散歩のとき何か食べたくなって
相変わらず釧路にて国の捕獲調査事業に従事する毎日が続いています。この調査の主目的は釧路沿岸のミンク鯨の胃袋の内容物を調査し、この鯨が何をどれだけ食べているかを調べることです。釧路沖は秋刀魚、スケソウダラ、鰊といった日本人の食生活には欠かせない魚が集まるところ。それぞれの魚を平均して1日どの程度食べているかがわかれば、その数量にミンク鯨の推定資源量を乗ずることにより、この鯨種といくつかの魚種の捕食関係が明らかになります。そういったデータを鯨類も含めた多魚種の包括的な資源管理の使用する方向で研究が進められている様です。加えて特定海域に複数の魚種の群れが存在する訳でして、ミンク鯨の嗜好性、つまり秋刀魚と鰯のどっちが好きか、といったこともわかってくるかもしれません。人間だって「美味しい」と感じられるものはやはり体にいいものと考えられるでしょう。鯨も本能的に体にいいものを食べるのでしょうから、嗜好性はあるものと考えられます。僕も自分の本能に何が食べたいか聞いてみようか?でも「人間は本能が壊れている動物である」という定義があります。食べ過ぎてメタボリック症候群と診断されたり、飲む過ぎで二日酔いになったりで、なかなかうまくいきませんね。
秋の北の海は風が吹いて荒れるとなかなか静まりません。低気圧が通過すると数日船が出られないこともあり、そうなると宿にて過ごす時間が長くなります。やはり晩秋の旅には憂愁に付き纏われます。僕は専ら歩くことにより、憂さを晴らしています。歩いていると倦怠の淵に沈みこまんとする精神が高揚してくるのを感じる。でも最後は「濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」ということになってしまうのですが、、、。
かくして歩いて・食べて・飲んで草枕を慰め、時化が続いて「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ」ということになると、一体何の為に歩いているのか、自分自身を疑う気持ちが湧いてきます。結局「快適な飲食」の実現の為に歩いているのではないかと。作家の故池波正太郎は剣豪シリーズの他に食べ物に関する随筆を多数書いています。その中に確か「散歩のときに何か食べたくなって」という本がありました。そうですね、この気分で行けばいのかと。今日は何を食べようかと考えながら歩く。
この2日間に多分30kmくらいは歩いたと思います。坐骨神経痛の初期と疑われている僕の腰を守る為にも歩くことはいいことなのです。体重を減らし筋力をつけるという意味で。でもここ2日の夜の飲食の量を考えると、むむむ、残念ながら物質収支はプラスなのではと疑っています。なかなかうまくいきませんね。それでは。また書きましょう。