海 =朝日の道=
スマホのデータに拠ると、今朝の当地の日の出は6:44。6時過ぎにぼちぼちと歩き始めた。明日は冬至。これから先は今以上に日出・日没時刻に気を配る必要はなさそうだ。一般に日出・日没時刻の前後30分以内が可動時間帯とされる。慣れ親しんだ道であれば、1時間程度は大丈夫ではないかと思う。心配ならば小型の懐中電灯を携帯してもいい。夜、月光を頼りに歩くのも悪くはない。昨年始に伊藤若冲のドラマの影響か、「自灯明」という言葉が浮かんできたことを想い出す。
この時期、水平線は低い雲に覆われていることが多い。出発時は水平線上の雲と空が紅く焼けている。裏山の坂道の登降を繰り返している間に日が昇っている。林間に細い光が差し入り、局所を照らす。峠では足下の照葉樹林が陽光で溢れている。天気さえ良ければ、いつもと同じ風景である。
森を出て視界が開けた時、海上に太陽から「光の道」が輝いている。これもいつもの風景だが、やはり美しいと思うし、元気を貰える。何時のことだったか、空海は大日如来なる神様を崇拝していた、とするTV番組を見た記憶がある。この神様(創造主たる一神教の「神様」と同語でややこしいが)は、「大日」というくらいだから、やはり太陽神と言えるだろう。空海は日本国中に溜池や泉や鉱山という形で足跡を残した方。修行として日々旅にある生活をした方であろう。ひょっとして空海はこんな「海上の朝日の道」を観て、浄土を連想したのではないか?そんなことを直感した。
でも「西方浄土」という言葉があった様にも思う。ネットで調べてみたところ、やはりそうだった。大日如来は西方浄土におられるのだ。つまり「海上の夕日の道」の彼方に浄土がある、ということなのだろう。和田浦の朝日の彼方、即ち東方に浄土がある訳ではないのだ。まあ、これではこれでよし。でも、朝日の道の方が、夕日のそれよりも余程鮮やかだと僕は思うのだが。
そう言えば、中島らも著「西方冗土」なる本を読んだことがある。その本の中で彼は「何故大阪人はアホ(馬鹿ではない)なのか?」、その原因を追究していた。最初に彼が思いついた理由は「うどん・お好み焼き・たこ焼き等、やたらに粉物(小麦粉)ばかり食べているからではないか?」というものだった。でもこの理屈は弱い。大阪人の食べている小麦粉の大半はカナダ産であり、カナダ人も大阪人同様に「アホ」でなければ辻褄が合わないからだ。このことで彼は大いに悩む。
そして最終的に彼はとうとう見つけたのだった。褌一丁の姿で淀川上流部の橋から粉状のものを撒いている男の姿を!この本にはその男が粉を撒く姿を撮った写真が添えられていたが、まあいいか、今日はこの辺にしておきましょう。それでは。
この時期、水平線は低い雲に覆われていることが多い。出発時は水平線上の雲と空が紅く焼けている。裏山の坂道の登降を繰り返している間に日が昇っている。林間に細い光が差し入り、局所を照らす。峠では足下の照葉樹林が陽光で溢れている。天気さえ良ければ、いつもと同じ風景である。
森を出て視界が開けた時、海上に太陽から「光の道」が輝いている。これもいつもの風景だが、やはり美しいと思うし、元気を貰える。何時のことだったか、空海は大日如来なる神様を崇拝していた、とするTV番組を見た記憶がある。この神様(創造主たる一神教の「神様」と同語でややこしいが)は、「大日」というくらいだから、やはり太陽神と言えるだろう。空海は日本国中に溜池や泉や鉱山という形で足跡を残した方。修行として日々旅にある生活をした方であろう。ひょっとして空海はこんな「海上の朝日の道」を観て、浄土を連想したのではないか?そんなことを直感した。
でも「西方浄土」という言葉があった様にも思う。ネットで調べてみたところ、やはりそうだった。大日如来は西方浄土におられるのだ。つまり「海上の夕日の道」の彼方に浄土がある、ということなのだろう。和田浦の朝日の彼方、即ち東方に浄土がある訳ではないのだ。まあ、これではこれでよし。でも、朝日の道の方が、夕日のそれよりも余程鮮やかだと僕は思うのだが。
そう言えば、中島らも著「西方冗土」なる本を読んだことがある。その本の中で彼は「何故大阪人はアホ(馬鹿ではない)なのか?」、その原因を追究していた。最初に彼が思いついた理由は「うどん・お好み焼き・たこ焼き等、やたらに粉物(小麦粉)ばかり食べているからではないか?」というものだった。でもこの理屈は弱い。大阪人の食べている小麦粉の大半はカナダ産であり、カナダ人も大阪人同様に「アホ」でなければ辻褄が合わないからだ。このことで彼は大いに悩む。
そして最終的に彼はとうとう見つけたのだった。褌一丁の姿で淀川上流部の橋から粉状のものを撒いている男の姿を!この本にはその男が粉を撒く姿を撮った写真が添えられていたが、まあいいか、今日はこの辺にしておきましょう。それでは。