外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

明日8月14日の解体は朝7時より。

 本日8月13日、1頭捕獲。従い、明日8月14日の午前7時より解体です。


 酷暑の日が続きます。それでも昨日は鯨体処理場に多くの人々が見学に訪れました。本来見世物ではないのですが、やはり食べ物、つまり肉というものがどういったプロセスを経て食卓にあがるのかを実感できる稀少な場とも言えるのかもしれません。また、やはり血液が流れる壮絶な場面とも言えますが、その処理に汗水流して働く人間たちが関与していること。さらには、近所の人々がバケツを持ってその肉を買いにくること。この解体を見学に来る人々は、この場所に身を置き、それを昔から続く人々の営みと認識し、それを受け入れるのではないか。そんなことを最近感じます。


 そう言えば、黒澤明の「生きる」という白黒映画。志村喬演じる役人が自ら身を粉にして建設に持ち込んだ公園のブランコに乗って「命短し 恋せよ乙女 黒髪の色 褪せぬ間に」と歌う場面が著名ですが、不治の病に冒されたその役人が改心する場面は、職場の若き女性に「何故に元気なのか。」と尋ねたところ、「私なんて、ただ働いているだけ。」という言葉だったように記憶しています。人々の労働の風景、かつては街中に溢れていました。世の中が自分の目で見えにくなっている。これは冷静に考えても事実なようですね。


 今日は当地ではお盆で、藁に火をつけて、先祖を家にお迎えする日です。最近歳の故か、こういった習慣に感慨を覚えるようになりました。唯物的な立場から言えば、こういった習慣はナンセンスということになるのでしょう。一方で唯物的な思考が浸透する現代においても「千の風になって」という歌が肉親の死に直面して苦しむ人々のこころを慰める。お盆という習慣も本質的にはこの歌と同じことですね。人間は普段は死を意識しないが、それに直面して藻掻き苦しむ。人の世は多くの人々の大量の苦しみの感情がうごめくところ。一方で人間社会は、生まれるものがあり、死せるものがあって、新陳代謝を繰り返して、一見淡々と維持されていく。カミュは人間が死すべき運命を背負っていることを「不条理」という言葉で表現しました。お盆という習慣はこの不条理を乗り越えるべく日本民族が獲得した知恵と言えるのかもしれない。そんなことを考えます。


 これにて残枠は2頭。但し現在操業しているのは1隻のみなので、捕獲・解体は1日1頭、残りは2回ということになります。


 

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