外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

北の湿原より

 久しぶりに釧路湿原を歩いてきた。秋の釧路事業が始まってから早8年。運動不足解消の為、度々歩いた。歩いていると、ここ8年に起こったこと、自分自身の気持ちの変化などが想い出され、ちょっとした感慨を覚える。釧路川を遡行してきた鮭が細い水流に暴れている。いつもの場所でリスが遊んでいる。ゆかしき草花といえばトリカブトと開花しない(要するに散る前の蕾状の)リンドウくらいだが、微風めぐる湿原の葦のサラサラとささやきを聴くのは心地よい。思えばそんな自分の感じている「心地よさ」に気付いたのも最近のことである。以下、辻邦夫の随筆に紹介されているリルケの訳詩。

かりそめに通りすぎて  
十分に愛さなかったかずかずの場所への郷愁よ  
それらの場所へ遠方から何と私は与えたいことか  
仕忘れていた身ぶりを、つぐないの行いを  
もう一度 ―今度はひとりで― 
あの旅を静かにやり直したい  
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい  
あの樹にさわりたい、あのベンチを愛撫したい

 釧路と言えば、湿原。その知名度は高く、湿原を蛇行する釧路川をカヌーで漫遊する風景が有名だ。ただ毎度僕が歩く展望台付近の湿原には川も湖沼もなく、観光地としては何とも殺風景である。湿原と言っても、だだっ広い平原が広がっているだけ。まあ釧路市自体が釧路湿原の上に建設された街とも言えるし、僕の働く工場はまさに造成された湿原の上に建てられたもの。この地を旅する人が「あの有名な湿原は何処に?」という感覚でいると、がっかりしてしまうのではないかとも思う。
 釧路湿原の保護は戦前から行なわれている。丹頂鶴の繁殖地としての価値が行政を動かしたものらしい。1980年にはラムサール条約登録地となっているが、この条約もやはり主として鳥類の生息域である湿地を保護することを目的としている。太古から鶴を愛でた日本人のこころ、渡り鳥を愛した欧州人のこころが国家や国際社会を湿地の保護に駆り立てたものとも言えよう。保護行政の動機は愛おしい鳥たちであったのである。
 一方で僕の関心は同じくラムサール条約の登録対象である干潟にある。干潟は多種多様な魚類の産卵場であり、そこで孵化した稚魚幼魚が生息する、いわば「ゆりかご」である。人間の食料となるアサリ等の貝類も豊富である。故に湿原同様に鳥類が集まる。加えて干潟は上流から流れてきた腐葉土が堆積し、有機物が一機に海洋に流れ込むのを防ぐ緩衝地ともなっている。また干潟には汚濁物を分解する微生物が大量に発生し、海洋に流れ込む汚濁負荷を軽減する、いわば浄化装置の役割をも担っているのである。しかしながら干潟は人間にとってはじめじめした時に異臭さえ漂う不快な場所、加えて臨海にあって埋め立てが容易であったことから、高度成長期には工場用地として干拓された。日本では終戦時8万haあった干潟が、1990年には5万haまで減少したという。
 東京湾はかつて豊かな海だった。徳川将軍家による江戸幕府の開府によって、草深い坂東に突如江戸という巨大な都市が出現、だが食べ物が足りない。開墾による食料増産は間に合わず、食料は上方(関西)から輸送される。一方で地場での最も合理的な食料調達の方法は、東京湾の海の幸を利用することであった。大阪や紀州から先進的な漁具と漁労技術をもつ漁師が三浦半島から房総半島にかけての東京湾岸に多数移住した。そして江戸前の魚食文化が成立する。生魚を酢飯に乗せて食べる江戸前の寿司は、現在では世界各地で楽しまれているが、その起源は東京湾の魚なのである。戦後の東京でも大森あたりの干潟でとれたアサリ、ハマグリ、シャコが行商されていたと聞く。東京湾は東京を中心とした湾岸の人々の食生活を支える身近な海だったのである。そしてその干潟は人々に貝類等を供給し、東京湾を浄化する機能を担っていたのである。しかるに現代の一般的感覚では、東京湾は工場廃液に流れ込むヘドロの堆積した汚染された海であって、食とは結びつかないのではないか。例えばなぜ千葉の駅弁が焼き蛤なのか、想い起こす人々は少ないのではないかと思う。
 何年前のことだったか、諫早湾を締め切る工事が、干潟の息の根を止める「ギロチン」という批判を受けながらも、実施された。本件は「農業 VS 漁業プラス環境」という構図が背景にあり、両者を管轄する当時の農水省内部でも異論があったものと聞いている。僕はたまに九州に出張するが、有明海特有の魚介をいただくのがひとつの楽しみとなっている。その有明海の市場価値の高い魚介の生産が最近顕著に減少したと聞いている。工事の背景にはいろいろな事情があるのだろう。が、やはり残念でならない。捕鯨は海の幸をいただく仕事。房州の自然に抱かれて生きている、といった漠然としたイメージが自分自身の精神を支えている様に思う。それ故の違和感か、とも思う。
 政権交代がなされ、ダム工事に関する論議が新聞紙上に毎日のように掲載されている。ダムも干拓と同様に計画から完成まで長い年月がかかる。その長い時間の中で、社会経済情勢は確実に変化し、人々の価値観も変わる。だから当初有益と判断された事業が、時の流れのなかで、価値を失うことはあるだろう。確かに長い歳月をかけ、完成に向かいつつある工事を止めるのは容易なことではないだろう。良かれ悪しかれ、工事は長期間にわたりその地域の人々に生活に重大な影響を与えてきた。その人々の生活は既に歴史として刻まれ、工事を中断しても、それは決して元には戻らない。加えてこの不景気、財政支出によって雇用と需要を創出しようというケインズ的な政策は、批判が多いとは言え、社会の安定化に不可欠な手段であることに変わりはない。地域経済は当然その工事のもたらす雇用と需要に依存しているのだ。ことを穏便に済ます、という考え方をとれば、静かに工事を進めるのが手っ取り早い対応であろう。
 尤も工事によって進捗状況や完成による善悪を含めた影響の度合い等の諸条件は異なるであろう。従いものごとは個別に論じるべきであって、威勢のいい一般論として短絡的に論ずるべきではないだろう。ただ、我々人類は母なる自然に抱かれて生かして貰っている一生物種に過ぎず、今この地球上に生活している我々は人類の歴史の中のほんの一瞬を生きているに過ぎない。20世紀以降の人間による自然環境の改変は「凄まじい」の一語に尽きる。「知らずに、気付かずに、多くのものを失ってしまったらしい。未来を生きる子孫に我々は何を残せるか?」そんな視点からものごとを考える必要があるのだと思う。工事(仕事)がなくなるわけではない。失われた自然を取り戻す工事もあっていい筈である。個人的には河岸工事によって排水路と化したわが地域の小川を昔の姿に戻したい、という希望を持っている。尤も水害等の検討をしたものではなく、漠然としたイメージではあるが。
 湿原のことを書き始めたところ、紆余曲折、ややこしい話になってしまいました。脈絡がない文章となってしまいましたが、まあそれは毎度のこと。このまま掲載しましょう。次回は気分よく気楽に書きたいものです。それでは。

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