外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

明日8月9日の解体は無し。オリンピック雑感(1)

本日8月8日、船は操業しましたが捕獲は無し。従い明日8月9日の解体はありません。

 早朝の男子サッカーの準決勝は残念でしたね。昨晩はこいつをライブで観戦しようと夕刻から赤葡萄酒(「レッドワイン」より上等な日本語と思います。)を氷で割って飲み続けて就寝。ところが目覚めたのは午前3時でして、間の抜けたことにゲームは終わっていました。巨大な網の目の如く張り巡らされている因果の連鎖というものを考えれば、「もし自分が観戦していれば勝っていたのでは」という不遜な思いも浮かんでくる。尤もこれを完璧に否定してしまうと、応援すること・とんでもない時間に起きてライブで観戦することの意味が幾分かは失われてしまう訳でして、まあそのままにしておこうと思います。今日はオリンピック雑感(1)として、「国を背負うこと」について思うところを少し書いてみましょう。

 国を背負って戦ったアスリート達が実力を発揮出来ずに敗れ、敗戦の弁を涙して語る場面を見るのは結構つらいものがありますね。特に柔道の様な国技において、「黙して語らず」といった態度のアスリートが敗戦の弁を語るのを連日聞いていると、「国なんて背負わなくていいんじゃないか?」という声が大きくなってきますね。確かに勝つ為の方法論としては、「国を背負う等とは考えずに、自分の為に気楽に戦う」方が、個の実力を発揮出来るという面はあろうかと思います。しかし「勝つ為の方法論」を基軸に物事を判断するのはやはりまずいと思う。

 「国を背負って戦うこと」が、利他的行為であることは疑いの余地はありません。「利他」とは社会集団を成す人間という生物の特徴とも言え、「利他の精神」無くして人間社会は成り立たないもの。従い「国を背負う」という「利他の精神」を否定し、「自分の為に気楽に戦う」方が、「勝つ為の方法論」としては優位にあり価値が高い、とするのは行き過ぎだと思います。

 アスリート達が「国を背負って戦うこと」は、自分をここまで成長させてくれた人々を、ずっと応援してくれた人々を、TVの前で応援してくれる人々を喜ばせようとする行為とも換言出来ると思う。一方で今回のオリンピックにて「にわか応援団」となった我々の示すべきものは、「国を背負って、私達を喜ばせよう、勇気を与えようとして戦っているアスリート達に感謝する姿勢」ではないかと思う。我々も選手のお陰で充分に愉しませ貰っているではないか。

 とは言っても、確かに心理的に過剰に「背負う」ことが、個本来の実力の発揮を妨げる要因になることは多々あるだろう。でも「背負う」ことが、個に大きな力を与えることも否定出来ない。我々が日本代表選手達に言えることは、高校野球のテーマソングではないけれど、「栄冠は、本質的には国に与えられるものではない、何よりも君自身の頭上に輝くのだ!」「挫折さえも、栄冠として輝く。何故なら君は大変な努力の結果として日本を代表して戦っているのだから。」。そんなことではないかと思う。これからオリンピックも終盤迎えます。いろんな議論はあるけど、やはり「必死に戦っている人々」の姿は美しいものですね。私も体調に配慮しながら、アスリート達の活躍ぶりを拝見したいと思います。それでは。

 

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