外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

人生、この取りに足らぬ実に退屈なもの


 早五月も半ば、晩春と言ってもいい季節となった。僕は相変らず鮎川で生活している。
今年はシベリアの寒気団の南下の影響か、天候が不順である。さすがにソメイヨシノの花は風雨に散ったが、八重桜は未だ見頃である。気温が低く比較的乾燥しているからか、徒歩通勤の風景は春霞に煙るものではなく、ここ2日は峠の展望台から島々の浮かぶコバルト色の海の向こうに蔵王連峰まで見渡せた。という訳で晩春の風情でもなく、春たけなわでもなく、どちらかと言えば僕は引き続き早春の道を歩いている気分である。前回掲載した「春暁の漢詩さらに二題」の終わりの部分で、僕は「取るに足らぬ退屈な人生、それが少しは豊かなものになる、否、豊かなものに感じられるかもしれません。」と書いた。実はそれ以来僕は、昔「人生実に取るに足らぬ退屈なものだ。」という言葉をO先生が発した場面を反芻しながら、歩いているのである。今日はそのことを書こうと思う。
 
 O先生は北国の大学の古典文学の教授であった。一方僕はその学校に入学したての一年生。一学期にO先生の「更級日記」の講義を履修した。高校時代に国語科のM先生やK先生の影響で、日本の古典文学の一部をそれなりに美しいものと感じ始めていたことが、履修の動機であった様に思う。ところが初日に講義に出かけると学生は僕ひとり。その日は先生と喫茶店でコーヒーを飲みながら雑談。翌週、翌々週とポツポツと学生が増えて都合5名に。講義というよりも少人数のゼミ形式にて、先生の部屋で更級日記を購読した。
 先生は源氏物語の研究者であった。平安期には蜻蛉日記や更科日記といったいくつかの日記文学が書かれているが、それらはいわば巨大な主峰である「源氏物語」の麓の、前衛の山々である。先生は更級日記を位置付けておられた。
 また先生は、「源氏物語」の主題は、通説である「理想の男性像である光源氏の栄華の人生を描くこと」ではなく、「男性との関係を通じてでしか、世の中を生きることが出来ない、貴族女性の男性に対する恨み・つらみの表現」である、と解釈されていた。つまり、光源氏は多くの女性をこころより愛し、貴族社会においては限りなく帝に近い地位にまで昇りつめた、理想の男性として描かれている。しかしこの物語の最終章「浮船」において、作者紫式部は、薫と匂宮という二人の男性を登場させる。薫は女性に対して誠実ではあるが、過去を引きずり、未来に向けて溌剌と生きようとしない男性として描かれている。一方、匂宮は溌剌と生を謳歌しているが、女性に対しては極めて移り気が男性として描かれている。そこで先生は、「実際にこの世には光源氏の様な理想な男性は存在しない。それでも女性は、理想とかけ離れた欠点の多い男性との関係を通じてしか、この世を生きられないのである。」という作者紫式部の恨み、つらみ、嘆きを感じ取られたのである。古語において「世に中」とは「男女の仲」を意味するが、それと現代語の「世の中」という言葉の意味とのギャップ。今考えても、まさにドンピシャリといった気がする。
 不思議なもので、僕は30年前に先生から伺ったこの源氏物語の解釈を忘れ得ない。東北地方片隅の半島での春の徒歩通勤に際に、甦ってくるのである。一方で僕は日本の古典文学の学会において、源氏物語が一般的にどう解釈されているかを一向に知らないし、知りたいという強い気もない。ただ先生との思い出、或いはかつて有難く共有させていただいた知的空間が、未だに鮮明に残存しているということなのだと思う。
 講義の最終日、先生は5人の学生を大学近くの居酒屋に連れていってくれた。熊の肉なども出すなかなか味のある居酒屋であったと記憶している。先生は心地よく酔われ、普段よりも饒舌であったが、僕は先生に決定的な読書量の不足を指摘され、「ごもっとも」と思いつつも少々つらい想いをした記憶が残っている。その中で先生はこんなことを言った。「いやあ、人生というものは、取りに足らぬ実に退屈なものだ。」と。井上靖の小説「あすなろ物語」について、「明日こそヒノキになろうとして努力するが、永遠にヒノキにはなれないアスナロウ。井上さんはこのモチーフを以て人生の悲哀のようなものを実に瑞々しく美しく描いている。」と。
 決定的な読書量不足を指摘された僕は、多分その後に「あすなろ物語」を読んだのだと思う。当時の都会の気の利いた連中であれば、中学校か高等学校で読む本である。かといって怠惰な僕は決して読書家にはならなかったが、日高の夏の沢旅に既に何度も読んだこの本を持参したこと。雨天で4日間の停滞。男五人テントで寝て過ごすが、リーダーのMさんが「いい本だなあ。」と言っていたことをなぜか覚えている。その後僕は、「北の海」「しろばんば」「夏草冬濤」「氷壁」といった井上靖の本を読み続け、それは今でも続いている。
 我ながら何ともとりとめもないことを書いてしまった。思い出は次から次える湧き出ずるので、きりがない。最後に「あすなろう物語」の最終章「星の植民地」のモチーフとなった井上靖の詩「北国」を引用し、このとりとめもない作業に区切りをつけようと思います。最後までお付き合いいただき、有り難うございました。それでは。また書きましょう。


北国
いかにも地殻の表面といったような
瓦礫と雑草の焼土一帯に、
粗末なバラックの都邑が急ピッチで
造られつつあった。
焼ける前は迷路(ラビリンス)と薬種商の
老舗の多い古く静かな城下町だったが、
そんな跡形はいまは微塵も見出せない。
日々打つづく北の暗鬱なる初冬の空の下に、
いま生れようとしているものは、
性格などまるでない、古くも新しくもない
不思議な町だ。
それにしてもやけに酒場と喫茶店が多い。
オリオン、乙女、インデアン、孔雀、麒麟、
獅子、白鳥、カメレオン
――申し合せたように星座の名がつけられてある。
宵の七時ともなると、町全体が早い店じまいだ。
三里ほど向うの日本海の波の音が聞えはじめるの
を合図に、街の貧しい星座たちの灯も消える。
そしてその後から今度はほんものの十一月の星座
が、この時刻から急に澄み渡ってくる夜空一面に
かかり、天体の純粋透明な悲哀感が、
次第に沈澱下降しながら、町全体を押しつつむ。
確かに夜だけ、北国のこのバラックの町は、
曾て日本のいかなる都市も持たなかった
不思議な表情を持っていた。
いわば、星の植民地とでも言ったような。

井上靖作

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