外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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日本の沿岸捕鯨の位置付け

 たった今館山の花火鑑賞から帰宅しました。館山住まいる館の社長のお世話になり、久しぶりに素晴らしい花火を堪能。こんな素晴らしい花火を見ると、やはり日本人としての誇りを感じます。多分火薬に様々な金属を混ぜて、かくも多様な色を出しているのだと推察します。加えてほとんど物理学の放物線実験の要領で、火薬の量と詰め方と花火の軌跡の相関関係を徹底的につきつめて、美しいものを作り上げる。多分最初に「こんな花火をつくりたい」といったデザインがあって、それを試行錯誤を繰り返して実現するものなのでしょう。やはり江戸時代の日本は凄いと思います。
 本日処理場にて、是非「中学生を対象とした授業内容」を開示して欲しい、との要請をいただきました。何でも写真を撮るには、当該の被写体の本質を理解しないと、ろくなものが撮れない、ということらしいですね。最近多忙にて少々疲労がたまっていまして、これからじっくりと正確なことを書く元気がありません。でも日本の沿岸捕鯨の本質を歴史的な文脈から書いたものがあります。房州捕鯨の特質については別途元気な時に書くとして、とりあえず、以下紹介しましょう。なお、以下の文書は東京海洋大学に提出した修士論文からの抜粋です。


日本の沿岸小型捕鯨の歴史と位置づけ

世界で最初に組織的な捕鯨を始めたのは現在のスペイン北部のビスケー湾沿岸に住んでいたバスク人であると言われている。彼等は10世紀頃からビスケー湾にて背美鯨を捕獲していたとされる。背美鯨は遊泳速度時速3km、厚い脂肪層に覆われている為に捕殺しても沈まない一方、大量の鯨油を採取出来るという誠に都合のいい鯨であった。中世の欧州において鯨油は貴重なものであったであろうし、また鯨の皮(皮下脂肪)や舌が食べられたことを示す記録も残っている。記録があるかどうか不明であるが、おそらく当時のバスク人は鯨肉も食べたのではないかと思う。しかし欧州社会はその後大航海時代という、国際的な商品経済の発展期を迎え、捕鯨は商品作物たる鯨油を採取する産業となり、当時の捕鯨船は鯨油を求めて遠方へ遠方へと進出していった。そしてそういった形式の捕鯨が欧米を中心に20世紀まで残ったのである。
 一方日本沿岸の組織的な捕鯨は16世紀末から17世紀初頭にかけて成立する。16世紀は日本においても商品経済の勃興期にあたり、かつポルトガル人やスペイン人によって欧米の技術が伝えられ、当時の日本人も国際的な商品経済に巻き込まれ、欧米と同様に鯨を求めて遠方へ遠方へと進出していく可能性は十分にあったのではないかと思われる。
しかし17世紀に日本を支配した江戸幕府は鎖国政策を貫くと共に、大型の船舶の建造を禁止した。その結果として、遠方へ遠方へと進出していく機会を当時の日本人は失ったのである。それでも当時の日本は江戸幕府による鎖国政策下においても、夥しい数の船が日本海と瀬戸内海を航行し、大量の物資が流通する商品経済隆盛の時代であった。そのような条件の下、日本沿岸の組織的な捕鯨は成立する。江戸期の日本沿岸の捕鯨においても、鯨油は最も重要な換金可能な商品であった。しかし江戸幕府の鎖国政策の下、日本沿岸の捕鯨者は、より多くの鯨を求めて遠方に進出する方向には行けなかった。むしろ鯨皮からだけではなく骨や内臓などからも徹底的に油を採取し、ある部位は塩漬して食用に流通させ、またある部位を肥料に加工する、といった形で鯨体を徹底的に利用したのである。
そして鯨が捕獲される沿岸部及びその近郊においては、鯨の食文化が高度に発達したに違いない。日本の捕鯨業の原型はこの時期に成立したのである。
 明治以降、ノルウェー式の捕鯨が日本に紹介され、日本の捕鯨業は沿岸から沖合、さらに北洋や南氷洋にまで広がっていった。第二次大戦終戦から間もない1946年にはGHQのマッカーサー司令官の決断をもって南氷洋捕鯨が再開され、沿岸や沖合の捕鯨も再開され、戦後の食料不足という状況下、一時鯨肉は日本人の摂取する動物性タンパク質の半分以上を占めるまでになった。この段階で鯨肉は日本全土で頻繁に食べられるようになったのである。この時期に沖合や遠洋の大型捕鯨は最盛期を迎えるが、沿岸部においては沿岸小型捕鯨が細々と続けられていたのである。しかし1970年代には鯨は欧米社会において環境問題のシンボルとして扱われるようになり、1988年には日本は商業捕鯨モラトリアムを受け入れ、捕鯨は沿岸小型捕鯨によるIWC管轄外のツチ鯨やゴンドウ鯨漁を除いて、終息するのである。
 以上、捕鯨史を大雑把に記述したが、日本の沿岸小型捕鯨は、他の沿岸漁業と同様に、生鮮の肉を地域の人々に供給する零細な漁業に他ならないと思われるのである。江戸期の沿岸捕鯨が形成せしめた沿岸域の多様な食文化によって支えられている、日本の捕鯨業の原型とも言える捕鯨。それが沿岸小型捕鯨なのである。

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