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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

釧路闊歩!

 昨日釧路は晴天だったが、沖は時化で働けず。朝BSで大河ドラマ「黄金の日々」を観た。この物語の原作は城山三郎さんで、戦国期の堺の豪商呂宋(ルソン)助左衛門、大泥棒の石川五右衛門、信長を銃で狙撃した善治坊の3名が堺出身の親友、という荒唐無稽なもの。でもこの物語の主人公はあくまでも「近世」という時代であり、それは海外との「商業」「交易」が隆盛を迎えた時代であった。時代考証も論理的で、そんなところが城山さんらしい。

 朝食後本を読んでいたが、仕事の疲れか、いつの間にか寝入っていた。目覚めたのは昼下がり。よく寝た!夕刻より散歩に出発。想えば、ここ十余年、駅からまずは幣舞橋を越え、川・海辺を歩いて知人町より弁天浜を巡るルートを性懲りもなく何度も歩いてきた。2年ぶりの釧路散歩であるが、無意識のうちにここ十余年の人生を反芻している自分に気づく。房州での散歩ではそういうことは起こらない。なかなかいいものだと思う。有難い機会である。さて、これからどう生きようか?還暦を迎え、死を意識することが若干増えた感覚。尤も本来、死を考えずして生は考えられないものであろう。死を意識する方が穏やかに生を考えられる。そんな実感はある。これからも一波乱も二波乱もあるだろう。(残念ながら)波乱の材料には事欠かない。

 弁天浜から、かつて海底炭鉱で採掘された石炭を運搬した線路跡を歩く。この海底炭坑は日本で唯一現存するもので、炭鉱運営の技術を残し、その技術を海外に移転させる役割を担っている。特に安全対策等のソフトの技術は多くの屍の上に得られたもの。国際社会は化石燃料、特に二酸化炭素の排出の多い石炭の使用を抑制する方向にあるが、日本の採掘技術は人類の築き上げた知恵として後世に伝えるべきものだと思う。

 かつてこの線路を越えて、海沿いの防潮堤に降りる急なコンクリートの斜面を降りる際、(いつもはツッカケで歩くのに)たまたま履いていた運動靴の右足を(摩擦で)残したまま、転落。右足首を複雑骨折したことがある。仕方ないので膝をついてその斜面を攀じ登り、線路を越えて車道に出て救急車を呼んだ。ところが今日はその斜面がどこだったか、確認が出来ない。線路を使わなくなったことで、工事でもして変わったのか?まあ、それはそれでいい。次回また確認してみよう。

 幣舞橋の方向に歩く。あの骨折事故で入院したS病院の前を通る。僕の右足首はこの病院での手術で骨をチタンで繋いで貰ったままであり、レントゲン撮影をすると、ほとんど建築工事現場の様だ。若い人は、骨がつながった段階で再手術して、金属を除去することが多いらしいが、僕は若くはない。骨の補強には役立つのでは、という判断もあって、この釧路で入れて貰ったチタンと共に散歩している。このチタンは、僕が逝った後に、焼き場まで運ばれることになる。釧路の人々にはお世話になったし、このチタンのことでも、切っても切れない関係になった。そう思うし、何故かそれが嬉しいのだ。

 幣舞橋を渡り、繁華街を歩く。北海道はとりあえず9月12日までは緊急事態宣言下にあり、多くの店が閉店している。かつてお世話になったが、店主が物故して閉店した店舗を眺めるのも、何だかとてもなつかしくて愉しいものだ。鉛筆削りを求めて駅裏の百円ショップを探したが見つからず。「これだ!」と直感した大きな店はパンチンコ屋さんだった。諦めてうらぶれた鉄北横丁を歩いたが、開いているのは一店のみ。それでも、ホルモン焼きの百萬両は開店している。流石にしぶとい!ただこの店、午前10時から焼酎を飲む人々がたむろす場所。酒の方はどうしているのかしら?駅裏の風情は、以前から既に相当に寂れており、ほとんど変化なし。唯一場外馬券売り場のみ新築されていた。

 地下道経由駅前に。地下道には地元の芸術家の描いた絵が展示されている。房州千倉にも海沿いの防潮堤にそんな場所があり、なかなかいいものだ。駅のセブンにて、北海道限定販売の「エビ入りあんかけ焼きそば」を購入。網走や女満別の街中華店には必ず「あんかけ焼きそば」があり、昨秋はよくそれを食べた。おそらくは北見か網走の中華屋さんがそれを出し始め、それがオホーツク地区に広がったものなのだと思う。当地釧路ではスパカツ(スパゲッテイーミートソースの上に豚カツが乗せたもの)が名物料理だが、それは泉屋なる老舗洋食店が始め、そこで修行した人々がスパカツを提供することで広まった由である。

 ホテル着。あんかけ焼きそばを肴に安物赤ワインの炭酸水割りを愉しむ。なかなかいい散歩でした。それでは。

北の国より

 19日に酷暑の房州発、釧路に入っています。当地の最高気温は20℃を下回り、一足早い秋の涼気を愉しんでいます。今秋より処理場を引っ越したので、まだ周囲の環境には慣れていませんが、宿は定宿で「ただいま!」といった感覚。捕獲の方は2日目に初漁あったもののその後は働けず。雨天でお気に入りの散歩ルートは未だ辿れずにいるが、まあぼちぼちと北国の秋の生活を愉しんでいきましょう。

 「釧路より」ではなく、敢えて「北の国より」という有名なドラマの名称の様な言葉をついつい使ってしまうのは、おそらくは「北の国」という言葉のイメージが好きだからかと思う。春に長期滞在した八戸でも「北の国」・「北の街」という言葉を使った記憶があります。一方で我が故郷房州のことを強いて表現する場合には「関東の片隅」という言葉を使ったりする。おそらくは「北」という言葉には僕自身「辺境」「片隅」といった意味を込めて使っているのかもしれません。尤も釧路も八戸も立派な地方都市。「辺境」なんて言ったら、地元の皆さんに叱られそうです。

 2年ぶりの釧路ですが、このコロナ禍で夜は駅前の大通りでさえ閑散としています。仮に国内のワクチン接種が順調に進んだとしても、何時になったら生活様式を元に戻せるものか、見当がつかいない。困ったものですね。ホテルではちょっとした事件に遭遇しました。
 僕と中年(?)の女性がエレベーターを待っていた。その後方に若者2名が賑やかに談笑。女性・僕の順番でエレベーターに乗り込んだ後、その2名の若者があわてて乗り込んできたので、僕は「開」のボタンを押す。若者が乗ったら、今度は女性が憮然としてエレベーターを降りた。若者2名と「随分と露骨ですねえ。」と話した次第です。因みに若者達はマスクを着用していました。彼女には人間が「コロナの感染源」にしか見えないのでしょうか?人間は人間との関係において生きるもの。コロナ禍でリモートワークの有効性が社会的な実感として立証される等、悪いことばかりではなかったとは思う。でもその「後遺症」が懸念されるところですね。

 ニュースではアフガニスタン情勢が頻繁に報道されています。一体911後のあの戦争は何だったのか?テロの温床を叩く目的で、タリバン勢力をアフガンの辺境の地に追いやった。そのタリバンが首都カブールを制圧。関係国は現在新アフガニスタンの復興の仕事をしている多数の自国民や地元の協力者を国外に脱出させることで躍起になっている。長期に渡る戦乱。その中で発生し溜まっていった人間の憎悪感。それがアフガン社会に何をもたらすか?関与している国々がすべきことをしたとしても、僕にはその後のことを悲観しています。

 最近ひょんなことから朝日新聞OBの松本仁一さんのエッセイを読んだ。「アフリカを食べる」は、子供の頃から蜂の子・イナゴ・ザザムシ等に親しんだ信州人である著者故に体験・書けたものと思われますが、とても愉快な秀作でした。一方で著者はアフリカの独裁国家の本質にも触れています。権力を握った為政者(独裁者)にとっては、自分の住む首都に食料が豊富に供給され、治安が維持されれば困らない。辺地の農民の生産した食料は社会主義の美名の下安値で買い取られ、辺地は飢餓状態に。そこに国連が食料支援をすれば、支援物資は転売されて、隣国に安値で輸出され、その地場農業を破壊する。地下資源が豊富な国で権力を握れば、その資源を多国籍企業に開発させて、為政者は莫大な富を手にする。それを守る為に兵隊を雇って戦争をする。

 そもそもアフリカ大陸には有史以来「国家」というものを持たなかった地域が多い。「国家」間の境界は欧州の旧主国が引いたものだ。アフリカの最高峰キリマンジェロ付近は不自然な境界線が引かれているが、それは英国の女王がドイツ皇帝に、誕生日のお祝いにキリマンジェロ山を贈ったものだとか。そもそも昔から部族間の紛争はあったのではあろうが、むしろ国家とその独裁的な為政者の誕生、多国籍企業の地下資源開発による国家収入の増大、文明の利器(?)たる武器の流入により、当地の人々は大変な不幸を背負わされることになった、と言えるかもしれない。そもそも国家とは何の為にあるのか?うんざりする様な現実ではありますが、それはそれとして受け入れ、国際社会はそこで何が出来るのか、考えていかねばなりません。そんなことを考えました。それでは。

静かな夏

 明日は当地ではお盆の迎え火の日。ご先祖様が13日の夕刻に家に帰ってきて、15日の送り火の日までしばし家に滞在します。故に常時であれえば今日あたりは、この過疎の街もお盆で帰省した人々の姿で溢れます。しかし今夏は緊急事態宣言が発動され、海水浴場は閉鎖。その駐車場も宣言に呼応する形で閉鎖されています。そんな訳で、今この街は驚くほど静かです。

 先日の散歩でほんの少し秋の気配を感じたのですが、どうやらその感覚は間違っていなかった様です。尤も気象の方は「梅雨の終わり頃に似た気圧配置」との由で、やはりこの時期としては異常と言えるでしょう。それでも、日の光の色とか強さが、真夏の頃とは微妙に変化している。当地の最高気温も30℃を割り込む予想にて、最低気温や湿度は未だ高いものの、もう真夏には戻らない。そんな感覚がありますね。

 新聞を読めば、アフガニスタンではタリバン勢力がいくつかの街を奪還。朝日新聞ではイラク情勢を報道しています。両国から米軍は徐々に撤退する方向。でもいわゆる911から始まったあの戦争は一体何だったのか?米軍が撤退すれば、それに協力的であった人々には何らかの報復が加えられる可能性が高い。何だかうんざり、やりきれない気持ちになります。

 まあ、これからお盆、そして15日は終戦の日。普段はあまり考えないあの世のこと、逝った人々のことをゆっくりと考えましょう。そろそろ北海道に向かわねばならない。でもお盆明けに所要があるので、このお盆は和田に残ることになりました。それでは。

五輪終了、酷暑残る。

 東京五輪もついに終了。一方で2つの台風が立て続けに本州を襲い、ニュースに拠ると青森県むつ市の大畑付近では洪水に見舞われている由です。大畑の皆様には春にミンク操業出来る大変お世話になりました。被害は如何ばかりかと心配しています。

 当地でもここ数日大雨に見舞われたり、強い風が吹いたり、目まぐるしく天候が変動。今日は晴天にして風強く、関東は内陸部を中心に40℃近い酷暑に見舞われています。当地でも30℃を上回っていますが、比較的湿度の低いカラッとした暑さ。そんな中、北海道での秋のミンク漁に移行する前の残務処理等に追われています。

 今朝は庭に差し入る陽光の色に少々くすんだ秋の色を感じました。とりあえず「和田浦の夏」が終わってしまった、という己が心象に拠るものなのかもしれませんね。何だか不思議な感覚です。

 フランスのTV局の仕事をしている友人から昨日電話がありました。「ようやくオリンピックが終わり、暇になりました。」との由。近々和田に来る予定ですが、「フランスでの東京五輪の評判は?」と聞くと、「大半が好意的な報道です。」との由でした。まあ、このコロナ禍での五輪の運営は大変な仕事だったことは間違いない。ホストとして汗を流した東京・日本の人々に対し、ゲストとして参加した諸外国のアスリート及び関係者、競技を取材したプレスの皆さんが好意的な印象を持ってくれていると確認出来て、少しほっとしています。

 秋の気配なんて書きますと、秋雨前線に反応して開花した彼岸花が田の畔を赤く染める、房州の秋の景色がこころに浮かびます。でもそれはまだまだ先のことですね。ここ10年以上その時期は北海道で過ごしてきたので、その彼岸花の景色にはすっかりご無沙汰していますね。お盆の期間は天候は不安定ながらも相変わらずの酷暑の日々が続きそうですね。まあ、そんな中ひとつひとつ仕事を片付けていきましょう。それでは。

今夏の和田浦ツチクジラ漁はひとまず終了、秋に再開する予定。

 令和3年夏の和田浦ツチクジラ漁はひとまず終了することとなりました。現在台風の到来で全国的に大荒れの気象ですが、船の方は台風通過後の海況の回復を待って北上。8月下旬より釧路にてミンククジラ漁に従事することとなります。そして、この釧路でのミンククジラ終了後、恐らくは10月頃になると予想しますが、秋の和田浦ツチクジラ漁を再開する予定でおります。

 昨夏は球磨川水害を引き起こした連日の雨で7月上中旬は全く働けなかった記憶があります。今夏は本来の盛漁期である7月下旬から8月上旬に熱帯低気圧や台風の影響の苦しめられ、現況では既に台風到来の時期を迎えた感覚ですね。このお盆期間の海況は芳しからざる予想ですし、次から次へと熱低なり台風が発生する状況に陥ると、船の方は北へ移動する機会を逸するリスクがある。台風に捕まってしまうと、時には1週間以上身動き出来ず、港で待機するしかなくなる。そんなリスクを考慮し、とりあえずはこの夏のツチクジラ漁をひとまず終える決断をしました。速やかに釧路でのミンク操業を進めることとし、その終了後の秋に再度和田浦でツチクジラ漁を再開したい。そう考えています。

 昨年は言わば「実質的な商業捕鯨の開始の年」でした。従来科学調査目的であったミンククジラ操業が、ツチクジラ漁と同様に商業目的の「普通の漁業」に変りました。それは操業の自由度が広がるということを意味し、基本的には操業効率を高め得る望ましいことなのですが、僕自身はその「自由」の行使に結構苦しんでいる感覚はありますね。捕獲調査の様な規模の大きい共同事業は早めに日程を固定させます。逆に言えばそのスケジュール通りに動けばいい。しかし「自由」に日程を決めることが出来る現況では、特に気象の動向や鯨の分布状況等を考慮した上で、そのスケジュールを決める必要がある。この2年、概して天候が不順であったことで、決断に苦しむ場面が多かった様に思います。海況のいい日和が続き、捕獲の方も順調ならば、悩むことなく「次の操業」に移行していけるのですが、ここ2年はそういった状況ではなかった。「時に、自由は非常に苦しいものだ!」そんな実感があります。

 いずれにせよ、今夏の和田浦ツチクジラ漁は一旦終了することになります。8頭捕獲に留まり、20年以上継続してきた小学生の解体見学が実施できなかった。コロナ禍ということで、神経を使うことも多かった。そんな中、ご協力をいただいた皆様に感謝申し上げたいと思います。誠に有難うございました。それでは。

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明日8月7日の解体はありません。

明日8月6日の解体はありません。

 本日8月5日、船は操業しましたが、本州南方海域の熱帯低気圧の影響か、徐々に波風が強くなってきまして操業を断念しています。従い明日8月6日の解体はありません。

 南方海域の熱帯低気圧はゆっくりと北上・本州に向かっている様ですが、それ以上に気に入らないのがその西にある低圧帯です。台湾付近にある熱帯低気圧は既に台風となり、その東側の先島諸島付近にある熱帯低気圧も追って台風となる予報。それぞれ北東に進み本州を直撃する予想です。本来であれば、7月下旬から8月のお盆まではツチクジラ漁の盛漁期。でももし台風が予報通りに進んで来るとすると、盛漁期が台無しになります。また台風は同じ様なパターンで発生し、同じようなルートを進むことは過去の経験からしてもよくあること。という訳でこの2つの台風の動向の他、その後の南シナ海の台風の発生状況等に注目していく必要がありそうです。

 とまあ、また大いに愚痴ってしまいましたが、昨日は2頭獲れ、今日も無事に解体出来て良かった!気象のことばかりはどうすることも出来ないので、皆で一歩一歩出来ることをしていく。そういうことになります。

 明日は明日の風が吹く。でも、あんまり吹いて欲しくないのですねえ。それでは。


明日8月5日は午前5時より2頭解剖。

 本日8月4日、久しぶりに操業しましたが、本当に久しぶりに2頭獲れました。明日は1頭目の鯨を午前4時半引き揚げ、午前5時より解体します。2頭目は4-5時間のインターバルとして、9-10時頃の解体開始となると予想します。但しこの辺は流動的なですね。

 今朝はこのブログに、南シナ海で台風が発生。この週末から来週にかけて台風が上陸する予報があることを思いっ切り愚痴ったり、「インベーダー低気圧」なる僕らが42年前に使っていた用語の説明なんかを書いていたのですが、手違いがあって全て消えてしまいました。でも2頭獲れて本当に良かった!手違いが吉と出たのかもしれませんね。

 8月2日より当地も緊急事態宣言下にあります。房州の海水浴場等を全て閉鎖されていますが、都会からの人々の流入も相当量ある模様で、当地の公的機関や住民もかなり神経質になっているのが実情です。鯨体処理場の横の広大な敷地にも自動車の侵入を防ぐ意図でロープが張られました。解体作業は見世物ではないが、見て貰っても構わないというのが弊社の立場。但し昨年来のコロナ禍で、今夏も処理場敷地内での見学を遠慮して貰うことにしています。捕鯨の仕事はこれからも続けるつもりですし、来夏も見学できるものです。この夏はコロナ対策の正念場。ワクチン接種が進行すれば、発症・重症化リスクは顕著に低下する筈ですし、もう数か月我慢すれば、かつての「普通の生活」に近い状態に戻れるのではないでしょうか?「出口」が見えつつある今だからこそ、皆さん、気を付けましょう!それでは。

本日8月4日、船は久しぶりに操業中。

 本日8月4日、船は久しぶりに操業しています。実は今日は結構たくさん書いたのですが、不具合で下書きが消えてしまいました。まあ大した話ではないので、また別の機会に書くこととし、今日は諦めましょう。それでは。

明日8月4日の解体はありません。

 本日8月3日も本州南方海上のインベーダー熱低の影響か、うねり・風共に強く操業していません。従い明日8月4日の解体はありません。和田漁港の入り口付近も状態が悪く、今日は定置網の操業も止まっています。

 オリンピックで来日していたベラルーシの女性陸上選手が亡命を申請。大きな騒ぎとなっています。遠い昔、捕鯨者の交流を目的にロシア極東のアナデイール・ウエレンに(何とモスクワ経由で!)出張・滞在したことがありますが、ロシア政府の役人が教えてくれたブラックジョークを思い出しましたので、不漁の気分転換の為にも、とりあえずそれを紹介しましょう。

 ロシア元首のボリス・エリツェンとベラルーシ元首のアレックス・ルカシェンコが同じ飛行機に搭乗、二人は機内でウオッカを飲みながら会話を愉しんだ。以下はその会話の内容である。

エリツェン「ねえ、アレックス、もしこの飛行機が墜落したら、どっちの国民がより深く悲しむだろうか?ロシア人かなあ?或いはベラルーシ人かしら?」
ルカシェンコ「そうだねえ、僕はロシア人がそんなに悲しむとは思えないなあ。一番悲しむのはウクイライナ人じゃあないかしら?」

 という訳で旧ソ連圏東部の国々では「元首が死ねば、人民は喜ぶ」というブラックジョークでありますが、司馬遼太郎さんはロシアの政治体制について興味深い指摘をしています。ロマノフ王朝・ソビエト連邦・現ロシア共和国も含め、ロシアの政治体制は、ジンギスカンの子孫が建国したタタールの王朝の「専制君主制」の遺伝子が確実に受け継がれていると。

 その点日本人は「専制」とか「独裁」を嫌う傾向が強いですね。「和を以て尊しとなす」つまり、まあそう波風立てぬ様に人間関係を調整して、事を進める。これがいいことなのかどうかわかりませんが、結局日本社会はこの傾向から自由になることは出来ないのだと思う。この「和の精神」を失った日本はもう日本ではないのだとも思います。それ故に「人々・マスコミが政府を自由に批判出来ること」は必要不可欠。但し「建設的な批判」がなされているかどうか?その点も大いに問われるところと思う一方で、それが「言いたいことを言えない雰囲気」を醸成する様では困りますね。ベラルーシの女性アスリートの亡命申請の話から、思わぬ方向に話題が行ってしまいました。まあ「解体情報」以外は、気分次第で書くブログにて、ご了解ください。それでは。







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