床屋礼賛
何と無く精神的な「行き詰まり」を感じる時、僕は床屋さんに行く。事前の計画もなく、思い立った時に電話する。「今すぐ出来ますよ。」とか「じゃあ、何時に来て下さい。」といった返事。何だかとてもいい気分!そもそも僕は汗っかきだから、散髪が好きなのだ。そして主人との会話は何とも愉しい!主人は毎日散髪しながら多くの人々と会話している。それを40余年続けている訳だから、世の中のことを驚異的によく知っているのだ。特に霧に包まれた様な幼少時の記憶。主人との会話で「ええ!そうだったのですか???」と驚くことも多い。そう言えば、最近になって母親が祖父の友人の話をしてくれた。その人は「赤線復活」を公約に掲げ館山の市議会議員選挙に立候補したらしい。特に「下」の話題は家族の団欒においては避けられる傾向が強い。故に幼少時の記憶から、当時の和田浦のその辺の事情がすっぽり抜けているのだ。
僕は年に4―5ケ月は青森とか北海道の街で過ごしている。その際も当然髪は伸びるので、床屋さんには行く。出張先では主人に地元のこと、特に年配の主人には「昔のこと」を聞くことが多い。僕は旅を趣味とし、歴史関係の本を好んで読む人種。年配の主人との会話では案外話題には事欠かない。会話がツボにハマると極上の時間を味わえることもある。将に「歴史探訪の旅」そのものである。
八戸に滞在していた今春の連休、僕は思い立って床屋さんを探しに歩いた。宿周辺は昔から陸に上がった船員を対象とした床屋・銭湯・銀行は多いのだが、コロナ禍の連休ということか、床屋マーク(サインポールと呼ばれ、世界共通らしい)が見つからない。ようやく宿の近くに一軒発見。ラッキー!早速入店するが、中ではおじいさんがソファーに横になっている。水回りは最近使った形跡が見られず、水を満タンにした2リットルのペットボトルが林立している。「ちょっとまずいかなあ。」と思ったものの、ここで引き下がる訳には行かぬ。「散髪、お願いできますか?」と聞くと、おじいさん(主人)は「はい!」と言ってのっそりと起き上がる。椅子に腰かけるが、主人は足が不自由な様で、僕の肩に体重を預ける形で、前掛けをセットする。年齢を聞いたところ、昭和9年生まれの86歳との由。我が母親の1年下である。主人は秋田生まれ。理容器具の販売で八戸に出張したところ、当時の八戸は魚が大量に水揚げされ、多くの船員が上陸する活況を極めた時代であった由。急遽理容師の資格を取得して床屋を開業、八戸に住み着いたとのことであった。
主人は手も少々震えている様なので、「短くして下さい。生え際はバリカンで刈り上げて下さい。」と依頼する。電動バリカンを使えば仕事は楽だろうと考えた次第である。ところが、主人はしばし道具棚を捜し、手動のバリカンを持ってきた。しかし、それが切れない。次に取ってきた手動バリカンも、また次も切れが悪く、4回目でようやく刈り上げ開始。切れない手動バリカンでは髪が引っ張られる感覚で軽い痛みはあったものの、もう十二分に会話や出来事を愉しませて貰っている。損は無い!主人の我が肩への加重は安心感さえ与えてくれるのだから不思議である。コロナ禍における貴重なスキンシップ(?)と言えるかもしれない。
その後ハサミで刈って貰うが、どうも我が額の右側が極端に短く刈られた様に見える。下手をするとだんだら模様の虎刈りになりかねない。少々恐怖を覚えたが、まあ八戸にて母親の世代の主人に散髪して貰った思い出と考えれば、悪い話ではない。腹が座ってきた。主人の奥さんは元気だが、流石にもう手伝えない。国民年金だけでは生活が苦しいので、引き続き営業している由である。
ハサミが終わり、次は剃刀を使う段階に。主人の手は震えており、やはり怖い。頸動脈や眼球をやられたらまずい!また、使った形跡の見られない流し台を使わせるのも、何かと大変だろう。我が宿は目と鼻の先。「剃刀の方は結構です。洗髪も旅館が近いので、大丈夫です。お代をお願いします。」と言明。「そうですか、では1300円でお願いします。」との返答。「いくら何でもそれじゃあ困ります。じゃあ1500円でよろしいですか?」そう言って、「お世話になりました。また来ますね!」と言って、床屋を出た。
旅館に戻り、気になっていた我が額の右側の部分を鏡でじっくりと見つめる。何と、他所と不揃いなんてことはなく、しっかりと綺麗に刈られていた!要するに、我が額の右側の部分は白髪が多いので、その部分だけが極端に短く刈り込まれた様に見えたのだ!僕の見間違いだった!おじいさんの腕は確かだったのだ!2000円支払えばよかった。そう後悔した。
という訳で、この八戸での愉快な出来事、おじいさんの名誉も守られる訳で、ここ釧路にてようやく記録に残すことになりました。八戸にてもう1回散髪の機会があったが、その際は今一つ元気が出ず、旧知の床屋さんに行きました。来春、機会があれば、是非おじいさんの床屋を再訪したいと思います。次回は2000円払わないと。それでは。
僕は年に4―5ケ月は青森とか北海道の街で過ごしている。その際も当然髪は伸びるので、床屋さんには行く。出張先では主人に地元のこと、特に年配の主人には「昔のこと」を聞くことが多い。僕は旅を趣味とし、歴史関係の本を好んで読む人種。年配の主人との会話では案外話題には事欠かない。会話がツボにハマると極上の時間を味わえることもある。将に「歴史探訪の旅」そのものである。
八戸に滞在していた今春の連休、僕は思い立って床屋さんを探しに歩いた。宿周辺は昔から陸に上がった船員を対象とした床屋・銭湯・銀行は多いのだが、コロナ禍の連休ということか、床屋マーク(サインポールと呼ばれ、世界共通らしい)が見つからない。ようやく宿の近くに一軒発見。ラッキー!早速入店するが、中ではおじいさんがソファーに横になっている。水回りは最近使った形跡が見られず、水を満タンにした2リットルのペットボトルが林立している。「ちょっとまずいかなあ。」と思ったものの、ここで引き下がる訳には行かぬ。「散髪、お願いできますか?」と聞くと、おじいさん(主人)は「はい!」と言ってのっそりと起き上がる。椅子に腰かけるが、主人は足が不自由な様で、僕の肩に体重を預ける形で、前掛けをセットする。年齢を聞いたところ、昭和9年生まれの86歳との由。我が母親の1年下である。主人は秋田生まれ。理容器具の販売で八戸に出張したところ、当時の八戸は魚が大量に水揚げされ、多くの船員が上陸する活況を極めた時代であった由。急遽理容師の資格を取得して床屋を開業、八戸に住み着いたとのことであった。
主人は手も少々震えている様なので、「短くして下さい。生え際はバリカンで刈り上げて下さい。」と依頼する。電動バリカンを使えば仕事は楽だろうと考えた次第である。ところが、主人はしばし道具棚を捜し、手動のバリカンを持ってきた。しかし、それが切れない。次に取ってきた手動バリカンも、また次も切れが悪く、4回目でようやく刈り上げ開始。切れない手動バリカンでは髪が引っ張られる感覚で軽い痛みはあったものの、もう十二分に会話や出来事を愉しませて貰っている。損は無い!主人の我が肩への加重は安心感さえ与えてくれるのだから不思議である。コロナ禍における貴重なスキンシップ(?)と言えるかもしれない。
その後ハサミで刈って貰うが、どうも我が額の右側が極端に短く刈られた様に見える。下手をするとだんだら模様の虎刈りになりかねない。少々恐怖を覚えたが、まあ八戸にて母親の世代の主人に散髪して貰った思い出と考えれば、悪い話ではない。腹が座ってきた。主人の奥さんは元気だが、流石にもう手伝えない。国民年金だけでは生活が苦しいので、引き続き営業している由である。
ハサミが終わり、次は剃刀を使う段階に。主人の手は震えており、やはり怖い。頸動脈や眼球をやられたらまずい!また、使った形跡の見られない流し台を使わせるのも、何かと大変だろう。我が宿は目と鼻の先。「剃刀の方は結構です。洗髪も旅館が近いので、大丈夫です。お代をお願いします。」と言明。「そうですか、では1300円でお願いします。」との返答。「いくら何でもそれじゃあ困ります。じゃあ1500円でよろしいですか?」そう言って、「お世話になりました。また来ますね!」と言って、床屋を出た。
旅館に戻り、気になっていた我が額の右側の部分を鏡でじっくりと見つめる。何と、他所と不揃いなんてことはなく、しっかりと綺麗に刈られていた!要するに、我が額の右側の部分は白髪が多いので、その部分だけが極端に短く刈り込まれた様に見えたのだ!僕の見間違いだった!おじいさんの腕は確かだったのだ!2000円支払えばよかった。そう後悔した。
という訳で、この八戸での愉快な出来事、おじいさんの名誉も守られる訳で、ここ釧路にてようやく記録に残すことになりました。八戸にてもう1回散髪の機会があったが、その際は今一つ元気が出ず、旧知の床屋さんに行きました。来春、機会があれば、是非おじいさんの床屋を再訪したいと思います。次回は2000円払わないと。それでは。