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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

近江七不思議

 なぜこんなことを書こうと思い立ったのか、理由がない訳ではないが、その説明がややこしい。という訳で早速書き始めます。7つも書けるかどうか、わからないが。

  ①まず、なぜ大阪・兵庫・京都の関西連合は滋賀(と奈良も!)を除け者にするのか?不思議という他ない。例えば群馬と栃木が組んで一緒に茨城を馬鹿にする漫才、僕はギャグとしては気に入っている。ただ、滋賀(と奈良)を除外してしまったら関西の価値は半減する!古都奈良は言うに及ばず、滋賀は琵琶湖の水運により日本海岸と京都・大阪を繋ぐ要衝の地。淡海は古くは帰化人が移住・定着し、大陸の文化を伝えた地でもある。それを排除するなんてもってのほかである。

 ②そう言えば我が千葉県も(埼玉県と共に)東京・神奈川の首都圏連合から外されかつてCHIBA(チャイバ)と呼ばれていた。最近それを聞かないのは不思議と言えば不思議?ダサイ玉の方は映画の続編さえ製作されたのに。否、不思議ではない。それは中国の大国化(なる日本人の認識の変化)に拠るものであろう。僕はCHIBA(チャイバ)という言葉に中国人を侮蔑するニュアンスを感じ、最初から厭だった。この世界は概ね国民国家の集合体。国家と国民の名称を、(親愛の情とユーモアを伴わぬ)国家や民族を馬鹿にしたギャグに使うのは慎むべきである。
 一方で「支那(シナ)」という呼称。これは隋代にインド由来の経典の翻訳をした隋の仏僧が使い始めた言葉だそうな。「支那そば」の方が「ラーメン」よりも余程語感はいいし(例:葡萄酒とワイン)、欧米・中東・インド等の横文字文化圏のそれに音感的にも近くて好ましいのではないか。僕には(戦前中日本人は侮蔑の意味を込めて使ったとされることは知っているが)そんな感覚がある。そうなれば、滋賀(志賀)=SHIGAとSHINA(支那=中国)は一字違い。双方共日本文化・東アジア文明の源流。なかなか行けている!でも最近滋賀県側に不穏な動きが、、、(上述の映画のCMに拠ると)滋賀が埼玉に急接近中?だったら千葉は和歌山と組むか(零細捕鯨者の我水引田の戯言なり)?とかバカバカしいことを書きましたが、こりゃあ不思議云々とは関係はありませんねえ。
 でも上述の「支那」と「中国」の表記につき敢えて一言書かせて貰うけど、習近平の主張する「中国の夢」(=「中華民族の偉大なる復興」+「一帯一路」)は熊のプーさんが蜂蜜を腹一杯食べて寝転んで見ている穏やかな夢とは全く異質な模様です。だから最近頓に「中華」という言葉は使いたくない、という気分がありますね。「中国」という名称は戦後蒋介石が日本人にそれを使う様に主張、日本人はそれを受け入れた経緯らしいが。

 ③滋賀県庁の所在地大津。その存在感(全国的な知名度)の希薄さ!これは近江の不思議以外の何ものでもなかろう。でも残念ながら実は合理的に説明出来てしまうのです。まず古都にして政令指定都市の京都からJRでたった二駅の近さ。故に新幹線の駅は無く、電車の乗換もなし。大津駅はのんびり乗降できる静かな佇まい。故にたった二駅先の京都が観光客でごった返していても大津は静か。また当地はかつての琵琶湖水運の荷物の集積地。円城寺・石山寺等の巨刹もあり、僕のお気に入りの街。京都に行くのなら大津に泊まろう!てな訳でやはり大津自体がその駅も含め「不思議な存在」と言えそうである。

 ④今回その大津駅のホームにて、茶色い細い鉄塔に「昇柱禁止」(パソコンは焼酎禁止と誤変換)と赤文字と書かれて白地のプレートが貼ってある。一体誰がこんな鉄塔なんか登るか?道頓堀の阪神タイガースの「あれ」の際にそのファンが堀に飛び込む橋でもあるまいし。でも、過去に昇柱した人間がいるからなのか?これを登る人間自体不思議だし、こんなプレートを貼るのも不思議である。

 ⑤さらに日本各地の神社仏閣でよく見る「焚火と喫煙を禁ずる」という看板だが、円城寺にもあった。喫煙はともかく、このご時世国宝級の寺で焚火なんかをする輩は実在するのか?これも不思議と言う他ない。尤もこの「焚火」部分を削除すると、逆に焚火が解禁されたと勘違い、嬉々として焚火をする連中が現れることを恐れているのか?焚火好きな僕でさえそんなことはしない。まあ戦後の闇市時代に想いを馳せ得る貴重な文化遺産が継承されている。看板が比較的新しいことから、そう理解しよう。

 ⑥禁煙と言えば、遠い昔那智勝浦駅のホームの片隅で僕は煙草を吸っていた。そこに少々やばそうなおじさんが近づいてくる。「兄ちゃん、ここでタバコ吸っても大丈夫か?」 僕は天を指さし「この青空を見てください。タバコはこういった場所で吸うものですよ!」 という訳でおじさんも一服始めた。名古屋行きの特急列車(指定席)に乗り込んでしばし旅情に浸っていると、例のおじさんが缶ビールを数本抱えてやって来た。訳のわからぬことになったが、とりあえずは宴会開始!おじさんは栃木の先輩に会いにいくらしい。ビールの方も順調に消化、なかなか愉快な宴となった。そんな時に車掌さんが切符の検札に来る。おじさんも指定券は持っているのだが、席が違う。車掌さんは困惑しながら席の移動を依頼するのだが、おじちゃんは「わてはちゃんと切符代を払っとるで。なんで動かにゃあならんのや!」と聞かない。少々まずい雰囲気になりつつあった。そこで僕は「親父さん、ここは指定席だから仕方ない。車掌さんを責めたら可哀そうだ。」と介入。まあ、ここは、紀州の真っ青な空の下、駅のホームの片隅で一緒に美味しいタバコを吸い、その後ビール片手に約2時間の宴会を愉しんだ仲間、おじちゃんは僕の一言にあっさり折れてくれた。「じゃあ元気でなあ!」「ビールご馳走様でした。」と会話を交わした後、おじちゃんは本来の席に戻った。あの旅では僕は津で下車し、船で名古屋空港に向かい、恐らくは仙台に飛んだのだと想う。下車の際車掌さんが寄ってきて、「どうも有難うございました。」と僕に頭を下げた。タバコは美味いはビールも美味い、おじさんとの会話は愉しく、おまけに車掌さんにも感謝された。極上の思い出。でも不思議と言えば不思議な出来事、ということにしておきましょう。

 ⑦さて、最後のひとつ。苦しい!そうだ、関東から大津に行くには、京都で乗換・東海道線で二駅戻るのが時間的には早そうだ。でも僕は米原で下車・東海道線の快速に約1時間揺られて大津に入る。大混雑の京都なんかに用はないし、京都・大津間の往復料金を取られるのも馬鹿々々しい。そもそも新幹線の車窓からの眺めは今一つ。要するに早すぎて風景がよく見えないのだ。その点鈍行や快速に乗れば、彦根城や線路近くの杜の佇まいや瀬田川の様子なんかもじっくり眺められる。このJRの理不尽(=「不思議」ということにしておきましょう)には既視感がある。そうだ、静岡の清水へ行く場合だ。確か清水駅は静岡駅の2つ手前の駅だった様な、、、そんな気がする。要するに静岡・清水間の往復運賃をしっかりと取られるのだ。清水と言えば、「ちびまる子ちゃん」の舞台=「日本一平凡な街」。冬の富士山の眺めは迫力抜群だが、その他は何もない冴えない街。最近サッカーでは結構行けているけど、それはちびまる子ちゃん以降のこと。そこに大津との共通性を感じるのだが、どんなものであろうか?いやいや、やはり大津の方がずっとずっと風情がある。昔から房州人と駿河人は「あばら骨が一本足りない」と言われていた。温暖な気候、豊穣なる海と陸。それ故に故郷のもつ素晴らしき素質を語ることが苦手なのだ。その点滋賀・大津の人々は?近江商人発祥の地、やはりその辺は心得たもの。やはり大津の勝ちということになるだろう。不思議でもなんでもないけど、ご勘弁の程を!これにて、ようやくインチキネタも含めてとりあえずは7つを揃えました。それでは。

近江小旅行ー豪雪の湖北再訪ー

毎冬 睦月の末頃 この時期に西高東低の 
冬型の気圧配置が ばっちり決まると
僕の関心は 琵琶湖北部の 気象に向かう
時に ライブカメラ画像さえ 検索して
僕は 高時川河岸の 様子を確認する
要するに 豪雪がどうかを 確認するのだ

十余年前の睦月上旬 真白き富士山を背負った
清水市の大学にて 捕鯨の現況と歴史を論じた
その後名古屋経由 湖北の集落で一泊
回想―雪の中の祈りー かつてこのブログに
そんな見出しで その旅のことを 記録している

その後 新船建造の目的で 時々大阪へ出張
その帰路には決まって 湖北を再訪した
秋の愁いを帯びた 紅葉の美も満喫したが
やはり僕は 初対面の思い出 あの湖北の
北国街道沿いの 宿場町の 豪雪の風景に
引かれるのだ また戻りたいと想うのだ

今回も ライブカメラで 豪雪の画像を見て
週末の 小旅行を 雪中湖北散歩を 計画した 
京都在住の長男には 初日は大津泊と連絡した
電車でたった二駅 喧噪の京都から 淡海へ
夜は一杯やって 翌日は志賀の都を歩こうと
三井寺から 義仲寺経由 瀬田の唐橋まで
極力 旧東海道と 湖水際を 歩いた

そして翌朝は 湖北は北国街道沿いの木之本へ
勝手を知る 小径を歩きながら 時にはラッセル
雪の集落 寺社 巨木との 再会を 愉しんだ
残念ながら 馴染のめし屋さんは 全てクローズ
またコロナの影響が残り ひと風呂浴びれず
その快感は 次回に持ち越しませう それでも
過去の想い出を辿る旅 祈ること自体に似た
雪中行脚 充実した 冬の小旅行となった

小さな旅 ―巨木巡りー

 新聞では引き続きパー券収入未計上(=裏金発生)と派閥解消問題。毎日のコラムでは首相のことを「Mr.検討使(遣唐使)」、自派閥の裏金がバレたら急に「派閥解消」、これは「パソコンをドリルで壊す」のに似たり、と阿諛。笑ってしまったが、正直今更派閥解消でもないだろうと思った。

 確かに昔の「経世会(田中派)に非ざればOOに非ず」というのはうんざり。でもあれは小泉さんが(もっと大事なものと一緒に、時の勢いってやつで)ぶっ壊した。岸田さんが派閥解消を言うのは「とりあえず今は一旦解散した方が受けがいいだろう、また適宜作り直せばいい」といった感覚なのではないか?

 そもそもパー券問題と派閥問題を一緒に大々的に取り上げたのはマスコミである。火付け役の赤旗は溜飲下がる想いだろうが、検察は旧安倍政権への意趣返しのつもりが、予想外の大騒ぎとなり、困っている様子?という訳で、そんな記事で紙面を埋めるよりも、最近影の薄いウクライナ戦争のことをもっと書いてほしい。そう希望します。

 それと、そもそも衆参併せ700人超もいる代議士の集団。いくつかの集団に分かれることなくて、機能するのだろうか?例えば内閣の組閣人事や党役員人事。それを派閥(もしくは党内の複数の集団)の機能を使わずにうまく采配できるのかしら?そんな感想を持ちました。

 という訳で時事問題はこの辺でお終い。今日母親と行った小旅行、巨木巡りを散文詩風に書いてみましょう。


今日は久々の真面目な雨
つっかけ装束の僕には
何かと不都合 長靴を車に積み
久しぶりに母親と外房地区の
巨木巡りに出掛けた

鴨川の粟斗温泉を偵察
荒天予報故か 今日は空いている
農家の庭には梅が咲いている

由緒正しき 天津神明宮に 初詣
「海上安全」の御札を二枚求める
神主と思しき方が「何処から?」
当方より「和田です、定置と捕鯨です」
といった感じで会話が始まる
その方は天津の出身で、何とまあ
二人のMさん(ひとりは旧姓T・昨年物故)の
同級生ということであった
だったら大酒飲み? 勿論!
高校時代はよく飲んだなあ!
期せずして大きな共感が生まれた

おせんころがしの道から
山間の道へ行く
途中にスダジイの巨木2本
やはり立派でした

雨を避けて 出発を遅らせたので
もう午後三時也 上総興津駅前の
中華も蕎麦屋も閉まっていた
でも青空が見え 虹がかかった

という訳でもうすぐ齢九十の
母親との小旅行でした。
それでは。

追記:サッカーアジア大会、日本のイラク戦、たまたま後半だけを視聴。「負けちゃったけど、日本代表の選手は本当にうまくなった!」それが正直な感想でした。

わが友 裏山の銀杏

常緑の房州では 季節は静かに移ろう
落葉樹が少ないから 風景はさほど変わらず
子供の頃 その単調さが 退屈だった

冬の鮮やかな彩り 強いてそれを選ぶなら
やはり陽光を浴びた 柑橘類の黄色であろう
椿や山茶花は 確かに重厚できれいだが
何故か さほど こころを引かれない
やはり花は 春の嵐に 慌ただしく散り
紅葉は 初冬の風に はらはらと落葉する
そんな はかなさに ひとは 
もののあはれを 感じるらしい

それでも 加齢によるものか
近年 見えるものが 変わってきた
僅かながら 黄色の葉を残して 
廃寺の隅で 年を越した 銀杏の木
その枝々を 天に向かって 自由に
思いのままに 複雑に 伸ばしている
樹下に赴くと 幹は意外に細く 貧相だ

一般に寺社の銀杏は よく手入れされ
その太い幹を 誇る様に 境内に屹立する
ひとが 介入しなければ 銀杏だって
自由に 四方八方に 伸びるのだろう 
その幹は 太くはならず 貧弱だが
周囲の木々に守られ 倒れることはない

我が親しき銀杏の木は 秋から冬に
裏山の斜面の 常緑に森の中で
大いに自己を主張 己が歴史を語る
音無き声で 時には風の力を借りて 
それを ひそかに 語りつつ
我が生活を 見守ってくれている

初夏から秋には 静かに 沈黙を守りつつ
それでも 我が内面をも 見守っている筈
今朝は 何故か そう思えた

どこかに行こうか

 最近何だか眠りが浅い感覚
 寝不足では快適に働けない
 試しに ここ二日間
 早朝に起床して着替えて
 ルーティ ーンをこなした上で
 ソファーで二度寝してみたら
 充実した眠りに満足した

 だがそれでは朝の散歩ができない 
 美しき風物に触れる場面がない
 この世は修羅場なり
 被災地や紛争地の人々の
 嘆く様子が目に浮かぶ

 甲州の梅の花のことを書いたら
 ささやかな旅でもいい
 どこかに行こうか そう思った

 それでも朝には明日が始まる
 今晩はとりあえず寝床に入ろう
 いい夢なんて期待できないが
 明朝は気張らずゆったりと歩いて
 美しきものを見られるといいな
 おやすみなさい

梅の花開く

 今朝、寒風吹く通勤散歩の途上で梅の開花を確認しました。まだ数輪に過ぎないが、その楚々と咲く姿は格別なもの。ここ数日の寒さでようやく冬を迎えた気分に。急ぎ足の散歩ではあったが、季節の移ろいを実感しました。そう言えば、今春は蝋梅をまだ見ていない。週末には久しぶりに遠出(と言っても隣の駅まで)の散歩をして、平塚山直下の集落のそれを眺めて来よう。(「ロウバイ=老梅」と昔は書いた記憶があるが、今では「蝋梅」が正しいんですね。)

 遠い昔の新人サラリーマン時代、冬の週末にひとりで山を登っていた頃、僕は大いに梅の花に親しんだ記憶がある。僕の力量で冬にひとりで行ける山は中央線沿線の低山主体、その他は大菩薩とか乾徳とか茅ケ岳、頑張っても冬季小屋があって雪の少ない鳳凰あたりが限界だった。標高一千米程度の低山行は山里から少し雪が残る山頂を越えて別の山里に降りる、日帰りのささやかな山旅だった。2月頃には農家の庭の梅の花が凛として咲いている。

 当時横浜(保土ヶ谷)の独身寮発横須賀線の一番列車に乗り、中央線で塩山とか韮崎の駅に下車。この時期バスの便はないのでタクシーを使って登山口へ。山頂からは甲府盆地を隔て、雪を抱いて真っ白な富士山、(後に毎冬登ることになる)南アルプスの主稜線や八ヶ岳に見とれていた。そして帰路はバス停まで長距離の集落巡り。そこでも梅の花咲く風景を愉しんだ。

 車窓から眺める3月の甲府盆地はまさに梅の里だった。甲府盆地は桃や李の大産地でもある。4月中下旬には将に「桃源郷」となり、その時期会社の同僚と一泊で歩いて食べて飲んだ山旅も愉しかった。でも毎冬梅の花の開花を見ると、「たったひとりの山」での小雪の降る小径や麓の農家の佇まいを思い出すのだ。

 井上靖さんの詩には梅の花を詠ったものが多い。その中で「愛する人に」という詩の一部を以下に抜粋し、今日の作文はお終いにします。それでは。

さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香ぐわしく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。

久しぶりに時事問題。

 久しぶりに時事問題を取り上げます。「台湾海峡有事リスク」が喧伝される中で行われた台湾の総選挙。総統選挙で勝利した与党民進党は、同日実施された国務院(国会)選挙では過半数割れとなって少数与党に転落。国民党と第三勢力が議席を伸ばした。この結果は絶妙なバランスのとれたもの、といった感想を持ちました。台湾の人々の心情は、とにかく戦争は極力(本音では絶対に)回避。また、香港の様に中共に指名された総統の命令に反対さえ出来ない社会は真っ平御免と考える人が多いのではないかと思う。

 今晩BSの時事番組で元中国大使等の専門家の見解を聞いたが、概ね僕の感覚に近かった。上川外務大臣は新総統に選出された頼清徳氏に祝意を伝えたが、早速駐日中国大使館広報部は得意の「強烈な不満と断固反対」を表明。同様の対応を各国の中国大使館が連発しているらしい(但し米国は中国と同格の大国故に特別扱いで本国外交部より表明)。仮にもし国民党の党首が総統に選出されたとしても、外相は(宛先のみを変えて)同じ趣旨の祝意を伝えたものと予想されるが、その場合も同広報部は(外国勢力による主権の侵害・内政干渉として)「強烈な不満と断固反対」を表明するのかしら?専門家はその辺の事情を説明するが、世界のプレスはそこまで斟酌はしないので、一般市民は「ああ、また始まったか」とあきれるだけであろう。中国はもう少し「国際世論」なるものに留意した方がいいのではないか?そう感じました。

 ガザ問題は相変わらずですが、毎日新聞のコラムは面白かった。南アフリカで弁護士をしていたガンジーはユダヤ人に友人が多く、欧州人によるユダヤ人差別に立腹していた。その逸話を枕に、
「英国が英国人、フランスがフランス人に属するのと同様、パレスチナ人はアラブ人に属します。ユダヤ人をアラブ人に押し付けるのは非人道的です。」と書いている。
つまり「ユダヤ人を迫害し続けたのは欧州人(最近米国の混乱にほくそ笑むプーチンのロシアも含む)でしょう?なのに、何故その問題を先住民たるパレスチナ人(及び中東から北アフリカに住むアラブ人)に押し付けるのか?」という論理ですね。

 欧州の歴史を俯瞰すれば全くご説ご尤も!一方で上述の「ユダヤ人を押し付けられた」アラブ人は、特に大戦後のイスラエル建国以降、同胞のアラブ人(パレスチナ人)難民の扱いに苦慮を重ねてきた歴史があります。第三次中東戦争後ヨルダンには多数のパレスチナ難民が流入。ヨルダン政府は多数の難民キャンプを用意したものの、政情は不安定化し、支配階級は身の危険を感じ、やがて彼らを代表する機関であるPLOを追放。PLOは隣国のモザイク国家レバノンのベイルートに移ったものの、そこでもイスラエルとの交戦が内戦を誘発。彼の地も追い出され、同じアラブ人の住むものの、遥かなる北アフリカのチュニスに移らざるを得なかった。今回のガザ危機においても、(第一次から4次中東戦争を主導した)アラブの盟主エジプトはガザ地区との国境にある検問所の運用について、「外国人は通すが、パレスチナ人は通さない。」という姿勢を鮮明にしていた。これが実態でありまして、じゃあどうするのか?という訳で議論は現況においては破綻をきたす訳であります。

 その破綻した議論をどうするか?ここから(最初から嘲笑を浴びることは承知の上で)「逆転の発想」を導き出すか?市民社会の共感を獲得する目的で。日本では「ガリバー旅行記」の作者で知られるジョナサン・スウイフトが「アイルランドの貧困を解決する方法」として提示した文章の趣旨を以下、WIKIPEDIAから引用し、今日の作文はお終いとしましょう。興味のある人は「続きを読む」をクリックしてみてください。ただ、以下は強烈なブラックジョークとも言え、共感を得られるかどうか、甚だ疑問ではありますが。それでは。

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三つの訃報に

 昨日・今日と伯母を皆でお送りしました。和田浦の伯父に嫁ぎ、この地にて天寿を全うして逝った。ふたりの伯父は50余年前に逝き、本家の伯母と我が父親は平成後期に逝き、この年始にもうひとりの伯母も逝った。和田浦で残ったのは我が母親のみとなりまして、彼女は同志を失った喪失感に苛まれている様子。60余年前に僕が生まれた頃、ふたりの伯母は赤子の僕を見にきてくれたに違いない。そう言えば、我が母は本家の長女Yちゃんが可愛くて可愛くて仕方なく(我が従兄弟姉妹の最年長にして問答無用の美人)、本家を訪ねては多忙な伯母よりYちゃんを拝借(?)・連れ出して一緒に遊んでいたとか。そんなことをも思い出しました。

 変な喩えかもしれないが、これは米国の「大きな古時計」の世界ですね。この歌は昔の歌声喫茶、その系統のビアホール等に歌い継がれ、僕もどこかで教えて貰った。米国NYの日本の単身赴任者がお世話になった大きな一軒家では、家主が毎週土曜に夕食会を催してくれた。その席で僕がこれを(日本語で)歌い出したら、日本の先輩方も相和し、さらに家主が英語で歌ってくれた。その三階建の古い木造の家屋に、その歌は心地よく響いた。歴史を実感すること、それは逝く歳月を偲ぶこと。藤村が詠った様に「過にし世を静かに想う」のも悪くない。

 さらに最近ふたつの訃報に接しました。まずは歌手の八代亜紀さん。享年72歳。まだ十分に歌える年齢なのに。残念です。僕はよく「彼女がガイドするバスに乗れるなら10万円払ってもいい!」と豪語(?)していた。尤も僕はアイドル歌謡全盛期の人間(但し松田聖子以降はTV無く知らず)。彼女のファンになったのは、多分鯨の仕事で釧路に長期滞在・かつてのライバル水産会社OBの同僚(=先輩)とスナックでカラオケなんぞをやる様になった以降のことかと思う。「舟歌」。この歌に漂う雪と漆黒の闇と人の温もりと悲しき情念には凄味さえ感じる。こんな僕の感想は高倉健主演の映画「駅」と関係がありそうだ。札幌での生活は足掛け5年に及んだが、結局僕は石狩川河口以北、日本海岸の増毛・雄冬・留萌といった街に足跡を残すことはなかった。「小銀」というお店だったか、気持ちのいいマスターに増毛産の冬季限定の濁り酒をいただいたり、上客の残したキンキ(道内最高級魚)やタチ(真鱈の白子)を回して貰ったりして、吹雪の舞う日本海の港町の風景を想像していた。何時か冬の日に彼の地を訪ねてみたいと思う。駅前の居酒屋に倍賞千恵子みたいな女将さんがいて欲しい、なんて贅沢は言わない。でも吹雪の冬の夜、人恋しさを感じ、それを満たしてくれる人々と一緒に、ストーブをガンガン焚いた店の止まり木にて「温めの燗酒」を愉しみたい。そんな夢があります。

 もう一件の訃報は、かなり毛色の違うもの。韓国の犬を食する文化が同国の国会が可決した法律に拠り、葬り去られることになるらしい。その記事は3年間の猶予期間があることを批判的に評しつつ、「実効性に疑問あり」としている。しかし食用犬の飼育を禁じてしまえば、その食文化は近い将来消滅することは自明であろう。なお犬食は中国にも残っているし、森敦さんの小説「月山」に「赤犬なんざあうめえもんだあ。」と書かれていることからして、日本でも戦後にそんな食習慣があったことは間違いないと思う。確かに地域性の高い食文化だと推察するが、それらの食文化を壊滅することによって、人類は何を得られるのだろうか?特定の特徴を有する方向で品種改良が重ねられた犬により良い餌を与えながら飼育し、それを美味しく食べる知恵を喪失するだけで、偏狭な思想に凝り固まった愛犬家の自己満足に資するのみ。いい加減にしろ!目くじらを立てるのは鯨だけ充分だろう!あまりに腹立たしく、「カナダの野生狼数十匹をロンドンの市街地に放してやれ!」とでも言いたい気分だ(勿論放言也)。プレスももう少し物事をよく考えてから記事を書かないと笑われますよ!かつてCNN勤務の韓国系女性記者の訪問を受けたが、彼女は韓国内の犬食文化を批判されることが不愉快だと言っていました。それと日高の冬山に30年間通い続けた我が恩師は「犬の皮を背負うと汗が残らず暖かい」と絶賛していた(頑強なゴアテックスの様なものか?)。かくしてひとつの文化が、幾多の知恵の集積体が人間社会から消えていく。このバカバカしさに貴方は耐えられますか?

 とまあ、何の脈絡なく書いて参りましたが、今回もそのままアップしてしまいましょう。少々酒が入っているが、また明日修正すればいい。それでは。

暖かき冬。

 昨日も今日も温暖な気候。新しい年を迎え季節は間違いなく冬の筈なのに。明日は気温が下がるそうだが、予報によると最高気温は二桁だし、天気図の推移を見たところでは、引き続き高圧帯と低圧帯が慌ただしく西から東に移動しており、西高東低の冬型がばっちり決まることはなさそう。太平洋岸では晴天強風の冬型で雲ひとつない青空が広がらないと、気温は下がらないのだ。それなりに寒い日々をそれなりの期間過ごさないと、素直に春を迎えることができない。そんなことを感じております。昨日も今日も年末の積み残しの仕事をすべく事務所へ。でも働けたり、働かなかったり。まあ年末の時点で年始にこの3連休があることはわかっていた。〆切直前まで動かない性癖は今更変えることは難しそうですね。

 能登の地震被害が予想以上に過酷なもので、気をもんでいます。元旦は「津波は大したことなさそう」と判断してTVを消しましたが、その後は日に日に被害の全貌が判明(拡大)しつつある。やはり地震の揺れによる被害が甚大な様子。また半島の突端部では著しい隆起に拠り、使えない港があるとか。一方で東日本大震災の際、牡鹿半島ではまずは地盤が沈下し高潮に悩まされたが、その後徐々に隆起。嵩上げした港では漁師がはしごで船に降りるなんてことになった。そうですね、やはり地震と地形変動の関係は多様ということでしょう。

 能登半島は西岸は対馬海流に洗われ、東岸は富山湾に面する日本有数の魚場。でも港は簡単に修理できるものではないし、港がなければ漁業は出来ない。また地図を見たところでは、彼の地は房総半島南部と同様に結構起伏の多い地形。道路が寸断されてしまうと被災地に辿り着くことさえ難しい。金沢の市場に電話してみたが、能登からの魚の上場は皆無の由。そうですね。救援物資さえ運べない状況では、漁業どころではないですね。何かお手伝いできることはないだろうか?

 元旦から北陸の地震、羽田空港の事故と惨事が続いていますが、野球の大谷翔平選手の場外での行動には救われる気がします。日米のプレスが大騒ぎしているということは、客観的には彼の行動は尋常ならざるものということでせう。でも彼は「自然」に振舞っているに過ぎないのでは?そもそも野球には攻撃と守りがあり、身体能力の高い少年はその両方に優れ、それらを愉しむ。それが自然な(よくある)姿でせう。彼もその流儀で野球道に精進しそれを愉しんできた。プロに入っても栗山監督等の理解者を得て、そのまま打って投げる己の野球を続ける。彼は「投げたいし打ちたい」ことは勿論、野球というスポーツ中であらゆる自分の可能性を追求し、それを愉しみたいのだ。

 最近WBCの日本代表キャンプの動画を視聴したが、他の日本代表選手は彼の肉体の巨大さと別格のバッテイングを唖然として見ていた。稀有な才能に恵まれ、大いに努力してきた日本代表選手達から見ても、彼は別格なのだ。それは彼が日本と米国でしてきたこと、つまり野球道への精進を愉しんできたことの結果と言えるのではないか。お金の使い方にしても、彼はやはり「自然」に振まっている。勿論野球道には出費を惜しまないが、そもそも収入が彼なりの必要経費を大きく上回っている。まあ一流のプロ選手は概ねそんな感覚なのであろうが、特に彼は収入にはさほど強い関心を示していない様に見える。同僚のパフォーマンス等外的要因に影響される個人記録と同様に。「絶対音階」を持つ音楽家と同様、彼独自の野球道の自己評価基準があるのだろう。僕はそう解釈している。前回赤塚不二夫は「ぶっ飛んでいた」と書いたが、彼の自然なふるまいを見ていると「ぶっ飛んでいる」という言葉は似合わない気がする。確かに客観的には「ぶっ飛んでいる」かもしれないが。

 と言うことで、金曜を挟んだ長い正月休みも明日でお終い。明朝はゆったりと歩いてから、働らこう。本日ようやく南三原駅前のY食堂を満喫してきました。海上保安庁には仕事柄親しくさせていただいた方々がおり、実はY食堂の思い出を共有していたりします。そんなこともあって、引き続き羽田の事故に気を揉んでいます。東日本大震災の後は、東京電力の社員が外で飲めず、家に籠り、精神を病んだ事例が多々あったと聞いています。組織というものはそういうものだし、かかるしがらみを一切切り捨てたら組織はその体をなさない。そういうものでしょう。最後は個と組織のバランスという便利な言葉で手打ちをすることになりますが。それでは

追記:中村メイコさんの訃報に接し、彼女の逸話を紹介します。彼女がタクシーに乗ったら、運転手さんが「中村メイコさんに似てますね!」と言った。彼女は「有難う。」と応じ、降りる際にチップをはずんだら、「嗚呼、もっと綺麗な女優さんの名前を言えば良かったですね。」と言ったそうです。罪のないいいお話です。

昭和の漫画

 昭和の漫画なんて題で書き始めると、ついつい「あしたのジョー」、ジョーの永遠のライバル力石徹(無論の架空の人物)の葬儀が講談社講堂にてしめやかに執り行われた。葬儀委員長は寺山修司。そんなマニアックだけど結構メジャーな話を書いてしまいそうです。そうならぬ様に注意して書いてみましょう。

 「ちびまる子ちゃん」の主題歌の中で出てくる「インチキおじさん」は、「こち亀」の両さんの同僚・寺井にインチキ家屋を売りつけようとする悪徳不動産屋のオヤジと同一人物なのでは?長年そう疑っていたが、ネットで画像検索して確認してみたところ、(よく似てはいるものの)別人でした。嗚呼、確認出来て良かった!この疑問を墓まで持っていくのはつらい!

 「こち亀」と言えば、登場人物が多彩だったなあ。白バイに跨った瞬間に性格が180度変わる本田は好きなキャラだった。麗子さんには僕はほとんど惚れていた。それと月光刑事、、、あれはセイラームーン由来かしら?ペアーで派手に登場しても結局何の役にも立たないところが面白かった。その他、海パン刑事(彼は十二分どころか十五分に役に立っていた)とか、数十年に一回しか目を覚まさない男とか、もう無茶苦茶だった!

 多彩な登場人物ということなら、赤塚不二夫に触れない訳にはいかない。イヤミの「シェー」は衝撃的だったし、「おふらんすでは・・・・・」もなかなかハマっていました。でも「でかパンのパンツから猫5匹」は今想えば少々無理がありますね。大体パンツに猫が5匹も入るか?!!!その他ケムンパスとか「こころのボス(後記:あれは犬なのか、或いは狸なのか?)」とかニャロメとか多種彩々だが、僕が何を措いても指摘したいのは「旗坊(ハタボー)」である。黒髪の頭の上に小さな旗を一本立てている子供で、セリフは「ハタボーダジョー」のみだが、どんな思考回路からこんなキャラが出てくるものか、想像の域を超えている!強いて言えば、当時百貨店の食堂の「お子様ランチ」のケチャップライスの小山に立てた旗から着想したのか?それに似た不思議なものとしては、冒頭に洟垂れ小僧が出てきて、「ちゃららららちゃららら、北海道のケーコターン」と歌ってそれでお終い。そのまま本篇が始まるというのもあった。やはり赤塚不二夫は完全にぶっ飛んでいた!またあんなバカバカしい作品と「ひみつのアッコちゃん」を同時期に書いていたことも、彼がぶっ飛んでいたことの証左であろう。

 本日写真家篠山紀信の訃報に接したが、彼も天才バカボンに登場したキャラだった。首に写真機をぶら下げた洟垂れ小僧がグルグルと回転しながら登場する。バカボンパパが「最近の傑作写真は?」と聞くと、決まって(首の下から膝の上までの)「女体の略図」が示される。それが男の顔の一部の拡大画像だったり、後は何だったか忘れたが(忘れたまま死んでも全く悔いは無し)、とにかく無茶苦茶バカバカしかった!超多忙な赤塚不二夫はあれで相当な枚数を稼いだに違いない。でもあの洟垂れ小僧の奥さんがあの南沙織だと聞いて、僕は唖然とした。僕はあのお姉さんのファンだったのだ!

 そう言えば、BSで昨年物故した漫画家松本零士の特集を視聴。有名な(だけど僕は見ていない)銀河鉄道云々とか宇宙戦艦大和の作者との由だが、彼の描いた女性の絵を見て僕は「男おいどん」に登場する女性と全く同じ風貌なのに気づいたのだった(やはり同じ作者)。この漫画の主人公は風呂に入らない木賃アパートに住む冴えない男で、押し入れには変な鳥と多数のサルマタが入っており、そのサルマタから時々キノコが生える。そのキノコの名は「サルマタケ」。大学時代の恩師が、東京での大学院生時代を振り返り、「我がアパートは木賃宿。サルマタケの生えそうな部屋だった!」とよく話していた。感動した僕は恩師に電話。「サルマタケと銀河鉄道と戦艦大和は繋がっていました!」と。

 とまあ一気呵成に書いてはみたものの、これらの漫画を読んだことのない皆さんには意味不明、面白くも可笑しくもないですね?まあいいか、一部の同世代の読者の存在を信じ、このままアップしてしまいましょう。それでは。

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