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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

「新捕鯨元年」雑感

以下、下関くじら食文化を守る会会報「いさな」21号(2019年11月号)に掲載された「新捕鯨元年雑感」なるエッセイを紹介します。


 昔母親に誘われて「国語元年」という芝居を観た記憶がある。それは故井上ひさしさんが主宰した劇団「こまつ座」の舞台。明治の中央集権国家建設において「お国なまり(方言)」を放置したままでは兵隊間の意思疎通さえままならぬ。そこで「共通語=国語」を創造しようとする抱腹絶倒の物語であった。ネットで調べたところ、この舞台の初演は昭和61年の冬。当時母親は50代前半という計算となり、今の僕よりも若かったことになる。僕の方は日本水産㈱に入社して2年目。当時は家業の実情には疎かったが、今想えばあの頃我が両親は昭和の商業捕鯨の最終局面を生きていたことになる。

 あれより茫茫30余年。平成30年末に日本国政府は官房長官談話の形で国際捕鯨取締役条約からの脱退と翌7月からの商業捕鯨の再開を表明。翌5月1日には元号が令和と改められ、期せずして令和元年は「商業捕鯨元年」ということになった。そんなこともあってか、今年は報道機関からの照会が多い。沿岸捕鯨の過去の経緯と現況、さらに近い将来どうなるのか?そういったことを僕なりに説明するのだが、記者さんとの会話がどうもスムーズに流れない。この違和感はどこから来るのだろうか?

 今年7月に水産庁が発表した鯨種毎の捕獲枠、加えて日本の捕鯨史や戦後の経済史を俯瞰すれば、今回の「商業捕鯨再開」は単に「昭和に戻る」という様なものでないことは明らかだ。捕鯨産業の規模は当時と比較にならない程に縮小し、鯨肉の供給量は激減している。さらに日本人の消費する食品の供給・需要構造は大きく変貌し、鯨肉を身近な食べ物と認識する人々の数も激減している。

 昭和と令和の捕鯨の共通点は「商業捕鯨」という言葉であろうか?が、「商業捕鯨」という言葉は国際捕鯨取締条約の記述には見当たらない。ネットで調べてみたところ、1972年の国連人間環境会議において「商業捕鯨の10年間モラトリアム(一時停止)」という形で使われている。その後IWC(国際捕鯨委員会)が条約の付表を修正する形で定義した「先住民生存捕鯨」や、今年の6月迄日本が鯨類資源管理に必要な科学情報の収集を目的に行ってきた捕獲調査(同条約8条の「科学調査目的の特別許可」)と区別する意図で、この「商業捕鯨」という言葉が使われる様になったというのが真相の様だ。

 しかし、僕が働いている沿岸小型捕鯨の業界は、この「商業捕鯨」という言葉には複雑な感情を持っている。そもそも、これは「商業漁業」という言葉が意味をなさないのと同様に不可解な言葉だと思う。加えて僕等はIWCに対し長年ミンククジラを対象とした沿岸捕鯨の再開を要求してきたが、「日本の沿岸捕鯨には商業性がある」ことを理由にことごとく要求を否定されてきた歴史があるのだ。また昨年のIWC総会での反捕鯨国の立場は「商業捕鯨モラトリアム(一時停止)の解除は(無条件に)認められない」というものであった。こういった条約用語を使った掛け合いは、世間の一般常識からすると「屁理屈」に属するものであって、その種の言葉の濫用は物事の平易な理解を阻害するものに他ならないだろう。またプロ捕鯨側とアンチ捕鯨側が双方の立場を擁護する意図から発せられた数々の理屈は将に玉石混交の様相を呈している。時にはその「石」の部分が人々の心に残り、独自の「捕鯨観」が形成される。記者さんとの会話において感じた「違和感」はこれに由来するではないか?

 という訳で、すっかり前置きが長くなってしまい恐縮ですが、まずはこの令和元年を「商業捕鯨元年」ではなく、敢えて「新捕鯨元年」と名付けたいと思います。その上で、戦後の経済史等と関連づけながら、令和の新しい捕鯨・鯨食文化の有り方を考察してみたいと思います。

 まずは供給量について。IWCを脱退したのだから、鯨を自由に獲れる、当然供給量は増えると理解している人々は結構多いのではないかと思う。が、残念ながら(?)短期的にはさにあらず。日本国政府は「IWCに留まっていても商業捕鯨モラトリアムが解除される見込みはない」との判断に拠りIWCを脱退したが、IWCの採択した「捕獲枠の計算方式」を順守することを表明している。また操業海区は日本の200海里内に限定され、令和元年7月発表のヒゲクジラの捕獲枠を年間ベースに変換した数字は、従前の捕獲調査の目標標本数と比較では、大型のイワシクジラは激減、それを埋め合わせる形でニタリクジラの大幅に増えたものの、ミンククジラは微減。仮に日本の200海里以内の供給量を概ね昨年並みとしても、南極海のミンククジラ333頭の捕獲調査部分が全量抜け落ちることとなり、供給量はむしろ平成30年比減少するのが実情である。

 一方でこの「供給量の減少」という事実をもって「昨年末の政府の決定は国益に反する」と批判する論説が散見されたが、これは事の本質を見誤った議論であろう。僕自身今夏7月1日から釧路でミンククジラ漁に従事し生鮮肉の販売を担当したが、市場の反応は概ね良好であった。確かに報道機関が大々的に取り上げた影響があったことは間違いない。しかし市場の関係者、さらには一般の消費者にとっても、(必要があって合法的にしてきたこととは言え)「捕獲調査の副産物としての鯨肉」よりも「食べて貰う為に獲ってきた鯨の肉」という方が余程わかりやすいことは明らかだ。また脱退により南極海での捕獲調査は終了するが、引き続き目視調査を実施し、南極海の鯨類資源状況をモニターしていく由。戦後の食糧不足の解消に大きな役割を果たした当該資源の状況の「ブラックボックス化」を懸念していたが、その問題への対応もなされている。政府の捕鯨に関する基本方針はIWC脱退前も後も何ら変わっていないが、今回の政府の決断は「鯨は食べていい」という明確なメッセージを送ってくれた。僕はそう感じている。捕獲枠は未だ十分なものとは言えないが、今後の鯨類資源量調査の継続・工夫に拠り、資源量推定値の不確実性の幅は縮小し、将来的には捕獲枠は徐々に増えていくだろう。僕はそう期待している。
 
 次にその供給量とも関連するが、複数の報道機関の記者の「鯨は庶民の味に戻るか?」という質問には正直当惑した。僕自身は小さな捕鯨船1隻を運営する零細会社を経営しているに過ぎず、自分出来ることは極めて限られている。またマクロで見れば鯨肉の供給量は短期的にはむしろ減少する訳で、需要が減って在庫水準の高い部位はあるものの、「庶民の味=低価格(?)」が実現するとは考えにくいからだ。尤も僕自身「庶民」であって、「庶民の買えない様な高価な食品」というイメージには抵抗がある。でも「庶民の味」とは一体何なのであろうか?例えば豚肉や鶏肉は「庶民の食べ物」であることは明らかだ。子供の頃の記憶(概ね50年前)では、豚のばら肉(当時は三枚肉と呼んでいた)の価格は100gあたり100円程度であった。でもその価格は50年後の今でも概ね同じレベルだ。鶏肉や鶏卵に至っては、むしろ今の価格の方が安い位だ。この事実は何を意味するか?豚や鳥を生産する畜産業界はここ50年の間、技術革新による生産規模の拡大が進め、かかる低価格でも存続できるだけの経済基盤を整備してきた。そう理解するのが妥当であろう。

 一方で捕鯨業界はどうか?鯨の捕獲方法は砲手が捕鯨砲で銛を海面に浮かぶ鯨体に当てる方式であり、極端な言い方をすれば江戸期の古式捕鯨の銛打ちの(人間の)筋力が、火薬のエネルギーに置き換わったに過ぎないとも言えそうだ。解体技術の方もウインチ等の動力を使えることと氷の使用や凍結が出来ることを除けば基本的には同じ。捕鯨産業の規模が大幅に縮小した昨今、捕獲・解体というプロセスに抜本的な技術革新が起こることは考えにくい。加えて人々の平均月収は50年前と比較すれば数倍にはなっていることは間違いない。そもそも豚肉並・鶏肉並の価格でこの仕事を存続させるのは無理があるし、それは魚介類全般にも言えることであろう。

 そんなことをつらつら考えていたところ、大阪の友人から電話が入った。「百貨店で生鮮のミンクが売っていましたよ!」と。その価格は百貨店ということもあるが、相当な高値であった。僕の方から「庶民の味」云々について聞くと、「そうですね、ギリギリ食べられる値段じゃないですか。マグロがいくら、サーモンがいくら、といったところですからね。」とのことであった。なるほど、確かに日本人が毎日安価な豚肉や鶏肉や鶏卵ばかりを食べている訳ではないのだ。逆に僕はかつて母親が夕食にハンバーグらしきものを調理しているのを見てほくそ笑み、口に入れてそれが鯖のハンバーグであることに愕然とした世代。根っこの部分で、かつての豚肉・鶏肉・鶏卵に対する強い渇望感が自身の食べ物に対する価値観を形成しており、それは一般的価値観からは乖離しているのかもしれない。また大日本水産会で魚食普及活動に従事している友人は「魚の価格を豚や鳥と比べることはやめました。最近は美味しいお米やパンを競争相手と意識しています。」と言っていた。そうですね、日本人の家計の消費構造全体も、食費の内訳も、この50年間、或いは平成30年の間に大きく変化したことは間違いなし。人に拠って価値の置き方は多様であって、その多様な価値観が供給量や情報(イメージ)と相俟って市場を動かしているとしか言い様がないのかと思う。

 という訳でこの「庶民の味」に関する考察はどうも明快さを欠くものとなってしまった。「新捕鯨元年」を迎え、今後僕ら捕鯨者はどんな心構えをもって働いていったらいいのか?それはやはり「より多くのお客さんと価値を共有出来るような美味しい食べ物(鯨肉)を供給し続けること」に尽きるであろう。紆余曲折はあったが、江戸時代初期から400余年続いている日本人と鯨という巨大な生き物との関係。まずは与えられた捕獲枠を消化し(要するに鯨を獲り)、それを合理的に解体し、鯨体を構成するいろいろな部位を(時には鯨食の歴史書を紐解きながら)自分なりに美味しく食べる努力を続ける。そしてそれをお客さんに提供し、食べ物としての価値を共有できる様に務める。そんな地道な仕事が「捕鯨を守る」ことであり、かつ「(生活を)鯨に守って貰うこと」であろう。そう考えている。以上

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