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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

仕事納め

 本日29日は会社の方は年末の仕事納め。結構大変な一年だった、特に11月の帰郷後はしんどかった。そんな想いはある。それでもこの一年何とか無事に過ごせた。そんなほっとした感覚もある。

 今朝も夜明け前に裏山の林道の登降を繰り返した。気温は2℃で、この時期としては比較的低い。曇りの予報であったが、水平線付近の雲は薄く、切れている。日の出の海を眺め、林間に差し入る紅の陽光を愉しみ、登坂時には時に目を閉じて今日の太陽の残像を確認する。今秋この坂道には精神的に随分と助けられた。明朝も歩こうと思う。

 出社して、特に遠方の仕事関係の人々に電話し、年末の挨拶を交わす。こうして電話していると、「今年も御迷惑をかけたが、お蔭様でとりあえずは恙無く仕事と生活を終えることが出来た!」といった感謝の気持ちが湧いてくる。有難うございました!

 昼頃にとりあえず退社。15時頃床屋さんへ。昨冬何度か歩いた「花園=>どうくぼ=>黒岩=>平塚=>殊ケ谷=>Y食堂=>南三原駅」という3-4時間程度の散歩ルート。そのことを主人に話したことがあったが、それを主人が散髪しながらHさんという人に話したらしい。たまたまHさんも散歩好きで、先日「歩いてきましたよ!いい景色でした!Y食堂も美味しかった!」といった会話があった由です。「嗚呼愉快也愉快也」ですね!

 来月4日まで会社の方は休み。正月は朝から酒を飲む機会もありますが、まあ普段の生活の仕方を崩すことはせず、でものんびり・ゆったりと生活していきたいと思います。それでは。

冬至の朝

  今日22日は冬至。朝の気温は6℃と低くはないが、風は強い。雲は少なく、水平線付近は見事な朝焼け。日出の30分前に歩き始めた。裏山の坂道を登り、降りたところでちょうど太陽が水平線から顔を出し始めた。折角の「冬至の日出」。今朝は太陽が完全に姿を現すまで、しばし海を眺めることとした。

 再び登り始めると、橙色の微弱な光が森の一部を照らしている。そんな光が点在していたり、橙色の光の帯に杉の幹の細い影が平行に並んでいたり。この「橙色の微弱な光」の寿命は短い。同じ径をほぼ同じ時刻に歩いていても、毎回印象は異なる。それは違った場所にて日の出を迎えているからであろう。それほどに、朝日は繊細なものなのだ。

 登坂時は瞑想する感覚で、極力無心に歩く。呼吸をもたらす横隔膜の動きに注意してみたり、時には目を閉じて歩く。太陽や海を眺めた後に目を閉じると、色のついた図形が見える。そしてそれはしばし持続するのだが、その色と形は日々異なる。これを「残像」というらしい。不思議と言えば不思議だが、今まで「残像」について考えたことはなかった。少し調べてみようと思う。

 坂の降りでは呼吸を整える必要もないので、いろんなことを考える。但し危険なので目は閉じない。今日はキリスト教のことを考えた(何だかとっても変ですねえ!)。最近書店には故立花隆さんの著作が並んでいる。彼の若き日のギリシャと中東の旅の本はとても面白いのだ。キリスト教は中東のパレスチナの地にて1世紀に生まれ、4世紀にローマ帝国の国教となった。つまり国教となるまで300年の時間を要しているのである。帝政ローマは絶対神への忠誠を帝国へのそれに優先させるキリスト教徒を迫害する。「殺されても殉教者は天国に召される」と信じる人々は信仰を捨てない。迫害・殺害されても、キリスト教徒は残る。300年に渡る莫大な数の殉教の末に、キリスト教はローマ帝国の国教となるのである。

 一方で中東においてキリスト教は、当初「ユダヤ教」の一宗派といった位置づけであった様だ。後に「ギリシャ正教」と呼ばれる様になる「地元のキリスト教」の諸派は、イスラム化以前の中東や東欧の(日本の神々に似た)ローカルな神々と穏やかに混淆する形で広がっていったらしい。故にギリシャ正教は、キリスト教発生時の面影を色濃く残す独特な宗教となった由である。

 とまあ、なんでまた坂道を下りながらそんなことを考えているのか?全くを以て奇異なことですが、まあそんなことを考える時間も個人的には貴重なものかもしれませんね。という訳で、ご容赦下さい。それでは。

海  =朝日の道=

 スマホのデータに拠ると、今朝の当地の日の出は6:44。6時過ぎにぼちぼちと歩き始めた。明日は冬至。これから先は今以上に日出・日没時刻に気を配る必要はなさそうだ。一般に日出・日没時刻の前後30分以内が可動時間帯とされる。慣れ親しんだ道であれば、1時間程度は大丈夫ではないかと思う。心配ならば小型の懐中電灯を携帯してもいい。夜、月光を頼りに歩くのも悪くはない。昨年始に伊藤若冲のドラマの影響か、「自灯明」という言葉が浮かんできたことを想い出す。

 この時期、水平線は低い雲に覆われていることが多い。出発時は水平線上の雲と空が紅く焼けている。裏山の坂道の登降を繰り返している間に日が昇っている。林間に細い光が差し入り、局所を照らす。峠では足下の照葉樹林が陽光で溢れている。天気さえ良ければ、いつもと同じ風景である。

 森を出て視界が開けた時、海上に太陽から「光の道」が輝いている。これもいつもの風景だが、やはり美しいと思うし、元気を貰える。何時のことだったか、空海は大日如来なる神様を崇拝していた、とするTV番組を見た記憶がある。この神様(創造主たる一神教の「神様」と同語でややこしいが)は、「大日」というくらいだから、やはり太陽神と言えるだろう。空海は日本国中に溜池や泉や鉱山という形で足跡を残した方。修行として日々旅にある生活をした方であろう。ひょっとして空海はこんな「海上の朝日の道」を観て、浄土を連想したのではないか?そんなことを直感した。

 でも「西方浄土」という言葉があった様にも思う。ネットで調べてみたところ、やはりそうだった。大日如来は西方浄土におられるのだ。つまり「海上の夕日の道」の彼方に浄土がある、ということなのだろう。和田浦の朝日の彼方、即ち東方に浄土がある訳ではないのだ。まあ、これではこれでよし。でも、朝日の道の方が、夕日のそれよりも余程鮮やかだと僕は思うのだが。

 そう言えば、中島らも著「西方冗土」なる本を読んだことがある。その本の中で彼は「何故大阪人はアホ(馬鹿ではない)なのか?」、その原因を追究していた。最初に彼が思いついた理由は「うどん・お好み焼き・たこ焼き等、やたらに粉物(小麦粉)ばかり食べているからではないか?」というものだった。でもこの理屈は弱い。大阪人の食べている小麦粉の大半はカナダ産であり、カナダ人も大阪人同様に「アホ」でなければ辻褄が合わないからだ。このことで彼は大いに悩む。

 そして最終的に彼はとうとう見つけたのだった。褌一丁の姿で淀川上流部の橋から粉状のものを撒いている男の姿を!この本にはその男が粉を撒く姿を撮った写真が添えられていたが、まあいいか、今日はこの辺にしておきましょう。それでは。

師走も下旬に

  早師走も下旬。北国からはようやく雪の便りが届く様になりました。僕の方は年末の東京・宮城等への出張を終えたところ。出張にはいろいろと準備を要するが、それらが遅々として進まず。でも最終的には何とか辻褄を合わせる。そんな訳で今では少々落ち着いた気分。これより残務処理と来年に向けての仕事をぼちぼちと進めていくことになります。

 この週末は母親の要請もあり、巨木巡りを再開しました。冬の澄んだ青空の下、常緑の照葉樹や冬枯れの広葉樹の山の斜面に点在する赤や黄の葉が朝陽を浴びて輝く。「房州の紅葉は愛でるに耐えず」というのが従前の僕の感覚だったが、最近それが変質してきた様です。ハゼは「触るとかぶれる害木」というイメージが強いが、その深紅の葉は美しいし、また長持ちする。銀杏の黄葉は木の容もいいし、巨木となると「豪快な黄葉」と言ってもいいでしょう。また地域の人々に崇められ、大切に扱われてきた巨木は立派で美しいものです。

 また一般に「美しい街並み」と言えば商家や武家屋敷が軒を連ねる風景が連想されますが、僕には山村の農家の佇まいが、とても美しいものに感じられます。農村の風景ならば遠くに行かなくても、徒歩で見に行ける。当地の風景としてはどうしても「海」が強調されがちですが、山と農村の落ち着いた家並みの背景に青い海が見える程度がちょうどいいのではないか。最近そう感じますね。やはり陸の風景は海のそれよりも繊細です。
 
 最近何度か東京へ高速バスで往復したり、新幹線に乗ったりしましたが、乗客数はかなり増えた様に感じました。それでも東京駅構内の人出は、衝突を避けて注意して歩く程ではない。コロナウイルス感染者数は低位安定していますが、欧米等ではオミクロン株なる新株が流行し、感染者数が急増している由。日本国政府は、この新株の性質を研究しつつ、人が動く年末年始の影響を把握することを優先させる由。まあこの夏のオリンピック時の混乱を想えば、「ご説ご尤も」というところでしょう。この年末年始も昨年同様落ち着いたものになりそうですね。

 僕自身は、何の理由もなく、「来年は大丈夫だろう」と考えていますが、どんなものでしょうか?またコロナ禍が治まったとしても、この2年間で人々の生活様式・ものの考え方は変貌しています。さて、これからどう生きていこうか?そんなことを考えるのに、この年末年始はいい機会かもしれません。それでは。

冬の日

 晩秋の嵐の様な悪天の翌日に、抜ける様な青空の穏やかな朝を迎えると、僕は必ず三好達治の「冬の日(慶州仏国寺畔にて)」という詩を思い起す。この詩は井上靖がエッセイで時折に引用していたことで、学ばせて貰ったものである。想えば震災の年に釧路にて、この詩の一部を写経するが如くノートに書き付けてほぼ暗記。散歩しながらそれを吟じていた記憶もある。恐らくこのブログでも何度か紹介させていただいたと思うが、まあ再び以下に紹介することにしましょう。

ああ智慧は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に 山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 
その外に何の宝が世にあらう」


 「静かな眼 平和なこころ」。これは平穏な毎日を過ごしたいと願う全ての人々が求めるものであろう。しかし人は時に旅において、将に「何の前触れもなく」、かかる森羅万象のささやく言葉を聞くことがある。「その言葉に信をおけ」ということであろう。

 人間のこころは面白いもので、僕自身も小さな旅の中で、ある言葉がこころに浮かぶ(聞こえる)ことがある。旅にあって心に浮かぶことだから、その地の風土が囁きかけてくれる言葉とも言えるだろう。僕は今春八戸にて、暇な時間に付近の「縄文遺跡」と「巨樹」を訪ねる「小さな旅」を始めた。房州に帰郷してからも、休日に近場の「巨樹巡り」をぼちぼちと愉しんでいる。ただ自動車で巨樹を訪れるのは気が進まない。出来れば信仰登山の様に、歩いて巨樹の下に辿り着き、樹下でしばし佇みたい。そんな願望があるのだが、徒歩と電車だけでは行ける場所も限られる。また自動車の往来の激しい道を歩くのは論外だ。結構厄介な願望とも言えそうだが、そうしないと巨樹やそれを育む風土の囁きが聞こえないのではないか?そんな気がするのである。

 最近は行川・上総興津・勝浦付近の巨樹を何度か巡ったが、やはり実際に歩かないとわからないことも多い。興津の名木地区の寂光寺にスダジイの巨樹を見た後に、例によってアル中仕様の行動、古い造り酒屋の風情の残る腰古井(吉野酒造)方面に歩いた。その途中でもう一本スダジイの巨木を発見。スマホで画像を撮っていたら、農家の親父さんの軽トラックが停車。「木を見にきたのですか?この木は寂光寺のそれと同じくらい古いんだよ。」と教えてくれた。「(公道の上に枝を張るので)地主さんは枝を切らなきゃならない。最近うるしが生えてしまったが。」こんな会話も愉しい。そして次回は母親を連れて自動車でこの巨木を再訪問。母親は言う。「この木は紅葉するのかしら?」木をよく見ると、確かに真っ赤な葉が見える。「嗚呼、これはハゼだ!切った枝の窪みにハゼの木が宿っている!あの親父さんはこのことを言っていたんだ!」と僕は叫ぶ。ちょうどハゼの葉が陽光で真っ赤に輝いていたので気づいたことだった。ハゼ(うるし)の木は触るとかぶれるので要注意だが、房州では最も長い期間、年始まで紅葉(?)を愉しませてくれる木でもある。

 という訳で、この週末もどこかの巨木に会いにいこうか?もう電車では無理なので、どこかに自動車を置いて歩こうか?天候次第ですが、そんなことを考えています。それでは。

師走の入り

 早師走に入り、その初日は嵐を思わせる激しい風雨に見舞われた。しかし午後より天候は回復し、今朝2日目は抜ける様な青空。風も治まって、静かで穏やかな初冬の日が来た。そんな感覚です。霜月末日は久しぶりに新橋の串カツ屋で一杯。午後4時過ぎという早い(アル中仕様の)時刻に飲み始めたので、人混みを気にすることもなく、穏やかな飲み会でした。でもタイムサービスのレモン酎ハイ@100円はやたらに薄い感じがしてグイグイと行ってしまう。これもアル中仕様ということか?でも短時間ながらも久しぶりの東京での一杯会は愉しかった。

 今朝は外務省主催の外国人記者対象の「千葉プレスツアー」に3時間程度対応。参加者は西から英国・スペイン・トルコ・ベトナム・韓国といった国々の記者達。鯨体処理場から稲荷神社の丘を登った後、和田浦漁港周辺を歩きながら、会社の加工場を見学して貰い、その後市役所にて簡単な講義。話す内容は房州捕鯨の現状を概説しつつ、それを壮大な捕鯨の世界史と江戸時代の鎖国政策下の日本の沿岸捕鯨史の中に位置づける、という僕のワンパターンの話。しかし、海外の記者に3時間程応対するのは久しぶりであって、実は昨晩は結構気が重かった。それでも、今朝は晴天に恵まれ、皆さんと一緒に気持ちのいい散歩を愉しめた様に思います。

 30日に鴨川書店にて立花隆著・須田慎太郎撮影の「エーゲ海―永遠回帰の海」を発見、歓声を上げて購入。東京行のバスの中で読んでいた。この本はかつて須田さんから頂いた本だが、物故した父親に渡したままなのか、行方不明になっていた本だった。その本の中で立花隆は書いている。「知識としての歴史はフェイクである」と。故に立花はエーゲ海周辺に無数に存在する一般には知られていない遺跡をとりあえずは訪れ、そこに数時間佇む行動を繰り返した、ということである。

 今朝は稲荷神社の丘の上で、スペインの記者に聞かれた。「跡継ぎはどうするのですか?また昭和24年に捕鯨を始めた由ですが、その経緯は?」と。立花の「知識としての歴史はフェイクである」との言葉に影響されたものか、「先の震災で公的に塩漬けして貰った借金の問題があり、まだ後継者に依頼出来る状態にはない。」と真正直に返答。さらに和田浦で捕鯨を始めた経緯、父親が研究職の仕事を諦めて和田に帰ってきた理由等を率直に話すこととなった。その様な経緯があって、今僕はこの稲荷神社の丘に立っている。これは些少な家族史以外の何物でもないが、これはフェイクではない。かかる経緯で僕は今ここに存在し、今皆さんにお話ししているのだ、と。こんなことを自分自身が話したことを不思議にも感じるが、まあ年齢によって考えること、話すことは変わってくるものでありましょう。

 という訳で、和田浦の漁港と砂浜の美しい風景を皆さんと愉しく散歩しながら、説明すべきことは説明し、自分の率直な気持ちも表明し、なかなか愉しい時間をいただいた、という感想があります。捕鯨というややこしい論議を呼ぶ問題に触れることになるので、事前に英語と日本語の資料を準備する等、慎重に対応する様に心掛けたが、何よりも皆さんと一緒にいい時間を過ごすことが出来たと実感出来て、それが何より楽しかった、といった感覚でした。でも、マスクでお互いの表情がよく見えないのが残念ですね。

 さて、先週末は巨木巡りや朝晩の散歩(登坂)を愉しみましたが、今週はその「日々のお勤め」をサボっています。明朝は少し雨が降るもしれないが、まあ大したことはないだろう。朝の登坂(散歩)を再開したいと思います。そしてぼちぼちと働いていきましょう。それでは。

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