外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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捕鯨のことから人間と海、食べ物のことを勉強しよう!

ある動物愛護団体のウェブサイトにて「日本の農水大臣に対し、和田で行われている小学生の鯨解体見学という残酷な行為を止めるように、陳情しよう!」というキャンペーンが行われていることは、先日このブログにて紹介させていただきました。私としては、ちゃんちゃらおかしい主張として捨て置く考えていますが、一方でこれを機に今私がどんな目的でこのような行事(いわゆる初漁祭)を地域の官民学の皆さんと共に行っているのかを紹介したいと思います。
当初は私達の出来ることとして、房州の夏の風物詩とも言える鯨の解体を小学校の子供達に見学させ、かつ鯨食文化研究会として鯨肉の朝食を子供達にふるまおう、といった極めて自然なシンプルな考え方で開始しました。小学校サイドとしても、地域の特色のある産業を総合学習の題材として取り上げることは意義深いという立場でありました。この行事は毎年途切れることなく継続され、和田町内の3つの小学校の5年生の総合学習のテーマとなり、子供達は一年間じっくり鯨・捕鯨のことを地域に多くの皆さんのサポートを受けながら学習しています。
今年からは捕鯨乃至は鯨という題材の周辺に広がる、生物学・地理学・歴史学・民俗学・水産経済学といった広範な知的空間に子供達を誘おう、という野心的な意図をもって私自身が学校に出向き、子供達に授業をする機会をいただきました。体験、例えば巨大な鯨体を実際に自分の手で触れてみる体験は貴重であり、大切なものです。考える葦(あし)である人間はその体験の思索から始め、次第に広大な知的空間を彷徨う喜びを覚える。子供達の個性、興味関心は多様ですが、黒潮が美しい海岸線を洗うこの沿岸の町にて生を受けた子供達。昔から築かれてきた「人間と海の関係」を自分の六感でもって学んで欲しい。そんな希望を持っております。
 漁期前の6月11日に私は3つの小学校にて授業を行いましたが(少人数方式が有効なので、敢えて私が同日に3校を巡回)、参考までその際に使用した「捕鯨のことから人間と海、食べ物のことを勉強しよう!」と題したレジメを以下紹介しますので、ご興味のある方はご一読下さい。先日は谷川先生の引率される中央学院大学さんの中に、何とこの「初漁祭」の卒業生がおられました。この初漁祭もこの地域のささやかな歴史になりつつある。そんなことを感じました。私自身も良質な知見の供給者たるべく、この4月よりある大学の修士課程に学生として席を置くことになりました。
平成19年6月11日
捕鯨のことから人間と海、食べ物のことを勉強しよう!
(1)みんなにとって、人間にとって海はどんなもの?
 *夏に泳ぐところ。 
 *海は生命の源!進化の過程で、多様な動植物が海に、
そして陸に発生。
(鯨はカバに近い種類、陸から海に入り進化した動物(ほ乳類)。
足骨の存在。)
 *船を使えば、大量の物資をより早く運ぶことが出来た。
 *魚とかの食料(水産物)が獲れるところ。
  @日本人は明治時代に外国の食文化が紹介されるまで、
四つ足の動物を食べなかった。
   ・鯨は魚とみなされ、食べてもよかった。
   ・言い訳=猪を山鯨と呼ぶ、ウサギを1羽2羽と数える、
昔の物語の逸話
   ・江戸時代まで、日本人は穀物と野菜と魚を常食していた。
  @17世紀初頭に江戸幕府が成立=急に江戸に多くの人間移住
=食料不足
   ・とりあえず、関西(上方)から食料を購入=
「下らない」という言葉の語源
・当時関東は草深い森林であった。開墾するには時間がかかる。
・紀州等の漁民が先進的な船(漁具)と共に新漁場を求めて移住。
・東京湾、房州は江戸への魚の供給地として栄えた。
・江戸の食文化の形成
・遷都は16世紀末からの商品経済・船を使った物資の広域流通を
さらに促進した!

(2)房州の捕鯨が始まったのは何時頃のこと?
  *17世紀初頭=1612年の書状(鋸南町の勝山、
醍醐家を元締とする鯨組)
  *18世紀初頭の記録=船57隻・船員500名以上、
陸上作業員70名の組織。

(3)17世紀に房州では何の為に鯨を獲り始めたのか?
  *お金を使わない世界を考えてみる。=自給自足の生活
  *16世紀末以降、急速にお金が使われるようになる
=商品経済の勃興・隆盛
  *魚を獲った漁師さんはどうやって生活していたか?
  *日本国中に商品として流通し始めたもの
   米・塩、油(菜種油、魚油、鯨油)、干鰯、干鰊、鰹節、干昆布
  *鯨の肉はどうしたのか?=鯨のたれ(塩干) 
但し冷蔵庫もない時代故保たない。
   とこでも売れる商品とはならず、地元で消費した。
鯨の骨・内臓等の肥料も地元で使った。(枇杷の栽培)

(4)欧米の捕鯨の歴史と今
  *10世紀頃のバスク人の捕鯨
  *大航海時代以降の捕鯨=国際的な商品経済の勃興
何処でも売れる(お金と換えられる)鯨油と髭と歯のみを採取    後は捨てる。
  *ペリー提督が日本に来たのも、アメリカの捕鯨船の
   補給基地確保が目的。
  *石油発見後も、鯨油は機械油として、マーガリンの原料として
   使用される。
 *1972年の国連人間環境会議=捕鯨禁止が環境保護の象徴に
 *伝統的に鯨肉を食べるイヌイット(米露緑)、ノルウェー、
  アンスランドの沿岸捕鯨のみが行われている。

(5)日本の捕鯨の歴史と今
 *17世紀初頭の古式捕鯨
 *日本は鎖国していた為、日本の捕鯨は大航海時代の巨大な商品経済  に巻き込まれず、油がお金になる商品であったが、沿岸域では肉を  食べる食文化が育つ。
 *明治時代に入り、ノルウェー式の技術が導入され、沿岸、沖合、
  さらには北洋、南極での遠洋母船式捕鯨が行われる。
 *第二次世界大戦終了後、GHQのマッカーサー司令官が、日本の
  食料欠乏状態を憂え、IWCに掛け合って南極での操業を許可。   (日本人の消費する肉類の50%が鯨)
 *IWCが捕鯨一時停止を決定。
 *捕獲調査、沿岸の小型鯨類の捕獲を続けながら、捕鯨の再開に
  向けて各国と交渉中。

(6)日本人にとって食事とは何なのか?
 *みんなにとって、食べることはどんなこと?
  @家族でご飯を食べる時間は、楽しい時間=家族が楽しく一緒に
   過ごす時間。日常的な家族の生活の中で一番楽しい時間だね?
  @大人の世界でも「一緒にご飯を食べ、お酒を飲む」のは
   楽しい時間。仕事の関係でご飯を一緒に食べると、
   仕事がしやすくなる!
 *祖父母、両親に、昔は何を食べていたか、今と昔では食べるものが  どう変わっているか、調べてみよう!
*きちっと食べられること、料理出来ることは、基本的な生活の技術!
 @ナイフとフォークより、おはしの方が魚を食べやすいね。
  はしを使って魚を食べられることは、日本人が昔から伝えてきた
  立派な生活の技術です。魚も骨や皮がない方が食べやすいね。
  でも魚の肉だけ買うと高いし、無駄も多いんだよ。
 @肉は骨も皮も無い状態で売ってるから、料理も簡単だし、
  食べやすい。それに一般に肉の方が魚より安いから、日本人は肉を  沢山食べるようになりました。ただ肉ばかり食べていると、
  太ってしまって、病気になることも多いらしい。

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