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外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

冬の日

 晩秋の嵐の様な悪天の翌日に、抜ける様な青空の穏やかな朝を迎えると、僕は必ず三好達治の「冬の日(慶州仏国寺畔にて)」という詩を思い起す。この詩は井上靖がエッセイで時折に引用していたことで、学ばせて貰ったものである。想えば震災の年に釧路にて、この詩の一部を写経するが如くノートに書き付けてほぼ暗記。散歩しながらそれを吟じていた記憶もある。恐らくこのブログでも何度か紹介させていただいたと思うが、まあ再び以下に紹介することにしましょう。

ああ智慧は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に 山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 
その外に何の宝が世にあらう」


 「静かな眼 平和なこころ」。これは平穏な毎日を過ごしたいと願う全ての人々が求めるものであろう。しかし人は時に旅において、将に「何の前触れもなく」、かかる森羅万象のささやく言葉を聞くことがある。「その言葉に信をおけ」ということであろう。

 人間のこころは面白いもので、僕自身も小さな旅の中で、ある言葉がこころに浮かぶ(聞こえる)ことがある。旅にあって心に浮かぶことだから、その地の風土が囁きかけてくれる言葉とも言えるだろう。僕は今春八戸にて、暇な時間に付近の「縄文遺跡」と「巨樹」を訪ねる「小さな旅」を始めた。房州に帰郷してからも、休日に近場の「巨樹巡り」をぼちぼちと愉しんでいる。ただ自動車で巨樹を訪れるのは気が進まない。出来れば信仰登山の様に、歩いて巨樹の下に辿り着き、樹下でしばし佇みたい。そんな願望があるのだが、徒歩と電車だけでは行ける場所も限られる。また自動車の往来の激しい道を歩くのは論外だ。結構厄介な願望とも言えそうだが、そうしないと巨樹やそれを育む風土の囁きが聞こえないのではないか?そんな気がするのである。

 最近は行川・上総興津・勝浦付近の巨樹を何度か巡ったが、やはり実際に歩かないとわからないことも多い。興津の名木地区の寂光寺にスダジイの巨樹を見た後に、例によってアル中仕様の行動、古い造り酒屋の風情の残る腰古井(吉野酒造)方面に歩いた。その途中でもう一本スダジイの巨木を発見。スマホで画像を撮っていたら、農家の親父さんの軽トラックが停車。「木を見にきたのですか?この木は寂光寺のそれと同じくらい古いんだよ。」と教えてくれた。「(公道の上に枝を張るので)地主さんは枝を切らなきゃならない。最近うるしが生えてしまったが。」こんな会話も愉しい。そして次回は母親を連れて自動車でこの巨木を再訪問。母親は言う。「この木は紅葉するのかしら?」木をよく見ると、確かに真っ赤な葉が見える。「嗚呼、これはハゼだ!切った枝の窪みにハゼの木が宿っている!あの親父さんはこのことを言っていたんだ!」と僕は叫ぶ。ちょうどハゼの葉が陽光で真っ赤に輝いていたので気づいたことだった。ハゼ(うるし)の木は触るとかぶれるので要注意だが、房州では最も長い期間、年始まで紅葉(?)を愉しませてくれる木でもある。

 という訳で、この週末もどこかの巨木に会いにいこうか?もう電車では無理なので、どこかに自動車を置いて歩こうか?天候次第ですが、そんなことを考えています。それでは。

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