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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

立春は過ぎたが、

 早 立春は過ぎたが、今年寒波は相当に厳しい様だ。日本海側では遠い昔、僕が小中学校で学んだ様な豪雪に見舞われているらしい。5メートルの積雪で「人々は二階から出入りする」といった上越の気候を当時は「凄いこと」と感心したものだった。そう言えば2年前、子供と一緒に琵琶湖と賤ケ岳の間の尾根を歩いて余呉湖まで歩いたことがある。相当の積雪を覚悟し、長靴を準備したものの、驚いたことに雪は全く無し。地元の人々は「まあ歩きやすくて快適ではあるけど、何だか気味が悪い」と言っていた。彼の地も今冬は大雪に見舞われている様だ。日本海岸の敦賀から琵琶湖、伊吹山、濃尾平野にかけては、日本海・太平洋間に高い山脈がない地域。故に雪雲は遠慮なく南下し、時には名古屋で大雪ということも起こる。新幹線が関ケ原付近の積雪で遅れるのもその地形に拠る。

 一方当地では雪が降るのは本州南岸を低気圧が通過する春のことだが、この週末は朝の散歩時に空が灰色の雲に覆われ、急に激しく霰(アラレ)が降った。照葉樹林に霰が降る風景は意図しても観られるものではなく、「早起きは三文の得」と喜んだ。今朝は風が強く寒い朝だったが、天気は快晴。赤光と光溢れる森の風景を愉しんだ。ちょうど新聞で斎藤茂吉の話題に接し、「赤光」という言葉を使ってみたが、この言葉は基本的には「夕日の赤い光」を指すらしい。確かに「赤光」という言葉・語感には夕陽が似合いますね。

 そう言えば「チコちゃんに叱られる」で学んだこと。「世界にかくも沢山違った言語が存在し、今でも使われている理由」は、環境や生活様式に拠って「大切なもの=コミュニケーション上で必要・大切なこと」が異なることがその理由とのことであった。モンゴルでは馬の年齢・性別毎に別々の言葉を使う由、フィンランドでは雪を意味する言葉が、その質の違いによって多数あるそうだ。なるほどなあと思う。そう言えば昔宴会のカラオケの歌で聞いた記憶では、津軽でも雪を表す多数の言葉があるとのことであった。また日の出よりも日の入りを表す言葉の方が多い様な気がします。

 北京冬季五輪が始まったが、ウクライナ情勢等きな臭いニュースが報道され、今一つ五輪に注目が集まらない様子。昔モスクワ経由ロシアの東端に旅したことがあったが、その際雇ったロシア人通訳(英語を話す)は温厚な男であったが、盛んに「クリミヤ半島は本来ロシアのものだ!」と主張していた。その主張の背景について、当時僕自身は聞かなかったが、今ネットで調べてみても、なかなかわかりにくい。恐らくはかつてのロシア帝国が英・仏・オスマントルコ連合軍との激戦の末に勝ち取った地域であること(クリミヤ戦争)や、旧ソ連が黒海艦隊を置いた軍事上の要衝の地であることがその主張の背後にあるのだろうと思われる。一方で旧ソ連が崩壊して、ウクライナが独立する際には、ロシアと英米等の間で「クリミア半島はウクライナに帰属する」との合意があったらしい。その後東欧の国々や旧ソ連の共和国が続々とNATOに加盟。結局「勝てば官軍」、「ソ連の崩壊によってロシアは敗者になった」ということかと思う。しかしロシアとしては、ウクライナのNATO加盟は安全保障上受け入れられない。加えて「化石燃焼を一切使わない世界」を志向するEU等西側の国々への反発も強いのだと思う。ロシアや中東の産油国に「石油相場が高過ぎるから、増産せよ!」と言う主張は、通常の人間関係では「無神経」としか言えないのではないか。何故なら産油国は「化石燃料を使わない世界」においては、自国の産業が壊滅に追い込まれる訳だから。とまあ、何だかややこしいですね。

 今朝の新聞で、米国内の原子力潜水艦に関する機密情報の漏洩事件に関する報道を読みました。やはり個の自由と幸福を希求する権利の行使が一般的な米国では、FBI・CIAといった強力な公安機関があっても、情報漏洩を完全に排除することはなかなか難しいのではないか、といった感想を持ちました。だったら中国の様に国民を徹底的に管理する手法を採る方がこの件については有効でしょう。一方で我らが日本社会は?いろいろなことを考えさせられますね。それでは。

如月初日

 早2月に入った。2月=如月とは、「寒いので、更に衣を着重ねする時期」というのが語源との由。ここしばらく朝の散歩をサボった。休日であれば、ちょっと空いた時間を使えば、いくらでも歩く機会はあった筈だが。何となく寒々しいし、早朝降雨の予想される日も多かった。かと言って、大した雨が降る訳でなし、高曇りの空は何となく気が重くはあるが、歩き始めれば気は晴れるし、坂道の登降を繰り返して汗を流した気分は爽快なことは分かりきっているのだが。

 今朝は久し振りに歩いた。風が冷たかったが、馴染みの森に入れば風は止む。幸い今朝は水平線上に張り付いた雲とその上の大きな雲の間に青空部分があり、日の出の真っ赤な太陽を拝むことが出来た。森には紅の光が差し込むが、その後太陽は雲に隠れてしまい、残念ながらいつもの「陽光溢れる森」は見られず。それでも、日々景色が異なるのは面白いものだし、「気づき」も多い。

 最近は房州の原始林たる照葉樹林の美に魅せられ、裏山を峠からさらに山頂まで登る愉しみが増えた。戦中から戦後復興の木材需要は膨大なものだった。特に戦後の住宅建設ラッシュで木材輸入は1964年に完全自由化されるが、当地でもその前後に大量の杉が植林された。従い裏山の森には杉が多いのだが、処々スダジイ・クス・タブ・モチの原生林が残っている。上に真っすぐ伸びる杉と違って、これらの照葉樹は概して複雑な形をしているし、多種類の樹木が混在していて、その風景が何とも美しいのだ。

 因みにモチノキはかつてその樹皮が「とりもち」に加工され、鳥の捕獲(僕が子供の頃はセミ)に利用されていた。そもそもこの種は塩害に強く、海岸線近くに多く分布しているそうだ。仁我浦区の金毘羅山も「神の領域」ということであろうか、杉はほとんど植林されておらず、太古の森がそのまま維持されている。日出時刻はあまり変わらないが、夕刻はだいぶ明るくなった様に思う。また歩き始めようと思う。

 そんな訳で、先日は歩けばいいのに気が進まず、BSの刑事コロンボ「別れのワイン」を鑑賞。何度も見ている訳で止めておけばいいのに、ついつい見てしまう。その中でも発見があった。ある登場人物、どこかで見たことがある。そうだ、詐欺師の映画「ステイング」でFBI捜査官(無論偽者)を演じていた俳優だ!さらにコロンボがある女性より「もうすぐアラン・ラッドの映画が始まるから、手短に!」と言われる。「アラン・ラッド」と言えば、遠い昔の俳優。だが僕らが子供の頃は旧い映画を見る機会は多く、映画「シェーン」の主役アラン・ラッドは何とも格好いい男だった!昔の再放送番組にはそんな愉しみもあるのだ。

 それにしても、このコロナ禍・オミクロン株の大流行、誠に困ったものですね。先週書類を入手する為に館山の複数の役所を巡回したが、かなりの「戒厳体制」でした。その中のある役所では、収入印紙を自分で貼る様に求められた。僕は切手とか印紙を見ると思わず「舐めて」しまう癖があるが、今回は流石に差し止めた。そこでは以下の様な会話があった。

「皆さんこんなに警戒しているのに、ここで印紙を
 舐めたら大顰蹙でしょうねえ!」
「はい、舐めないで、これを使って下さい。」
「「舐める」癖がある人々はいる筈だから、窓口
 に大きな字で「印紙は絶対に舐めないでくださ
 い!」という大看板を張ったら如何でしょう?」

 と、まあ馬鹿々々しい限りですが、バカバカしいことで笑うのはこのご時世大いに結構、ということでしょう。早いところ感染がピークアウトするといいですね。それでは。 

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