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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

とりとめもなく書く。

 今日は小雨。船は働けず、休日。ゆったりと朝食を摂る。やはりエクスプレッソは格段に美味しい。ただ飲み過ぎると胃にこたえる様だ。秋の気候は定期的に好天と悪天が入れ替わるもの。仕方ない。明日からはまた働けるだろう。

 アフガンのタリバン政権が国連に国家としての承認を要請した由。「タリバン」と聞くと、物故した大先輩が髭面のMさんを「おいタリバン!」と呼んでいたことを思い出し、ついつい笑ってしまう。不謹慎かなあ。でも気を使って書いたところで事情が好転する訳でなし。今日は不謹慎を承知で思ったことを書いてみようか。その方が書いていて愉しそうだ。

 今秋は朝日新聞OBでアフリカに詳しい松本仁一さんの著作を愉しんでいる。大戦後アフリカ大陸にて多くの国家が独立を果たしたが、その実態は酷いものが多い。新しい国家元首は独立後も豊かな資源の開発・生産を継続する多国籍企業の支払代金を平気で自分の懐に入れてしまう。その「金蔓たる資源」を巡って内戦が勃発する。武器商人を通して大量の銃器が外国から流入する。平穏な生活を送っていた集落がゲリラに襲われ、虐殺が行われる。生き残った少年少女は銃器を持たされてにわかゲリラ兵となる。松本さんは16歳でゲリラ部隊長の愛人兼兵士となった女性を取材している。反政府側が政権を獲っても事態は変わらない。ケリラの親玉のお目当ても、やはり「金蔓たる資源」なのだから。

 そもそも国家と言っても、その国境線は旧主国が植民地分轄の為に勝手に引いたものである。国内には、或いは2つの国の国境に跨る形でも、多様な部族が混在している。人々は「部族の一員」といったアイデンテイテイーを持つが、国家の国民といった意識は薄い。そんな状態だから、国家元首は自分と仲間の住む首都のみ平穏であれば問題ない。社会主義政策の美名の下、農民は食料を低価格で強制的に国家に買い取られ、辺地では飢饉が発生。首都では潤沢に食料が流通している。こんな「百害あって一利なし」の国家なんて、そもそも不要ではないか。

 その点アフガンは文明の十字路に位置する地域なので、歴史的には国家統治の経験自体は(流動的とは言え)長い。しかし「山の向こうは別世界」といった地縁的結合の強いお国柄で、かつ多民族国家。それぞれの民族は国境を接した隣国に同じ民族(仲間)が生活している。やはり国家統治の難しいお国柄なのだ。最近のタリバンによる国家統一の後には、イスラム国ゲリラによる自爆テロが頻発。そもそもタリバンもイスラム国も「イスラム原理主義」で考え方は似ているのではなかったかしら?でも、そうですね、特別な事情でもない限り、パシュート語とかダリー語を話すアフガン人と、アラビア語を話すイラク・シリア出身のアラブ人が仲良く共棲する筈はないか、と納得。

 うんざりする様な話になってしまったけど、とにかくまずは治安の維持!民主主義はともかく、とりあえず人々が「余程のことがない限り、殺さること、暴力を振るわれることはない」と信じ得る社会状況を実現する必要がある。それに尽きると思います。本当に言いたかったことはこれだけです。雨もあがった。もううんざりする書き物は止めて、散歩に出ましょうか!

 でも、やはり最後に少しは愉快(でも結構不謹慎)な話を紹介しましょう。松本仁一さんはケニヤのマサイ族のことを書いています。マサイ族は「神はマサイを選んで牛を預け賜うた」と信じ、牛を襲うライオンを槍で仕留められないと一人前の男と認めない部族。数字は指の数(10)までしか数えられないが、500頭の牛全てに名前を付け、それぞれの日々の健康状態まで把握している、信じられない様な能力を持った人々だ。大航海時代以降に新大陸に奴隷として輸出すべくアフリカにて拉致された人々の数は少なくても1千万を超えるものとされる。但しマサイ族はその勇敢さが故に、拉致する側が諦めたらしい。その結果、マサイよりも内陸に住む人々は、拉致されないで済んだ、とのことだ。将にアフリカの「誇り高き部族」と言っていいだろう。但し、実生活においては困ったことも多いらしい。マサイは「神はマサイだけに牛を与えた」と信じているから、他部族が飼っている牛は当然の如くマサイによる略奪の対象となるので、トラブルが絶えないらしい。加えて政府は学校教育の問題もあって、遊牧生活から定住生活への移行を奨励している。しかし、マサイの住むサバンナは農耕には向かず、まともな農産物は出来ない。その結果定住した人々は食えずに都市に流入。都市での新しい職業だが、男性は強盗、女性は売春ということになってしまうらしい。という訳で、この辺でこの厄介な作文をやめましょう。それでは。

(追記)釧路川沿い、海岸を散歩。ノルマルルートで約1.5時間。知人町にて馴染みのキツネたちに会ってきました。

失言を愉しみたい!

 このコロナ感染者の急増、緊急事態宣言の頻発に拠る欲求不満に拠るものか、特にこの夏あたりから報道の映し出す「世相」が何とも刺々しいものになったと感じた。そもそもこのコロナ禍、その発生原因は不明故に措くとすれば、誰が悪い訳でもない。ただこのウイルスに感染すると結構高い確率で重症化し、時に死に至る。さらにその感染力は非常に強く、瞬く間に世界中に感染が広がることが問題なのだ。

 各国政府はその感染を予防して感染速度を下げる施策を打ち、日本では頻繁に緊急事態宣言がなされ、人々の「普通の生活」を破壊する。人間という生き物は他者との関係において生きるもの。「他者と会って話すこと」を制限されると、その精神の安定に支障を来すことが多いのだと思う。このコロナ禍は国を問わず人間社会全体を襲っているもの。誰かを非難して問題が解決する訳でなし。人類は連帯してこの危機に立ち向かうべきであろう。そしてまずは自分自身が住んでいる国の中で、このコロナ禍に連帯して対処する姿勢を採るべきだと思うのである。

 夏のオリンピック前からの刺々しい「空気」に嫌気がさし、上述の様な感想を持った次第であるが、最近その「空気」の変化を実感している。国会は久しく開かれていないから、政治家の「失言」は発生しにくい。菅首相が総裁選出馬を断念したからか、政府のコロナ対策に対する批判も減少。何よりもコロナウイルス感染者数がとりあえずは減少傾向にあることも、その主因であろう。自民党の総裁選挙立候補者が決まり、その主張がメデイアを通じて紹介されているが、各候補者の言い分は比較的温厚なもので、失言は発生せず。最近では「失言」とかSNSの「炎上」といったニュースが大幅に減った様に思う。

 「失言」や「炎上」は概して不愉快なものが多いが、実は僕には「お気に入りの失言」がある。遠い昔の長野オリンピックの前のことだが、当時の長野県知事はスピードスケート競技について「ミズスマシがグルグルと回っているのと同じで、観ていて退屈である。」と発言したのだ。スケート選手の動きをミズスマシのそれになぞらえるとは!ただ「言い得て妙である。」とも感じられ、大いに笑った記憶がある。その後知事はスケート連盟に対して謝罪し、とりあえず事件は治まった。当時も「五輪終了後の競技施設の用途=五輪の負の遺産」といった論議はあった。大きな負担を背負う開催県の知事として、厭味のひとつでも言いたかったのではないか?僕はそんな風に思っていたのだ。

 この何とも牧歌的な「失言」が懐かしく、僕はネットでその知事のことを調べてみた。評判は今一つといったところか?件のミズスマシ発言は正確には「水すましのようで、見ていてつまらないね。」というものだった。五輪の関係で国土(西武グループ)との癒着が疑われたこと、知事在任期間は20年に及び知事の退職金受給額歴代一位なったこと等が紹介されており、あまり愉快な話は見当たらなかった。

 それでも、花形のジャンプ競技の日に厳しい交通規制を施いた影響で、多くの観客が競技開始時間に遅れたが、組織委員会の非は一切認めず(但し後に民事裁判で敗訴)。「ジャンプは遠くからでも見える!」と発言したとか。この失言も、まあまあ、といったところですね。それでは。

読書の秋、積読(つんどく)の秋

 今朝の釧路は快晴、青空が広がっている。最低気温は10℃を割りこみ、TVでは早くも「早い冬の訪れ」という言葉が、、、でもまだ9月、いくらなんでも冬を意識する時期ではないでしょう。ここ数日時化が続いたが、今日操業再開。漁の方は芳しくはないが、一歩ずつ前進している感覚です。一方で東シナ海の台風は大きく東に進路を変え、週末には当地にも影響を及ぼす予想。その前に何頭か獲れるといいなあ。そう期待しています。

 昨日はいつもの川向うの集落を巡るルートを散歩し、かつて落下・転倒・骨折したコンクリートの斜面を確認してきました。線路沿いに草が茂り、見えにくくなっていましたが、はい、その場所は変わっていませんでした。でもここ10余年秋に同じルートを歩いていると、街並みの変貌を実感しますね。宮沢賢治の「雨にも負けず」を彫り込んだ木製のブロックに囲まれた家屋はここ数年廃屋となっていたが、今年は更地になっている。年配の方が高齢ゆえに一人暮らしが難しくなって引っ越したか、或いは物故したか?宮沢賢治の詩を家垣に使う人、どんな人だったのだろう?もし機会があれば、その近所の方にでも聞いてみたいなあ。まあ滅多に人には会わない場所だけど。そんなことを想いながら歩きます。

 漁期中は捕獲の報を待つ生活が続き、時化ともなれば散歩の他に本を読む時間が長くなります。昨年は山極寿一さんの霊長類関係の本を多読。今秋はひょんなことで知った松本仁一さんのアフリカ関係のルポタージュもの、歴史学の網野善彦さんの本なんぞをネットで買い集め、読み進めています。

 現在後者の「蒙古襲来」に格闘中。33巻にも及ぶ通史の中に一巻として1974年に刊行された作品で、専門用語が多く量的にも600ページに及ぶもので、僕には難解です。それでも、元寇前後の社会経済史を詳細に叙述し、この時代を「農本主義の中世」から「商業が隆盛となる近世」へ移行する過渡期という位置付ける立場から、その時代が解釈しようという若い日の網野さんの力作です。またこの時代は、朝廷(上皇・天皇・貴族)の土地制度と新興の鎌倉幕府の土地制度の双方が共存していた時代。実態は一体どうなっていたのか、という疑問は以前から感じていたものでした。加えてこの時代には、商業や芸能等の「農業以外の生業」を「悪」とする考え方が根強く、それが後の職業差別に繋がってくる、といった論点にも興味はありますね。どれほど理解できるものか、甚だ自信はありませんが、いくつかものの見方や思考の材料を得られるといいなあと思う。もしそれについて書ける気になることがあれば、何時のことになるかわかりませんが、紹介したいと思います。

 釧路に出発する際、自室に「積んでおいた」本をその時の気分で適当にスーツケースに詰めます。この時期はそんな積読の機会でもありますね。その中に河合隼雄さん著の「大人の友情」という本がありました。河合さんは日本の臨床心理学の無二の草分け的存在であり、学界のみならず市井にも大きな影響を残した方です。何時のことだったか、館山で講演を聞く機会を得ましたが、1時間強の講演時間の内に話したのは30分程度で後の時間は「最近学んでいる」というフルートの演奏を聞かされました。まあ、とにかくとぼけた面白い人でしたね。その「大人の友情」の中で、「真の友人とは?」というエッセイがあります。それは河合さんがスイスのユング研究所の講義で聞いた話とのことですが、概ね以下のようなものだったと思います。

 車のトランクに死体を入れた状態で、夜中の12時頃に友人を訪問し、その旨を告げる。その際に「一体何があったんだい?まずは君の話しを詳しく聞こう。」と言ってくれる人。

 成程なあと思いますね。という訳で読書の秋、積読(つんどく)の秋。まあ相変わらず緊急事態宣言が解除されない北の街にて、ぼちぼちと静かに生活していきたいと思います。それでは。

日々是朝餐也。

 当地釧路では涼しい、時には寒く感じる程の秋を迎えています。夏にはどうしても冷たいものを飲むことが習慣化。それを続けていたら、下痢を起こしました。腹が冷える感覚。ここ数日は暖かい緑茶を愉しんでいます。

 菅首相は(総裁選に出馬しないことで)退任の意向。僕は権力者に対し甘いかもしれないが、コロナ対策に不眠不休で働いてきた菅さんには同情的です。元気を失い、官房長官当時のキリッとした張りがない。そう感じていました。プレスは野党の発言も含めコロナ関連の批判的な話ばかりを取り上げる。まあ確かに失敗もあった。オリンピック・パラリンピック。もしそれを中止する決断をすると仮定すれば、それは常識的には「命懸けの決断」であったことは間違い無い。まあ、代議士、そして首相にはなりたくてなった訳だから、時にかかる酷い批判にさらされるのは本人も覚悟していた筈だ。一方プレスは最近彼を擁護する政治家の発言を紹介することが多い。それは日本人の判官贔屓感情に合わせての現象だろう。

 後任の総裁候補には数名の名前が挙がっているが、河野さんもそのひとり。以前「河野さんに官房長官をやらせては?」と塩野七生さんが文芸春秋に書いていた。彼は(彼女の評価では)「自分の理解したことを率直に自分の言葉で話せる人」とのことだ。率直だから、内閣のスポークスマンとなれば、いわゆる「失言」が頻繁に発信されるに違いない。「失言」が毎日の様に発信されれば、プレスも「失言」の取捨選択を迫られるだろう。プレスが「失言」に関して質問すれば、多分倍になって返ってくるだろう。それがまた「失言」と見なされる公算大。不合理に暗黙の了解となっている曖昧な部分が曝け出される。そうなれば、報道の質は向上し、日本の政治文化も熟成の方向に向かう。そんな趣旨だったと記憶している。でも、官房長官じゃあなくて、総裁=首相ということになるとどうなるか?尤も選挙基盤が脆弱な若手議員は、「衆院選の顔」としてのインパクトに関心が集中し、その後のことは「二の次」といった感覚か。まあ落選は問答無用の解雇だから、解雇されない様に右往左往するのが人間というものでしょう。

 という訳で前置きがながくなりましたが、今日は宿の朝飯のことを書きたいと思います。もう20年近く宿泊している釧路駅前のホテルですが、現在その朝飯は豪華絢爛也。将に「晩餐」ならぬ、「日々是朝餐」の様相を呈しています。当初は「焼きたての多種多様な調理パン」が売りでしたが、パンが苦手な人はコンビニで🍙を買っていました。ところが現況では焼きたてのパンに加え、白米や炊き込みご飯に、ブリ・鮭・カレイ等の焼き魚、豚カツ・白身・ザンギ等の揚げ物、豚丼用の焼肉、カレー、イクラ、サラダ、ヨーグルトに各種飲み物等々、何でもござれ!ブリは朝10kgものを仕入れてくるそうです。「どうだ、参ったか!!」という感じですね。かと言って朝に何から何まで食べる訳にはいかず。最近はご飯に軽くイクラをかけ、豚丼の肉を2枚、それにサラダとラッキョウとヨーグルト、飲み物。気分次第でブリのカマ焼き(敢えてカマを選ぶ)。そんな「朝餐」を愉しんでおります。最近学んだのはラッキョウにカレーを少しかけて食べる方法。そもそもカレーライスは好物だが、それを食べると後が入らない。歳をとってラッキョウも好物となったので、ラッキョウ10個程度にカレーを少しかけて愉しんでいる次第。イクラはかつてそのまま大どんぶりに入れて置かれていたが、イクラばかりを爆食する不埒な客が後を絶たず、最近ではイクラの中にルイベ(冷凍の鮭の刺身)を入れて、「爆食」を防止している様です。

 という訳で朝餐が充実しているので昼食はパンを少し食べる程度。晩飯も軽くしたいところですが、まあストレスを溜めない為にどうしても一杯やってそこそこ食べてしまいますね。その一杯がビールや酎ハイだったりすると、それが下痢の原因になります。まあ腹を冷やさないことが肝要ですね。コロナ禍で飲み屋にはほとんど行けないが(酒類のラストオーダーは7:00PM、13日より7:30まで延長)、まあ朝餐のお蔭で結構豊かな食生活を愉しんでいます。それでは。

森と蛇と人と

 なぜ人は森に入るとほっとするのか?それは人類の祖先はアフリカの熱帯雨林に住んでいたから。そう、その通り! でも、これじゃあいくら何でも面白くも何ともない。という訳で昨年学んだ不確かな知識を以て、怪しげな物語を少し膨らませて書いてみたいと思います。これは酷暑の房州の夏に林間の坂道を歩いて涼を得たことで書こう思い立ったこと。前に書いた八戸の床屋さんのことが今春からの宿題とすれば、これは夏にし残した宿題ということになるでしょう。

 今から凡そ6,600万年前の白亜紀と呼ばれる時代の末期。その頃に巨大な隕石が地球に衝突し、地球環境は大きく変動。恐竜等の大型爬虫類は絶滅し、その空白に鳥類や哺乳類が進出していく時代を迎えます。その頃、熱帯の植物の世界では被子植物が優勢となっていました。裸子植物は大量の花粉を付け、それを風の力を借りて空中に飛ばし、受粉(繁殖)。杉がその代表例と言えます。一方で被子植物は蜜や強い香りを以て昆虫を花弁に誘導。昆虫はその体に花粉をたっぷり付けた状態で他の花に移ることで、被子植物は受粉します。そして被子植物の種子は果肉に覆われ、鳥類の絶好の餌となる。鳥類はそれを食し、種子は離れた場所で排泄され、被子植物はその生殖区域を広げていく。そんな被子植物と鳥類全盛の空間には、被子植物の受粉を助け、鳥類の餌にもなる多種多様な昆虫類が発生しました。現在確認されている動物種の約7割が昆虫と言われますし、そのバイオマス(生物量)も莫大なものだったのでしょう。

 そんな被子植物と鳥類と昆虫類が栄える熱帯雨林に、我々人類や猿の祖先である食虫類が出現します。食虫類は哺乳類でモグラの様な小型なものとされ、樹上にてその頃大量に発生した昆虫類を食べていたものとされます。しかし日中の森は鳥類の天下。食虫類の小さな体では太刀打ちできません。そこで食虫類は鳥目の鳥類が活動しない夜間、即ち夜行性となって地味ながらも昆虫を食べて生きていきます。食虫類から進化した原猿類はマダガスカル島等に多く生息していますが、その大半が夜行性で小型の種が多い様です。また別の一派は同じく夜行性のコウモリに進化しました。原猿類の一派は体を大型化することで、昼間でも鳥類に邪魔されることなく、樹上で昆虫や果実を食べる種、真猿類に進化します。さらに真猿類の中には植物の葉を食べる種も現れますが、植物にとってそのエネルギーの生産工場たる葉を食べられてはたまったものではない。葉に棘を付けたり毒素を含ませて武装します。真猿類はその毒素を中和すべく、さらに体を大きくしたり、さらには腸内に毒素を分解する細菌を住まわすことで対抗。ゴリラやチンパンジーといった大型の類人猿に進化していきます。また真猿類や類人猿が果実を食べてくれることは、生殖区域の拡大と意味で、植物にとっては歓迎すべきことですが、まだ種子が成熟しない時期に食されては困る。従い植物は種子が成熟した頃に甘い果肉をつけます。植物の中にはゴリラしか食べられない様な巨大な種子をつける種がある由。ゴリラの生態に適応した植物まである!人は「生物の多様性」という言葉で全てを簡単に説明するが、その多様性の実態は猛烈に凄いものと想像されますね!あらゆる種がそれぞれ多様な種との相互作用に中で生きている訳だから。とても人知の及び得ない壮大にして複雑な生物の生態系が想像されます。

 我々人類の祖先がチンパンジーの祖先から分化したのが凡そ700万年前、直立歩行という形質を獲得したのが200―400万年前であり、それまで我々人類の祖先は熱帯雨林の樹上で生活していたことになります。我々現生人類(ホモサピエンス)は20-40万年前にアフリカの熱帯雨林で発生し、直立歩行という形質を以って6万年程前にアフリカの地を離れる(いわゆるグレートジャーニーに出発)。そしてシナントロプスやネアンデルタールと言った先住人類が生息するユーラシア大陸に進出していきます。

 つまり、食虫類の時代から数えれば、我々の祖先は数千万年という期間を熱帯雨林の樹上で生きていたことになる。現生人類が熱帯の森を出て、サンバンナに進出したのは精々20-40万年前、アフリカを出たのは7万年前ということになります。故に、我々はそもそも森の生き物なのであり、森にいると安心するのである。そして森の樹上に住んでいれば、ライオンやトラ等の猛獣に襲われることはまずない訳だが、唯一の例外が蛇。蛇は樹上に這い上がってくるし、体が小さくてもその猛毒をもって人間を殺傷する力を持つ。故に人は生理的に蛇を嫌う。

 という訳で、まさに竜頭蛇尾。そもそも壮大な人類の進化史から、人間にとっての「森と蛇のこと」を書きたいと思い立った訳ですが、誠につまらない、冴えない結論となってしまいました。これじゃあ学生のレポート以下の水準と言われても仕方ありませんが、まあ「毒を食らわば皿まで」、そのまま掲載してしまいましょう。

 でも、この夏の林間の散歩道で涼を得ながら、何とも形容し難いやすらぎを感じたのは事実。またその道を歩くのに、(半ズボン・ツッカケの装束故に)蛇の存在に神経質になったのも事実です。特に食虫類が発生した頃の「被子植物と鳥類と多様な昆虫類の共生関係」。その壮大な熱帯雨林の自然史と当時の様子、さらにはそんな環境に地味ながらも発生した食虫類(=我らが祖先)のつつましい生活が想像されて、それが僕の脳裏に一枚の画像の如く焼き付いている。それがかかる竜頭蛇尾の文章を僕に書かせたのかもしれませんね。こんな文章に最後までお付き合いいただき、有難うございました。次回はもう少しまともなものを書きましょう。それでは。

秋索々

 当地の釧路の気温は10℃から20℃の間を推移する秋の気候。秋索々たり。「索々」とは井上靖さんが秋の湿気の少ない爽やかな風を表現するのに好んで使った言葉。秋風が木の葉を揺らす風景よりこの「索々」という言葉が浮かびました。

 「怒りのアフガン」。これは昔流行ったシルベスター・スタローンのランボーシリーズの第二作。この映画はスタローンが「勇敢なアフガン兵士に贈る」として制作したものですが、その「勇敢なアフガン兵士」の中にサウジから義勇兵として参戦していたオサマ・ビン・ラデインがいた。

 その後のイラクによるクウェート侵攻が勃発。父ブッシュは早急に軍事介入を決断し、多国籍軍を組織して、湾岸戦争が勃発。ブッシュ父子は米国の軍需産業を後ろ盾としており、その産業を維持し、新兵器をPRするには時に戦争は必要、との立場と見える。当時僕は東京で勤め人をしていたが、TVのニュースはまるでコンピューター技術の進化によってもたらされた新兵器のショーさながらのものであったと記憶している。潤沢な石油収入に潤う当時の湾岸の王国はイラクの様な(人口の多い)大国の侵攻を恐れ、米軍の駐留を依頼し、それは恒常化する。ビン・ラデインはイスラム教の聖地メッカのある祖国への米軍駐留の恒常化に大いに怒り、テロ組織アルカイダを設立。アフガンの仲間と共に、アフリカの米国大使館を爆破する。米国もアフガンのアルカイダの拠点にミサイル攻撃を仕掛けることで報復。そしてその後遂にあの911同時多発テロが起こる。当時アフガニスタンはタリバンの支配下にあったが、ビン・ラデインは対ソのゲリラ戦以来の同志である。タリバンは米国による彼の身柄の引き渡しを拒否。子ブッシュはアフガンへの軍事介入を決断し、アフガン戦争が勃発。あの911の翌日の米国の新聞には「これは戦争だ!」という文字が踊っていた。当時の米国世論は子ブッシュに対し、アルカイダに対する復讐を求めていたのだと確信する。

 タリバンは駆逐されたが、その後子ブッシュはイラク戦争を始め、独裁者フセインを殺戮。アフガン同様、新生イラクをサポートするものの、権力側にあったスンニー派のバース党員を排除し、イランに親しいシーア派を登用。そんな折、「アラブの春」の影響で中東・北アフリカ諸国の政情が流動化。今度は排除されたイラクのバース党員を吸収する形で「イスラム国」が勃興。シリアからイラクにかけての広い地域をその支配下に置くことになる。それに対し、米国は空爆を実施。クルド人勢力やトルコ、フランス、シリアをサポートするロシアの介入で「イスラム国」は壊滅する。しかし、現在のイラク国軍にしても、今回敗走四散したアフガン国軍と同様の脆弱性があると考えられますね。

 そして今回の米軍のアフガンからの撤退と、タリバンによる首都ガブールの制圧。「秋索々」を枕に、この事件の前置きを少し紹介するつもりで書き始めましたが、上述の様な冗長なものになってしまいました。「中東とはこういった地域である」としか言い様がないのかしら?そう言えば子供の頃に読んだシャーロック・ホームズの助手「ワトソン博士」もアフガニスタン戦争からの帰還者という設定です。僕が学生の頃にソ連によるアフガン侵攻が勃発した訳ですが、中東では当時からイスラエルを絡めた紛争も頻発していました。昔、レバノンのベイルートは「中東の真珠」と呼ばれ、フランス料理の影響を受けたレバノン料理というものを一度は食べてみたいと思っていた。だが僕が中東を旅行した頃は、ベイルートは既に入れる状況にはなく、シリアやヨルダンの国境の検問所ではレバノン杉をあしらったパスポートを持った人々の群れをよく見かけたものだった。コロナ禍が終息したら、レバノン料理なるものを食べてみたいなあ。東京にはそんなお店があるかもしれない。

 とまあ、我ながら一体何を書いているのか?誠に困ったものですが、アフガンには、とりあえずはその身の安全を確保する為に出国すべき人々が多数おられます。その中には国籍は様々ですが、物故された中村医師の様な志高き人々が多数おられるものと推察します。アフガン国軍の脆弱性が故に、外国人の国外退去のスケジュールを読み誤ったことを今更責めても仕方ない。国際社会の叡智と圧力を以って早く脱出させてほしい。そう思います。

 昨日パラリンピックが終了。オリンピックとパラリンピックの開催が国際公約だとすれば、日本はその公約果たしたことになります。とりあえず関係者の皆さんに「お疲れ様でした!」と労をねぎらいたいですね。想えば、若い頃アメリカで車椅子に乗った身障者が多いことに驚きました。そして、「日本では身障者が外出していないので、目につかないのだ。」と実感した記憶があります。人々が生まれ持った個性や運命をどう生かして、人生を充実したものに出来るか?パラリンピックの精神は素晴らしいものですね。そういえば、松本出身の友人が長野オリンピックの頃、「これを機に子供にはパラリンピック競技を見せようと思う。」と言っていたことを思い出しました。

 という訳で、まあいいや、このままブログに掲載してしまいましょう。それでは。

床屋礼賛

 何と無く精神的な「行き詰まり」を感じる時、僕は床屋さんに行く。事前の計画もなく、思い立った時に電話する。「今すぐ出来ますよ。」とか「じゃあ、何時に来て下さい。」といった返事。何だかとてもいい気分!そもそも僕は汗っかきだから、散髪が好きなのだ。そして主人との会話は何とも愉しい!主人は毎日散髪しながら多くの人々と会話している。それを40余年続けている訳だから、世の中のことを驚異的によく知っているのだ。特に霧に包まれた様な幼少時の記憶。主人との会話で「ええ!そうだったのですか???」と驚くことも多い。そう言えば、最近になって母親が祖父の友人の話をしてくれた。その人は「赤線復活」を公約に掲げ館山の市議会議員選挙に立候補したらしい。特に「下」の話題は家族の団欒においては避けられる傾向が強い。故に幼少時の記憶から、当時の和田浦のその辺の事情がすっぽり抜けているのだ。

 僕は年に4―5ケ月は青森とか北海道の街で過ごしている。その際も当然髪は伸びるので、床屋さんには行く。出張先では主人に地元のこと、特に年配の主人には「昔のこと」を聞くことが多い。僕は旅を趣味とし、歴史関係の本を好んで読む人種。年配の主人との会話では案外話題には事欠かない。会話がツボにハマると極上の時間を味わえることもある。将に「歴史探訪の旅」そのものである。

 八戸に滞在していた今春の連休、僕は思い立って床屋さんを探しに歩いた。宿周辺は昔から陸に上がった船員を対象とした床屋・銭湯・銀行は多いのだが、コロナ禍の連休ということか、床屋マーク(サインポールと呼ばれ、世界共通らしい)が見つからない。ようやく宿の近くに一軒発見。ラッキー!早速入店するが、中ではおじいさんがソファーに横になっている。水回りは最近使った形跡が見られず、水を満タンにした2リットルのペットボトルが林立している。「ちょっとまずいかなあ。」と思ったものの、ここで引き下がる訳には行かぬ。「散髪、お願いできますか?」と聞くと、おじいさん(主人)は「はい!」と言ってのっそりと起き上がる。椅子に腰かけるが、主人は足が不自由な様で、僕の肩に体重を預ける形で、前掛けをセットする。年齢を聞いたところ、昭和9年生まれの86歳との由。我が母親の1年下である。主人は秋田生まれ。理容器具の販売で八戸に出張したところ、当時の八戸は魚が大量に水揚げされ、多くの船員が上陸する活況を極めた時代であった由。急遽理容師の資格を取得して床屋を開業、八戸に住み着いたとのことであった。

 主人は手も少々震えている様なので、「短くして下さい。生え際はバリカンで刈り上げて下さい。」と依頼する。電動バリカンを使えば仕事は楽だろうと考えた次第である。ところが、主人はしばし道具棚を捜し、手動のバリカンを持ってきた。しかし、それが切れない。次に取ってきた手動バリカンも、また次も切れが悪く、4回目でようやく刈り上げ開始。切れない手動バリカンでは髪が引っ張られる感覚で軽い痛みはあったものの、もう十二分に会話や出来事を愉しませて貰っている。損は無い!主人の我が肩への加重は安心感さえ与えてくれるのだから不思議である。コロナ禍における貴重なスキンシップ(?)と言えるかもしれない。

 その後ハサミで刈って貰うが、どうも我が額の右側が極端に短く刈られた様に見える。下手をするとだんだら模様の虎刈りになりかねない。少々恐怖を覚えたが、まあ八戸にて母親の世代の主人に散髪して貰った思い出と考えれば、悪い話ではない。腹が座ってきた。主人の奥さんは元気だが、流石にもう手伝えない。国民年金だけでは生活が苦しいので、引き続き営業している由である。

 ハサミが終わり、次は剃刀を使う段階に。主人の手は震えており、やはり怖い。頸動脈や眼球をやられたらまずい!また、使った形跡の見られない流し台を使わせるのも、何かと大変だろう。我が宿は目と鼻の先。「剃刀の方は結構です。洗髪も旅館が近いので、大丈夫です。お代をお願いします。」と言明。「そうですか、では1300円でお願いします。」との返答。「いくら何でもそれじゃあ困ります。じゃあ1500円でよろしいですか?」そう言って、「お世話になりました。また来ますね!」と言って、床屋を出た。

 旅館に戻り、気になっていた我が額の右側の部分を鏡でじっくりと見つめる。何と、他所と不揃いなんてことはなく、しっかりと綺麗に刈られていた!要するに、我が額の右側の部分は白髪が多いので、その部分だけが極端に短く刈り込まれた様に見えたのだ!僕の見間違いだった!おじいさんの腕は確かだったのだ!2000円支払えばよかった。そう後悔した。

 という訳で、この八戸での愉快な出来事、おじいさんの名誉も守られる訳で、ここ釧路にてようやく記録に残すことになりました。八戸にてもう1回散髪の機会があったが、その際は今一つ元気が出ず、旧知の床屋さんに行きました。来春、機会があれば、是非おじいさんの床屋を再訪したいと思います。次回は2000円払わないと。それでは。

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