外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

われらの和田よ意気上がれ!

 この3月に長女の和田中学校剣道部の引退試合を初めて見学。道場の凛とした雰囲気と師匠である顧問の先生と中学生剣士達の凛々しき所作に感動した。道場の壁には「根性」とか「勇気」といった言葉が貼られている。いつかある人生の局面において、これらの言葉が生徒達の脳裏をよぎることもあるかもしれない。かかる凛々しき空気の中に三年間長女を置かせていただいたことが何とも有難く思った。詳細な学校の規定は知らないが、顧問の先生は昔と同じで実質的にはボランテイアとして指導にあたられていることと思う。先生に一言挨拶をしたい気持ちがあったが、それは道場の張り詰めた雰囲気に似合わない。出口にて一礼して、立ち去った。
 その後、長女の卒業式に父兄として出席したり、中学校の教壇に立ってみたり、運動会を見学したりと、今年は中学生に触れる機会が多い。9月の運動会は、自分自身が中学生だった頃のことを思い出し、感慨深かった。生徒は当時の三分の一にまで減ってしまったが、組体操、棒引き、棒倒し、騎馬戦といった競技は昔のままだ。生徒数が減った分、生徒各自の登場の頻度は増し、競技間のインターバルは短くなる。まだ残暑厳しき日でもあり、生徒達は練習期間も含め、大いに鍛えられている。校歌にある「みなぎる力 この腕(かいな)」「理想をかかげて 鍛えゆく」といった雰囲気は健在なり。そう感じた。
 9月に捕鯨を題材とした研究授業を終了した日、担当の先生と慰労の意味から我が家で一杯やった。研究授業なんぞに手を染めることも、テニス部の顧問も実質的にはボランテイア。要するに「無理をしてやらなくても過ごせる」仕事である。生徒の教育の為にやっているのだろう。感謝と尊敬の気持ちが湧きあがる。一方で今かかる苦労を敢えて背負う先生方にしても、かつては現在の自分と同じ様になにものかを「背負った」先生方の指導を受け、その先生方の生き様を見つめてきたものと思う。こういった連鎖がわが町の教育現場を支えている。そう感じた。
 担当の先生との一献は何とも楽しいものであった。今の生徒たちの雰囲気などを伺いながら、昔のことを思い出す。想えば、僕らはなかなかいい生徒達であった。当時の授業の雰囲気は、生徒「先生さあ、こうだからこうじゃねえんかいよお。」。先生「あにいってんだよう、おめえ、こういうことなんだよう。わかったか?」てなものであった。館山の高等学校に入学した頃、この和田の流儀で先生に質問をしたところ、教室は爆笑の渦。「これはいかん」と言葉遣いを変えた記憶がある。何でも「先生、これはこうですから、こうではないでしょうか?」というのが当時の都市部(とは言っても館山)の流儀であったらしい。
 教育実習生が来れば、すぐになついてしまう。子供ながらに、最後の授業には実習生の将来がかかっていることを感じ取り、「先生、指されたら困る時は左手を上げるから、指さないでね!」などと打ち合わせまでしてしまう。数学のC先生はウイットの効いたわかりやすい授業をしてくれた。白のチョークを赤や緑に染めて、先生をだました。2度目にC先生は、「こういうことは一度やるところに意味がある。」とおっしゃる。当時各家庭に出回り始めていたテープレコーダーにチャイムを吹き込み、補修授業終了の10分前にチャイムを鳴らして、先生を帰したこともある。生徒の爆笑から事がばれない様に、級友のT君に「終ったあ!」と叫ばせた。良質の思い出である。
 さらにC先生に対し、「先生さあ、数学で方程式(代数)なんていうのは役に立ちそうな気はすっけど、図形(幾何)なんかは役には立たねえんじゃないかと思うんだけど、どんなもんですか。」などと質問する生徒がいる。C先生の返答は「そうだなあ、数学は、方程式も図形も役には立たねえなあ。でも、もし役に立つとしたら、例えば真っ暗な穴の中に閉じ込められた場合に、何通りの脱出方法を思いつけるか?そういう役には立つと思うよ。」というもの。この返答、今考えてもなかなか秀逸なものだと思う。 
 と杯を重ねれば重ねるほど、思い出が溢れてくる。和田にはそんな悪くない伝統が脈々と流れている様な気がする。先生方から受けた恩。級友達と共有した良質な時間。そんなものを胸に、自分に出来ることで役に立ちそうなことがあれば、お手伝いしたいと思う。
「我らの和田よ 意気上がれ!」校歌はこの言葉で終る。以上

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