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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

昭和のギャグ とりあえず最終編

 昨晩は長女の幼稚園からの同級生のN君の来訪を受け、彼の「理由なき反抗」の時代の出鱈目な逸話で遅くまで大笑い。僕も久しぶりに大いに話したが、思えば彼らの年代はもう30歳。彼らの話をよく聞き、教えを乞う位の姿勢じゃないと、単なる「うるせえ親爺」となってしまう。そう反省した次第であります。

 今朝も温暖な穏やかな気候。銀杏の黄とハゼの赤は未だ少し残っていて、野山の風景に彩りを与えています。この彩りのまま年を越しそう。柴地区の別荘地へのルートは前回通行不能で今回も裏道から登ったが、帰路聞いたところではすでに簡易的に復旧されている由。明朝はその復旧さらた我が正規ルートを行くか、或いは試しに同じく前回通行不能だった道久保ルートを久しぶりに歩いてみるか?年末年始は酒を程ほどにして、歩いて、少々働いて過ごすつもりです。                
最近「昭和のギャグ」シリーズを書いて参りましたが、明日は大晦日。一応は区切りをつける意味で、今日はその「最終編」として書いてみます。

 昔会社の先輩から聞いた小噺。地獄に落ちた男は、閻魔様に「地獄には3つの場所があるので、好きなのを選べ!」と言われた。しかも実に寛大な閻魔様で、「選ぶ前の実地見学もOK」だと言うのだ。男は最初に針の山地獄を見学する。そこでは針に刺されて血まみれになった人々が悶え苦しんでいた。「ここは嫌だ!」。次に男は血の池だったか(?)何だったか忘れたが、その2番目も無茶苦茶に悲惨な場所だったので、男は気が進まなかった。
 そして最後の3番目は「うんこの池」。うんこの池に肩まで浸かった人々がおいしそうにタバコを吸っている。周囲にはひどい悪臭が漂うが、まあずっとこの池に浸かっていれば、この臭いにも慣れてしまうだろう。どうもここが一番居心地が良さそうだ。そして、いよいよ「うんこの池」行きを決断しようとしたその時、池の管理人たる鬼がやってきた。そして鬼は叫ぶ。
「はい、休憩おしまーい。潜れ(もぐれ)!」

 長野県のある名門高校の野鳥研究部の新入部員歓迎のバードウォッチングの話。部長が新入部員にいう。「君たちは鳥の雄と雌の見分け方を知っているか?」
「そうか、知らないか?ならば今日ここで教授しよう。まずは鳥の後ろに回り、下方から望遠鏡で鳥の足の間をよく眺める。そしてその間に金玉の付いているのが雄で付いていないのが雌だ!」
 因みにその新歓のバードウォッチングで発見される鳥は不思議なことにすべて雌なのだそうだ。雌鳥は新入部員が好きなのかしら???

 某大学の山岳部の昔話。当時からすでに部員不足が深刻だった。遭難死者累計が「毎回部会に集まる人数の中から1名」という生々しい実感を伴う確率だったからなのかもしれない。そんな中で現役部員の山行の質(=難易度)を維持するには、部員には少なくても6年間在籍して貰わないとうまく回らない。理科主体の大学なので、気の効いた連中は大学院に進学、気の効かない連中は単純に2年留年する。因みに優秀だった(文科の)我が友は、「5年で勘弁してください!」と土下座。その一年間を卒論執筆と公務員試験の受験勉強に充て、家庭裁判所の調査官とになった(鬱持ちの僕は今でも電話での彼のカウンセリング受けています)。
 しかし、それでも人員不足は起る。「5泊6日停滞(予備)5日」で計画した山行のメンバーが足りない。あるOB(無論在学中)の曰く「いやあ、停滞日5日を全部使っちゃうと、試験に間に合わないんだよなあ。」
 でも結局参加してくれることになった。しかしその山行は最初から荒天の連続で遅々として進まず。またたとえ悪天で計画を完遂出来なくても、「行けるところまで行く」ことが部の山行の流儀。とうとう「明日動けなければ、予備日を完全消化」というところまで追い込まれる。16時の気象通報で天気図を書くが、翌日の予報は芳しからず。翌朝リーダーがテントを開け、外を眺める。ひどい吹雪にして強風。これじゃあ今日は動けない。
 まずはリーダーが残り少ない酒をメンバー全員のコップに注ぐ。
「先輩、もう一年、お疲れ様です!」

 という訳で「とりあえず最終編」は記憶の中のギャグを引き出せずとうとうネタ切れ。最後の2つは実話となりました。でも「事実は小説よりも奇なり」。そんな諺もありますし、これで勘弁してください。それでは。皆さん、今年はお世話になりました。よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願い申し上げます。

昭和のギャグ ロシア編

 一昨日は冬型の気圧配置がバッチリ決まり、凄まじい強風。終日専門家と共に町内を巡回しました。気温も低下し、来週をもって概ね令和5年も終わり。ようやく「年の瀬」という気分になってきました。

 今晩も少々時間はあり、昭和のギャグの続編でも書こうかと思うも、記憶から絞り出すのは何となく面倒。そうですねえ、今日は平成ものが混入してしまう公算大だが、ロシアのギャグを紹介しましょう。一部には(少々不謹慎ながら)今だからこそ、より多くの人々が愉しめそうなギャグがあったりして。そう言えば、学生時代にロシアのジョークの本を借りて読んだことがあった。そんな記憶が甦りました。今まで本を読むことで育まれた僕の時代感覚。日本史は概ね司馬遼太郎と井上靖、世界史は近世までは塩野七生さんの書籍由来、近代以降は雑多です。ロシアのギャグをそんな時代感覚を以って相対化するのも結構愉快な作業となりそうです。

 まずは昔の週刊朝日より。父親の購読していた雑誌ですが、高校時代に読んだものかと思われます。
 モスクワの酒場でウオッカを飲んでいた二人の男の会話。
「クレムリンはアメリカに追いつけとは言うが、なぜ追い越せとは言わないのか?」
「そうだなあ、追い越したら、ズボンの破れがばれるからだろう。」

 これはブレジネフ時代のギャグと思われます。「ソ連は貧しい軍事大国」というイメージが広がった時代ですね。でも佐藤優さんの著作に拠ると、この時期シベリアの石油開発が進み、その後第四次中東戦争が第一次石油ショックを誘発し、石油相場が高騰。それはロシアに多額の外貨をもたらし、クレムリンはその外貨で米国やフランスから大量の小麦を輸入、パンの価格を大幅に下げた。ブレジネフが地方を行幸(?)する際の口癖は、「どうだ、肉は足りているか? 肉を食わなくてはなあ。」。
住民に肉が足りないと言われれば、直ぐに大量の肉を送ったそうな。なお輸入小麦粉由来の白いパンはロシア人の嗜好に合わず、その大半が家畜の餌になり、肉に化けた由。米国にタカ派のレーガン政権が発足した後も、ブレジネフは好戦的な雰囲気ではなかった。当時僕は西ドイツにいたが、ドイツの若者の間ではブレジネフを擁護する声が結構大きかった。

 次はプーチン時代にロシアで流行ったギャグというか、ブラックジョーク。僕はロシアの極東のアナデイ―ルでこれをロシア人通訳(ロシア語=>英語)経由ロシア政府の役人さんから聞きました。
以下はボリス・エリツイン(ロシア大統領)と(最近日本でも有名になった)ベラルーシのアレックス・ルカシェンコ大統領が一緒に飛行機に乗った時の会話です。
「なあアレックス、もしこの飛行機が落ちたら、どっちの国民が失望するだろうか?ロシア人か、ベラルーシ人か?」
「うーん、そうだなあ。でもボリス、僕にはロシア人とは思えないなあ。いや多分ウクライナ人だ!」

 という訳で、わかりにくいギャグなので、敢えて解説しましょう。ウクライナ人からすると、折角旧ソ連の首脳達が搭乗する飛行機が落ちたのに、自国の大統領が同乗しておらず、死ななかったのは何とも残念、失望に値するという訳です。なお、ルカシェンコは「最後の独裁者」として昔から西欧社会では有名な御仁でした。以上くどくどと説明をしましたが、口頭でこのジョークを披露する場合、ルカシェンコの返答は「ウクライナ人」の一言。一瞬の沈黙の後に爆笑の渦が巻き起こる。こういうのを質の高いブラックジョークと言うのでしょう。
その他、
「フリシチョフは大馬鹿者だ!」と叫んだ人民は国家機密漏洩罪の嫌疑で逮捕された、という当の本人がケネデイ―に披露したジョーク。
老境に達したブレジネフの母親は常に赤軍の来襲を怖れ、毎晩うなされて眠れない。
急なKGB職員の訪問を受け、クレムリンを批判する言葉を覚えてしまった九官鳥をあわてて冷蔵庫に隠した。何とか事なきを得たが、冷蔵庫から九官鳥を出すと、「シベリア送りは真っ平だ!」と叫んだ。

 という訳で、結構いい線行ってますね!さすがドフトエフスキーを生んだ国。未だ世界に甚大な影響を与え続けているロシア文学。それは18世紀初頭にピュートル大帝がバルト海岸にサンクトペテルブルクを建設して欧州への門戸を開いた後、18世紀末から19世紀末のたった100年の間の創造された文学(その後は音沙汰なし)。政治思想は権力に厳しく規制されていたので、言わば「あだ花」的にロシアに「文学」という花が開いた。それが日本の誇る大言語学者(哲学者)井筒俊彦が1950年代に示した見解です。

 こんなことを書いているときりがない。今晩はこの辺でお終いにしましょう。それでは。

昭和のギャグ 2

 日曜より石巻・鮎川へ出張、今日帰郷しました。日曜の夜には相当に冷え込んだ模様で、夜石巻にて初雪に遭遇。秋田から青森あたりでは結構の降雪があった由。まあ師走も下旬に入っている訳で、これは当たり前の出来事です。今のところ房州は晩秋の佇まいでして、銀杏の黄葉やハゼの深紅が美しい。ひょっとしたら、紅葉が年越ししてしまうのでは?さもありなん、と思います。

 土曜には石垣島のNさんの来訪を受け、夜は居酒屋にて歓談。日曜は大人しく寝ればいいのに、久しぶりの石巻、たまたま馴染みの居酒屋が営業中、ついつい得意のカニクリームコロッケと銀鱈カマ肉とカキフライで数杯、旧交を温めてしまった。続く月火はノルマに近い会食。今朝仙台発帰郷し、午後の面談をこなしましたが、帰宅後どっと疲れが出できた模様です。でも意外にも寝付けず。仕方がないので、また昭和ギャクでも書いて、こころを和ませよう。そう考えるに至りました。今回は軽めなギャグを紹介しましょう。

 まずはTVのCM絡みのギャグ。
「リンゴを食べると歯から血が出ませんか?」
昔そんな歯磨ペーストのCMがありました。恐らくはメーカーが歯槽膿漏なる歯の病に注目し始めた時期かと推察します。深夜放送ではこのフレーズをもじった標語のようなものを読者に募集していました。その中のひとつ。
「毬栗(いがぐり)を食べると、胃がグリグリしませんか?」
これは「出来すぎ」と言わざるを得ません。まあ、あの棘に覆われた毬(いが)を食べるのはナンセンスだが、不思議と違和感なく耳に入ってきますね。「胃がグリグリ」はダジャレの域を超えている。確かに(無理を押して)食べれば間違いなく胃がグリグリしそうですね。

 次に昭和世代の我が畏友が書いた「君が代」の替え歌。覚せい剤の撲滅を祈念して書いたものだそうです。
「覚せい剤はあ 初めえは 気楽に 弱い意志の 赴くままに 命失うまああで」
是非日本国国家のメロデイーで高らかに歌ってみてください。僕の場合は「弱い意志の」あたりで余りのバカバカしさに笑ってしまいました。

 次は実話。秋田の農村部出身の在京の学者さんの発言です。三島由紀夫が自衛隊で自決したことは大きなニュースとなりました。その学者がその話題に以下の通りコメント。
「不可解です!あんなに明るい笑顔の人が自決してしまうなんて!」
後にその学者さんの不見識が露呈されました。何と彼は「三島由紀夫」と「三波春夫」とを勘違いしていたのでした。「仮面の告白」の文学界の大御所と「お客様は神様です」、「1970年のこんにちは」、(知らぬ同士がお皿たたいて)「ちゃんちきおけさ」の演歌界の大御所のギャップは、同じ「大御所」とは言え、凄まじいものがありますね。でも名前の雰囲気はよく似ているような、、、僕は結構納得出来ました。

 最後は家内の持っていた雑誌に書いてあった読者からの投稿より。
百貨店で上階へ行くエレベータが5階で止まった。エレベーターは自動的に開く。すると相当に高齢の身なりのいいおばあさんが待っていた。そしておばあさんは品のいい笑顔で乗客に聞いた。
「皆さん申し訳ありません、あのお、このエレベータは下に降りるんでございますか?」
すると近くドア近くに乗っていたOL風の若い女性が緊張した面持ちで答えた。
「申し訳ございません。このエレベーターは上に行くでござんす。」
おばあさんに必死で丁寧な言葉を返そうとした若い女性の健気さ!気持ちが伝わって来ます!こころが温まりますね!それでは、今日はこの辺で。

昭和のギャグ   中島らも編

 昨日は午後から夜まで東京海洋大学の学生達と楽しく過ごしました。久しぶりに「学生達が僕の話を一所懸命に聞いてくれている」と感じられて嬉しかった。僕は一応彼らの先輩に当たるのだが、同学の修士課程を卒業したのは齢46の年。年齢差40歳、、、、まあ僕の話にピンと来ないのは当然ですね。でもかかる機会をいただければ、僕は遠慮なく話そうと思う。過ぎ去りし時代の事象や空気を断片的にでも聞くことは、彼らをして今の時代を相対化する思考を育むきっかけになるかもしれない。また「シラケ世代」・「三無主義」後期に学生をやっていた僕らの話は、過去の怠惰な自分等の経験をおちゃらけで笑い飛ばすニュアンスが強い。急激な科学技術の進歩が逆に従前の管理社会を益々精密化し、効率化の波がゆっくりとでも確実に個の自由の幅を減殺している。まあ「気楽に生きていく勇気」(変な言葉!)を持てる様に応援出来ればいいのかなあと考えている。

 昨朝は同僚が「自分の仕事」と考えていた事務作業を相当前に進めてくれていることが判明。感謝!日曜からの出張の準備に数日血道を上げるつもりでいたところ、すっかり気が楽になりました。という訳で晩酌をしながら、「久しぶりにギャグでも書こうか」、という気分になってきました。但し頭に浮かぶギャグは「昭和のギャグ」でして、多分このブログに書いたものの繰り返しとなりそうです。まあ、書いてしまいましょう。

 まずは遠い昔朝日新聞に掲載された中島らも氏の「明るい悩みの相談室」より。
悩み①「仮面ライダーに登場する悪役のショッカーは世界を征服する等立派なことを言っていますが、実際には小学校を襲って子供達を監禁する等、やっていることがいかにもセコい様に思います。こんなことでは地球征服はおろか小さな田舎町ひとつさえ征服できないのではないかと心配しています。こんなことでいいのでしょうか?」

悩み②「先日立派なターバンを頭に巻いたインド人と思しき人が原付バイクに乗っていました。原付バイクでもヘルメット着用は義務。でも、あんなに立派なターバンを巻いてのヘルメット着用は絶対に無理だと思いました。警察は彼を捕まえてしまうのか、とても心配しています。」

 悩み①の「ショッカー問題」はかつて和田小学校最後の5年生(学校併合に拠る)に「55歳の遺言状」という授業の「笑いの必要性」のパートで紹介した記憶があります。児童たちは結構笑ってくれました。
 悩み②の「ターバンとヘルメット」はかなり悩ましいですね。そうですねえ、僕だったら一目見て瞬時に判断・見逃します。そうです、人生においては熟考を重ねる暇など無く、瞬時に判断を求められる瞬間があります。その瞬間を無事に通過し生き残ることが出来れば、永遠に貴方は金毘羅様のご加護を受けることになるでしょう。因みに金毘羅の語源は「カンピーラ」。「カンピーラ」とはガンジス川に生息するワニの神様。ヒンズー教の神様です。なお、これらの悩み相談に中島らもはどう答えたのか、記憶にありません。恐らく、らもさんは相談者のあまりにも深い悩み・絶望感に共鳴し、相応な力強いギャグで返すことが出来なかったのかもしれません。

 中島らも氏は神戸の名門・灘中学校を6番の成績で入学した元大秀才。6番という成績を聞いた時、自分よりスコアの高い人間がいることに驚いたそうです。生涯極度のアル中・煙中にして薬中。文筆活動をしながら薬局でケース買いした咳止め飲み薬(合法)を服用し続けた人。生前「酔っぱらって階段から落ちて死んだら云々」と書いていましたが、本当に自宅の階段から落ちて亡くなってしまいました。竹中直人や松尾貴史(通称キッチュ)の親友。竹中直人と蕎麦屋に行った話が僕は好きだった。

 竹中直人がお品書きをみながら、つぶやいた。
「うむ、月見そば、天ぷらそばかあ。そうか、鴨南蛮、むむむ何?、コブラうどん???」
皆爆笑。そこで竹中直人曰く。
「そうだね、コブラうどんとかキリストそばとかあったら愉しいね。」だって。因みにコブラ=コブ=昆布です。
それでは

師の走る頃、我も走る!

 久しくご無沙汰してしまいました。右背中に疼痛を感じて寝られなかったり、10余年前の震災の大借金の大掃除がうまく進まなくて悩んだり。「背中の疼痛は内臓に繋がっている」という同僚の恐喝に反応し、近所の接骨院通院をやめて整形外科医院に行ってきました。先生に「同僚に脅かされまして云々」というと、「それはうちに来て貰ってもわからないよ!循環器内科に行って貰わねば。」という返答。「よくわかりました。」と当方は返答しましたが、早速先生はレントゲン撮影をやってくれました。そして「ああ、お見事!首の骨が不自然に曲がってますねえ。疼痛は簡単に言えば、肩こりの一種でせう。」とのこと。率直にして合理的なり!その後朝の散歩を励行したところ、昼間は疼痛に悩まされることは無し。助かりました!

 という訳で早師走に入りましたが、この時期は師(僧侶)が多忙を極めて走り回る時期。
語源としては「年果つ(としはつ)」が「師走」に転じたとする説もあるそうですが、やはり「お坊さんが走り回る風景」を想像する方が愉しいですね。僕自身も大借金の問題を抱えたままですが、ようやく「支払わなければならぬものは支払うべし」と覚悟。多忙なものの精神的には解放された気分ですね。

 執筆再開に当たり、とりあえずは時事問題から始めましょう。件のパーテイ―収入の議員へのキックバック問題で政界は大騒ぎ。昨朝の新聞に拠ると、多数の閣僚を実質的に罷免される見込みの安部派の議員達が遂に大反発、派閥を上げて抵抗を始めたらしい。一方で物故した父親の残した「叛骨の宰相 岸信介」なる本を今読んでる僕は「そりゃあそうだろうなあ。」と思ってしまう。

 岸の政敵でもあった吉田茂は、同じく政敵であった鳩山一郎(不思議な鳩山由紀夫元首相の祖父)が子分の選挙を応援する為に多額の借金をしていたところ、「鳩山一郎の借金を肩代わりしてやれ。」と子分の佐藤栄作幹事長(後の首相で岸の実弟)に命じ、佐藤は資金集め(当然裏金)に奔走。その後造船疑獄事件が発覚。検察は佐藤逮捕に踏み切る姿勢を示したが、その前に吉田内閣は法相による指揮権を発動して佐藤の逮捕を回避。しばし吉田・佐藤は共に外遊し、そのほとぼりの冷めるのを待ったとか。多分この造船疑獄で動いた銭は、今回の「キックバック資金」の数十倍の規模(価値)であろうと考えると、今回のパー券問題なんて馬鹿々々しい出来事と感じてしまった。もっと大切な案件があるのでは?でも今回検察は本気で立件する姿勢の由。税金で政治資金を出して貰っている政治家達が、セコい方法で自己資金を増やし、おまけにその報告をせずに裏金として使うとは何たる体たらくか?それが検察の本音であろう。確かに、日本の始まりは淡路島、噓つきは泥棒の始まり、パー券は汚職の始まり、ということで、善処を求めませう。

 でも、岸信介を軸に戦後政治の動向を読むと、華族・薩長土肥の門閥政治家や軍部と内務省や特高(公安)を筆頭とする官僚組織に牛耳られていた戦前戦中の政治。当時弾圧された人々を含めた多様な政治家達が新憲法の下に選出され、自由に新生日本の政治を動かせることに大きな喜びを噛みしめながら、札束をばら撒き、政敵との大人気ない政争に血道を上げている様子から、戦後の貧しくても明るい時代の息吹を感じました。そう、515事件や226事件はもう起こらないのだから。解放感!これは大きいと思う。司馬遼太郎さんは「戦後の抜ける様な青い空」という表現を使っていた様に記憶しています。

 ガザ問題で2点ほど書きたいことがありましたが、もう結構長くなってしまいました。今日はこの辺でやめておきましょう。それでは。

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