足で橋を渡る。その後も早足でグングン歩く。どうやらヒグマが追っている気配はなさそう。初めて振り向いたら、やはりヒグマはいない。その後しばらく走った。再度振り返ったが、やはりヒグマはいなかった。良かった!ところが、もうすぐカモイウンベ川河口に着く。もしこの河口にも(別の)ヒグマがいたらどうしようか?この河口には橋はなく、長靴で渡渉しなければならない。ここでまたヒグマに遭ったら厄介なことになる。後ろに逃げても、クズレハマ川には例のヒグマがいる。だったら相泊港まで遠くはない、河口から海に入り、港まで泳ごうか?そんなことを考えながら、クズレハマ川最下流部からその上流部を祈るような気持ちで眺める。ヒグマはいない!よかった!少し上流部の浅瀬を無事渡渉。もう大丈夫だろう!助かった!相泊には後10分も歩けば着く!
 相泊の駐車場着。早速ことの顛末を羅臼町役場に連絡した。担当の方に拠ると、やはり相泊から先を歩く人々はせいぜい釣師が若干名で、ヒグマ目撃の報告は極めて少ない由であった。
 とまあ、そんな顛末でありました。今回は「一対一の遭遇」と言っても、真正面の遭遇でなく、ヒグマからすれば「横をすうっと(鹿の如く?)通過した動物がいた」といった感覚だったと思う。「すうっと通過出来た」のは、あのクズレハマ川の橋のお陰であったと思う。もし橋のない河口で遭遇していたら、より長い時間ヒグマと向き合う状態になっていた筈で、相当に厄介なことになっていた!運がよかったと実感!尤もその後のミンククジラの不漁を想うと、あれで我が運勢を使い尽くしてしまった!そう考えられなくもない。
 という訳でして、今秋の網走滞在中は僕自身「静かに記憶を辿る旅」を気取ってはみたものの、思いの外、劇的な結末が待っていたました!来年以降も網走に滞在する機会はあると思われますが、流石に再度「ウナキベツ川」を目指す勇気はありません。それでも、齢十八にして北海道の大地と結んだご縁。これからもこのご縁を大事にして、身の安全に留意しながら、「記憶を辿る旅」を続けていきたいと思います。以上

当地の節水事情

 先週は「不要不急」ではない用事で宮城県の鮎川に出張。久しぶりに事業所から宿まで夕刻の散歩を愉しんだ。彼の地は広葉樹が多く、冬枯れの樹林に西日が差し入る。その様は少々寂しくはあるが、やはり美しいと思う。一時積雪もあったと聞くが、雪は残っておらず、海に浮かぶ金華山や網地島・田代島といった島々も冬枯れの様相であった。一仕事を終えた安堵感。久しぶりの出張は愉しかったが、千葉県は緊急事態宣言下にある。早々にも帰郷することにした。

 その週末、房州は雨の予報。降水量は結構多そう。それじゃあ折角週末に帰宅しても散歩は不可だが、実はその「相当量の雨」を僕は大いに期待していたのだ。昨年末に当地の小向ダムの貯水率は30%まで下落。貯水率が20%を割り込んだら即断水、というのが市の判断であり、このダムに上水を依存する和田町から丸山町・千倉町の一部では大変な騒ぎとなったのだ。昨夏は連日の雨で一向に働けなかったことは記憶に新しいが、秋に実施した水門工事の為の放水と、その後の降水量が極端に少なかったことが、その「地域限定」の水不足の原因らしい。一昨秋は台風由来の停電と断水、昨夏は大雨で働けず、今冬は断水?まさに踏んだり蹴ったりである。

 断水リスクが顕在化すると、特に宿泊施設の皆さんは大変なことになるらしい。断水となれば、お客さんの受け入れは全面的に不可能となる訳で、とりあえず「正月明けに断水の可能性がある」と公的に発表されれば、予約をいただいているお客さん全員に連絡し、一旦全ての予約を解約する。そして実際に断水とならない確信を得た段階で、再度お客さんに連絡し、宿泊可能な旨を連絡する。お客さんを巻き込む形で、そんな極めて神経質かつ不安定な仕事を強いられる由なのである。また僕の担当する食品製造の仕事も水がなければ全く働けない。零細とは言え、それなりの数の人々が働いているのだから、休業補償を期待するのは非現実的であろう。そして何よりも、「普段当たり前のことの様に供給し続けてきた製品を生産・出荷できなくなること」が何よりも痛手なのだ。という訳で昨年末以来、僕は「雨よ降れ!大いに降れ!」と、青空の下を快適に散歩しながら、念じていた次第である。

 かかる状況下、市役所は他水系の河川から小向ダム上流に原水をポンプで流し込み、多くの自治体の支援を受けて公共施設や病院等の施設に他所の上水を給水車で供給。その量は累計で前者は7万トン、後者は3千トンを超える。それに加えて住民に対し「断水を回避する為の節水」を呼びかけた訳だが、それはとても効果的であった様だ。当地では市が説明会を実施すると言えば、日々の生活に甚大な影響を及ぼす問題、人は集まる。「皆出席するらしいから、うちも出席しないと」といった心理も働く。その場で市から「断水を回避する為に節水に協力を!」と言われれば、大半の人々が鋭意節水を始める。現況では洗濯物を干すこと自体が憚られる雰囲気があるそうだ。我が家でも、家人は館山の実家で洗濯し、風呂を使う。かく言う僕もトイレの小の方は・・・・(尾籠な話なので説明をやめませう)とか、風呂の湯は体を温める為のものと割り切り、同じ湯を何度も沸かして使う(昔の学生寮の風呂を想えば、「通し」だ!)。手洗いにしても、蛇口を閉めた後に、手を石鹸でより丁寧に洗う様になった。そして、これが億劫かと言うとそうでもなく、案外愉しかったりするものだ。尤も普段から井戸水を使って洗濯している人が(憚られて)洗濯をしにくくなる等、不合理な話を耳にすることもあるが。

 そしてこの週末は終日雨の予報。昼頃には大粒の雨が降ることを期待していたが、大して雨は降らずがっかりした。時に散歩に出てしまおうか、想う程度の小降りであった。でも結構長い時間降っていたので、小向ダムの貯水率に注目していた。23日(土)の数字は34.2%、24日(日)は35.5%。まあこんなものだろう。タイムラグがあるので、翌日の数字に期待!25日(月)は39.4%に跳ね上がった!そして今日26日、昼休みの広報で40.2%と、ついに40%台に乗せた!明日・明後日と雨の予想。しかも明日は気温も高く、相当な降水量が期待できそうだ!これからも節水を継続するにしても、この雨でもう大丈夫なのではないか!

 という訳で、年末以来心配していた断水はどうやら回避できそうな状況です。そんなに雨が降った記憶はないが、恐らく小向ダムの容積は流域面積との関係では小さく、「降雨に対する感度が高い」ということかと思う。かくして心配事がまたひとつ消えつつある。

 引き続き早朝の散歩を励行。緋寒桜が咲きだしたが、未だ梅の花を見ていない。昨晩気象予報士が(前後の文脈はわからないのだが)「三寒四温」という言葉を発し、愕然した。「その言葉を使えるのは、早くても1ケ月以上後のことだろう!」と。今冬は日本列島南岸を低気圧が通過することが多く、当地でも何度か雪がちらついた。シベリアから寒気が入り、また同じ様な気圧配置になれば、積もらないにしても、また雪の降る風景が見られるのではないかと思う。雪中君子、梅の開花が待たれる。

新しい年に

  昨年末から年始にかけては仕事を抱え、概ね日常の生活を送っていた。ようやく人心地付いた感覚だが、早1月も半ば。ブログの方もここ1ケ月以上ご無沙汰してしまいました。改めまして、明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い申し上げます。

 今日の館山市の日の出は6:48、日の入りは4:50。一般に日の出と日没の前後30分は「野外で活動できる時間帯」とされる。最近日没は冬至の頃と比べれば早まった感覚だが、やはり夕刻の散歩は勤務時間と重なり難しい。一方で朝は出発時の暗闇も徐々に明るくなる気楽さがあり、引き続き早朝の散歩を励行している。家の近くの山に、電波塔に通じる林間の坂道がある。正月に未だ暗闇の支配するこの坂道を(例によってツッカケで)ゆっくりと呼吸を整えながら登っていたところ、「森羅万象」「自灯明」という言葉が浮かんできた。前日に伊藤若冲のドラマを観た影響もあるのだろう。暗闇の中、坂道の色調のささやかな差異を感じながら、呼吸に合わせて一歩々々足を斜面に置く。闇が支配する森を構成する万物と自己が一体化。そんな独特の感覚を得、今では概ね日の出の1時間前に山に向けて歩き出すことが日課となっている。勤務時間が決まっていない正月、無理して暗闇の中を歩くこともあるまい。そう考えて朝ゆっくりと出発したこともあった。が、それでは暗闇を歩く感覚、さらには朝日のもたらす繊細な色調の移ろいを味わえない。やはり暗闇から日の出の間の薄明りが最も美しいのだ。

 ネットで調べたところ、黄昏(たそがれ)とは朝夕の両方を意味することを知った。だがこの言葉はやはり「夕暮れ」に似合うと思う。それと「森羅万象」の意味も調べたところ、「あらゆる現象、宇宙に存在する一切のもの」と出た。さらに自動的に「森羅万象 英語」との表示が出たので、それで検索すると何と英語では「森羅万象」を「everything」と言うらしい。このバカバカしさには笑ってしまった。なお、「森羅万象」という言葉は、17世紀初頭に耶蘇会の宣教師が作成した「日葡(ポルトガル)辞典」に掲載され、その使用例として「御主デウス森羅万象ヲツクリタマウ」と紹介されているらしい。英語の「everything」ではあまりにお粗末なので、他の言葉を探したところ、(Nature) (all nature) (all creation) (the universe) (whole the creation)、やはりあまり感心しませんねえ。

 という訳で、引き続き歩いています。寒さが厳しく、時に運動靴の暖かさを新鮮に感じたことがあったが、昨朝は次男の古いバスケットシューズを履いて靴擦れを起こした。やはりツッカケはいい!11月以来、銀杏の黄葉を愛で、時に銀杏の葉の散った黄金の小道を愉しみ、最近では朽ちた落葉の道には水仙が香っている。田畑が真っ白になる雪の日もあった。そう言えば11月末に右上半身がかぶれ、ハゼにやられたかと思い軟膏を塗ったが一向に治癒しない。主治医に診て貰ったこところ、「これは漆じゃあないよ、毛虫だねえ。」と。ああ、あの椿の木だ!とピンときた。当地では11月の山歩きではツツガムシ(「つつがない」の語源の虫)の侵入を避ける為、首にタオルを巻く習慣がある。それは茶毒蛾の幼虫(毛虫)にも有効と思い当たり、それ以来首に日本手拭を巻いて歩いている。かぶれの方も概ね治癒、右上腕に僅かに残った(もう痒くも何ともない)できものに申し訳程度に軟膏を塗りながら、この晩秋から冬の生活を偲ぶ毎日を送っております。

 という訳で、コロナ禍の緊急事態宣言で騒然とするご時世。また当地では断水リスクを抱え、日々節水に励みつつ小向ダムの貯水率の推移を注視する毎日ですが、まあ静かにぼちぼちと働いていきたいと思います。それでは。今年もよろしくお願いします。

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