外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

本日6/29は時化で休漁。明日6/30の解体はなし。

 本日6/29も海況悪しく、休漁。従い明日6/30の解体はありません。梅雨明けはまだまだ先でしょうし、当面は北東方向からの風(当地では貧乏風と呼んだらしい)、比較的涼しい日が続きそうです。そんな条件では操業の方は当面苦労することになるかもしれません。

 震災以来、「想定内」「想定外」という言葉が多用されています。6/20の漁解禁以来早10日目ですが、初漁が出ないことは、この天候からして「想定内」ということか?一方で天候を捨象して確率論で行けば、「想定外」?、否そんなことはありませんね。「まあ、10日もあれば気象が悪くても1頭くらいは獲れるだろう。」という感覚はありましたが、獲れないことも「想定内」であることは間違いなさそうです。

 「想定外」とはある行為が他者の行動・予定に影響を及ぼす場合において、その行為の変調が結果的に他者に悪い影響を与えてしまった場合の言い訳(或いは理由の説明)として使われることが多い様に思われます。当社の捕鯨は、「大海に浮かぶ鯨を小さな船で獲ってくる行為」なので、海況に左右され、また漁法も原始的なものなので、獲れないことは概ね想定内ということになります。解体見学を希望する人々から「明日は獲れますかねえ?」などと聞かれますが、いつも「さあ、漁のことですからねえ。」と答えることにしています。

 逆にこの「想定内」という言葉から、「不確実な要因をひとつひとつ排除し、精巧にして安定的なシステムを創造していく」日本人の得意とする技術体系が連想されます。塩野七生さんはエッセイの中で、「新幹線が東京に到着する前に2分の遅れをわびるアナウンスを聞いて感動した。」ということを書いています。一方で彼女は「この精巧な技術体系が変調をきたした場合、日本人は大丈夫であろうか?」ということも書いています。つまり精巧なものに慣れっこになっていると、いざという時に事の本質を見誤るのではないか、という懸念ですね。

 現在日本各地で、地層から過去の津波の大きさが調査され、最近各地において想定されうる最大の津波の高さが公開されています。様々な公的機関が「想定される最大の津波の高さ」に基づいて、意志決定をしようとしている。当地の小中学校にしても、「海抜20メートル以上の避難所が近くにあること」が、存立の条件になりつつあるらしい。それに少子化による子供の数の減少に起因する学校の併合の問題が絡んでくる。個人的には、何かとやっかいなことになるなあ、と懸念している次第です。

 僕自身の津波に対する考え方は、基本的には「とにかく逃げること」「逃がすこと」に尽きます。この世に生を受けて死ぬまでの100年に満たない人生を、千年に一度の津波に怯えて過ごすのはどんなものでしょう?今回の津波で大変な思いされた人々の恐怖は深刻なものだと思います。しかしその恐怖を、例えば「高地への集団移転」によって完璧に解決するのが正しい道なのか?気持ちは理解出来る気がするのですが、「それが震災に対する本質的な日本社会の回答なのか?」と考えると、やはり違う気がする。僕自身は「津波発生後の出来限り早い時期に(速やかに)正確な情報を入手する仕組みがあればよし」という考えです。

 この日本列島に住む多様な動植物群の中の1種類に過ぎぬ人間。そしてこの日本列島で数万年の間、各個体が協力して(時には喧嘩して)生を営み、子孫を残してきた我等が祖先。日本列島の自然史、日本民族の歴史。そういった観点から津波の問題を考えるべきではなかろうか。大雑把な論点ではありますが、そんな感想を持っています。今日の無駄話はこれにて終了。それでは。


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