外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

今年も6月20日、和田浦のツチ鯨漁が始まりました。本日20日船は操業中。

 例年通り6月20日より和田浦のツチ鯨漁が始まりました。今漁期もよろしくお願い申し上げます。なお、本日6月20日は船は操業しています。
 このブログの方は被災地に入って書いて以来、久しくご無沙汰してしまいました。近況を以下少々書いてみました。気が向いたら読んでみて下さい。

  震災以来、慌ただしい日々を送っておりました。当社の場合、新船を大阪にて建造中であった為、津波の被害を免れましたが、鮎川事業所はおおかた津波に流され、相当な損害を被りました。当社の船員、鮎川事業所の従業員は大なり小なり被災しましたが、とりあえずは全員無事。とにかく通常の家族生活・労働生活を取り戻すこと。被災して以来それを第一義に取り組んできました。4月末には鮎川事業所の従業員全員が和田浦に集合。船員は新船第51純友丸と春期釧路沖沿岸ミンクの捕獲調査へ。私自身も和田浦への従業員の受け入れを確認後、釧路へ。業務を終え先週ようやく帰郷したところです。未だ復旧にはほど遠い状況ですが、和田浦のツチ鯨漁の季節が到来、今では全員が和田浦に集まっています。被災地鮎川では、ようやくガレキの撤去がぼちぼちと進行し、仮設住宅への入居が始まった段階。「通常の生活」には程遠い状況ではあるが、とりあえず皆で働いていける。これでいいんだ。そう考えています。

 震災がなければ、春は鮎川にて捕獲調査の仕事に従事し、約6kmの徒歩通勤を愉しみ、気が向いたらブログに由なきことを書き綴る生活を送っていたものと思います。それが今春は震災の影響で鮎川での捕獲調査が出来ず、会社を離れて春とは名ばかりの釧路での生活を一ケ月半もの長期間送りました。この火事場と言ってもいいような時期に、会社を離れて、安逸と言ってもいい生活を強いられた。これは大変つらいことでした。何かを書こうという気は起こらなかった。それでも釧路での生活の中でこの震災について知人とあれこれ話したり、気を落ち着かせる為に釧路の旧市街を歩いている内に、心を痛めながらも、少しずつ目の前の現実を冷静に見ようとするようになった。そんな気もしています。思えば震災後はまずは従業員の安否確認、緊急物資の搬入と無事だった機器・荷物の搬出に追われた。会社の仕事については、当初はカラ元気で「絶対復興させる。」という言葉を叫んできた。しかし冷静に考えれば、現実は厳しい。出来る限り昨年やってきたことと同じ量と質の仕事が出来る様に鋭意努力すること。これに尽きる。そう考えています。「復興」という言葉がよく使われるが、それは被災した人々が元の生活に戻れるようにと、日々働きながら考え、それに膨大な時間と努力を費やし、「ああ、ようやく大半の人々が普通の平凡な生活に戻れたなあ。」と実感した時の感情なのだろうと思います。被災地の年齢構成からして復旧は不可能。規模は小さくなっても人々が日々元気に働き、子供達が地域の人々と山河に育まれる生活空間。それを被災地の人々が自ら創造していく。行政が出来ることはそれを様々な形でサポートすること。主役は被災地の人々です。そう考えます。

 先週ようやく和田浦に戻り、延期していた新船の船祝いを執り行いました。新船の多くの機器を石巻の皆さんに製造していただいただけに、皆さんに一緒にお祝いしていただきたかったが、それはやはり被災地の状況からして無理であった。それでも港で地域の皆さんと一緒に神事を執り行い、船より餅投げをしました。港での餅投げは子供の時以来の経験。厳粛な神事の後の餅投げは場の雰囲気が和んで何ともいいものですね。

 今年も日本鯨類研究所の西脇さんにボランテイアでお越しいただき、和田の小中学校で講義をしていただきました。その講義には米国モントレーとの交流がきっかけとなって来和を希望していた米国の生物学者にも短時間「米国人の捕鯨観」についてお話しして頂きました。また初漁の際には、地域の小学生に解体を見学し、鯨カツを振る舞う「初漁祭」が例年通り実施される予定です。また「和田浦クジラゼミ」も7月30(土)―31日(日)に実施予定。昨年やったことと同じことをしよう。継続は力なり。全てにおいて準備不足の感は否めないが、こんな時こそ無理に元気よく振る舞おうとはせず、淡々と昨年やってきたことと同じことをやっていきたいと思います。今漁期もよろしくお願いします。以上

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