とりとめもなく書く。
今日は小雨。船は働けず、休日。ゆったりと朝食を摂る。やはりエクスプレッソは格段に美味しい。ただ飲み過ぎると胃にこたえる様だ。秋の気候は定期的に好天と悪天が入れ替わるもの。仕方ない。明日からはまた働けるだろう。
アフガンのタリバン政権が国連に国家としての承認を要請した由。「タリバン」と聞くと、物故した大先輩が髭面のMさんを「おいタリバン!」と呼んでいたことを思い出し、ついつい笑ってしまう。不謹慎かなあ。でも気を使って書いたところで事情が好転する訳でなし。今日は不謹慎を承知で思ったことを書いてみようか。その方が書いていて愉しそうだ。
今秋は朝日新聞OBでアフリカに詳しい松本仁一さんの著作を愉しんでいる。大戦後アフリカ大陸にて多くの国家が独立を果たしたが、その実態は酷いものが多い。新しい国家元首は独立後も豊かな資源の開発・生産を継続する多国籍企業の支払代金を平気で自分の懐に入れてしまう。その「金蔓たる資源」を巡って内戦が勃発する。武器商人を通して大量の銃器が外国から流入する。平穏な生活を送っていた集落がゲリラに襲われ、虐殺が行われる。生き残った少年少女は銃器を持たされてにわかゲリラ兵となる。松本さんは16歳でゲリラ部隊長の愛人兼兵士となった女性を取材している。反政府側が政権を獲っても事態は変わらない。ケリラの親玉のお目当ても、やはり「金蔓たる資源」なのだから。
そもそも国家と言っても、その国境線は旧主国が植民地分轄の為に勝手に引いたものである。国内には、或いは2つの国の国境に跨る形でも、多様な部族が混在している。人々は「部族の一員」といったアイデンテイテイーを持つが、国家の国民といった意識は薄い。そんな状態だから、国家元首は自分と仲間の住む首都のみ平穏であれば問題ない。社会主義政策の美名の下、農民は食料を低価格で強制的に国家に買い取られ、辺地では飢饉が発生。首都では潤沢に食料が流通している。こんな「百害あって一利なし」の国家なんて、そもそも不要ではないか。
その点アフガンは文明の十字路に位置する地域なので、歴史的には国家統治の経験自体は(流動的とは言え)長い。しかし「山の向こうは別世界」といった地縁的結合の強いお国柄で、かつ多民族国家。それぞれの民族は国境を接した隣国に同じ民族(仲間)が生活している。やはり国家統治の難しいお国柄なのだ。最近のタリバンによる国家統一の後には、イスラム国ゲリラによる自爆テロが頻発。そもそもタリバンもイスラム国も「イスラム原理主義」で考え方は似ているのではなかったかしら?でも、そうですね、特別な事情でもない限り、パシュート語とかダリー語を話すアフガン人と、アラビア語を話すイラク・シリア出身のアラブ人が仲良く共棲する筈はないか、と納得。
うんざりする様な話になってしまったけど、とにかくまずは治安の維持!民主主義はともかく、とりあえず人々が「余程のことがない限り、殺さること、暴力を振るわれることはない」と信じ得る社会状況を実現する必要がある。それに尽きると思います。本当に言いたかったことはこれだけです。雨もあがった。もううんざりする書き物は止めて、散歩に出ましょうか!
でも、やはり最後に少しは愉快(でも結構不謹慎)な話を紹介しましょう。松本仁一さんはケニヤのマサイ族のことを書いています。マサイ族は「神はマサイを選んで牛を預け賜うた」と信じ、牛を襲うライオンを槍で仕留められないと一人前の男と認めない部族。数字は指の数(10)までしか数えられないが、500頭の牛全てに名前を付け、それぞれの日々の健康状態まで把握している、信じられない様な能力を持った人々だ。大航海時代以降に新大陸に奴隷として輸出すべくアフリカにて拉致された人々の数は少なくても1千万を超えるものとされる。但しマサイ族はその勇敢さが故に、拉致する側が諦めたらしい。その結果、マサイよりも内陸に住む人々は、拉致されないで済んだ、とのことだ。将にアフリカの「誇り高き部族」と言っていいだろう。但し、実生活においては困ったことも多いらしい。マサイは「神はマサイだけに牛を与えた」と信じているから、他部族が飼っている牛は当然の如くマサイによる略奪の対象となるので、トラブルが絶えないらしい。加えて政府は学校教育の問題もあって、遊牧生活から定住生活への移行を奨励している。しかし、マサイの住むサバンナは農耕には向かず、まともな農産物は出来ない。その結果定住した人々は食えずに都市に流入。都市での新しい職業だが、男性は強盗、女性は売春ということになってしまうらしい。という訳で、この辺でこの厄介な作文をやめましょう。それでは。
(追記)釧路川沿い、海岸を散歩。ノルマルルートで約1.5時間。知人町にて馴染みのキツネたちに会ってきました。
アフガンのタリバン政権が国連に国家としての承認を要請した由。「タリバン」と聞くと、物故した大先輩が髭面のMさんを「おいタリバン!」と呼んでいたことを思い出し、ついつい笑ってしまう。不謹慎かなあ。でも気を使って書いたところで事情が好転する訳でなし。今日は不謹慎を承知で思ったことを書いてみようか。その方が書いていて愉しそうだ。
今秋は朝日新聞OBでアフリカに詳しい松本仁一さんの著作を愉しんでいる。大戦後アフリカ大陸にて多くの国家が独立を果たしたが、その実態は酷いものが多い。新しい国家元首は独立後も豊かな資源の開発・生産を継続する多国籍企業の支払代金を平気で自分の懐に入れてしまう。その「金蔓たる資源」を巡って内戦が勃発する。武器商人を通して大量の銃器が外国から流入する。平穏な生活を送っていた集落がゲリラに襲われ、虐殺が行われる。生き残った少年少女は銃器を持たされてにわかゲリラ兵となる。松本さんは16歳でゲリラ部隊長の愛人兼兵士となった女性を取材している。反政府側が政権を獲っても事態は変わらない。ケリラの親玉のお目当ても、やはり「金蔓たる資源」なのだから。
そもそも国家と言っても、その国境線は旧主国が植民地分轄の為に勝手に引いたものである。国内には、或いは2つの国の国境に跨る形でも、多様な部族が混在している。人々は「部族の一員」といったアイデンテイテイーを持つが、国家の国民といった意識は薄い。そんな状態だから、国家元首は自分と仲間の住む首都のみ平穏であれば問題ない。社会主義政策の美名の下、農民は食料を低価格で強制的に国家に買い取られ、辺地では飢饉が発生。首都では潤沢に食料が流通している。こんな「百害あって一利なし」の国家なんて、そもそも不要ではないか。
その点アフガンは文明の十字路に位置する地域なので、歴史的には国家統治の経験自体は(流動的とは言え)長い。しかし「山の向こうは別世界」といった地縁的結合の強いお国柄で、かつ多民族国家。それぞれの民族は国境を接した隣国に同じ民族(仲間)が生活している。やはり国家統治の難しいお国柄なのだ。最近のタリバンによる国家統一の後には、イスラム国ゲリラによる自爆テロが頻発。そもそもタリバンもイスラム国も「イスラム原理主義」で考え方は似ているのではなかったかしら?でも、そうですね、特別な事情でもない限り、パシュート語とかダリー語を話すアフガン人と、アラビア語を話すイラク・シリア出身のアラブ人が仲良く共棲する筈はないか、と納得。
うんざりする様な話になってしまったけど、とにかくまずは治安の維持!民主主義はともかく、とりあえず人々が「余程のことがない限り、殺さること、暴力を振るわれることはない」と信じ得る社会状況を実現する必要がある。それに尽きると思います。本当に言いたかったことはこれだけです。雨もあがった。もううんざりする書き物は止めて、散歩に出ましょうか!
でも、やはり最後に少しは愉快(でも結構不謹慎)な話を紹介しましょう。松本仁一さんはケニヤのマサイ族のことを書いています。マサイ族は「神はマサイを選んで牛を預け賜うた」と信じ、牛を襲うライオンを槍で仕留められないと一人前の男と認めない部族。数字は指の数(10)までしか数えられないが、500頭の牛全てに名前を付け、それぞれの日々の健康状態まで把握している、信じられない様な能力を持った人々だ。大航海時代以降に新大陸に奴隷として輸出すべくアフリカにて拉致された人々の数は少なくても1千万を超えるものとされる。但しマサイ族はその勇敢さが故に、拉致する側が諦めたらしい。その結果、マサイよりも内陸に住む人々は、拉致されないで済んだ、とのことだ。将にアフリカの「誇り高き部族」と言っていいだろう。但し、実生活においては困ったことも多いらしい。マサイは「神はマサイだけに牛を与えた」と信じているから、他部族が飼っている牛は当然の如くマサイによる略奪の対象となるので、トラブルが絶えないらしい。加えて政府は学校教育の問題もあって、遊牧生活から定住生活への移行を奨励している。しかし、マサイの住むサバンナは農耕には向かず、まともな農産物は出来ない。その結果定住した人々は食えずに都市に流入。都市での新しい職業だが、男性は強盗、女性は売春ということになってしまうらしい。という訳で、この辺でこの厄介な作文をやめましょう。それでは。
(追記)釧路川沿い、海岸を散歩。ノルマルルートで約1.5時間。知人町にて馴染みのキツネたちに会ってきました。