外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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第7回和田浦くじらゼミ総括

 第7回和田浦くじらゼミは去る7月4-5日に「水族館のイルカ問題を起点に、人間と野生生物の関係を考えてみよう!」をテーマに開催されました。当日は生憎の雨天で船は操業しておらず、お目当ての5日朝の「鯨の解体見学」は実施出来ませんでした。それでもセミナーには募集定員上限の約40名の皆様にご参加いただき、活発な質問・意見交換がなされました。また5日午前も天候の問題もあって座学となりましたが、ご参加者の皆さんのご協力をいただき、セミナー全般を通して、質的にはまあまあ満足の出来る内容・雰囲気でなかったか、と感じています。
 交流会は雨天対策もあって和田地域センターのシロナガスクジラの骨格標本付近で行いましたが、じんざさんを初め、スタッフの皆さんの全面的なご協力をいただき、地場のクジラ・魚・野菜を中心とした料理を楽しませていただきました。交流会の愉快な雰囲気の余波も以て、二次会にも大勢の皆さんにご参加いただけた訳でして、このブログにて、参加者、スタッフの皆さんのご協力に感謝の気持ちを表したと存じます。誠に有難うございました。
 なお、このセミナーは学会ではなく、放談形式のセミナーですので、講義や質疑の内容を詳細に記録に留めることはしませんが、その概略を私の感想を含め「総括」として下記させていただきます。

         (記)

 セミナーは予定通り4日の13時開始。最初に庄司より、講師3人のお話の概要と今回のテーマの関連性において留意すべき論点を説明しました。

 続いて、西脇茂利さんは「水産振興における水族館の役割」と題して、日本の水族館の歴史、そしてその歴史の中で育まれてきた日本の水族館の誇る多様な役割、特に水産業への貢献についてお話し頂きました。水族館を開館するには、まずは生きた特定種の魚類の供給を受けることが必要で、漁師さんの協力が欠かせない。幸い日本は海に囲まれた島国であって、沿岸部には漁業者、即ち「海と魚をよく知る人々」が住んでいる。そのことが日本の水族館の存立の基盤をなしており、現代でも日本の水族館の大きな財産であることに変わりはない。そして水族館において魚を飼う水の質・水槽の能力(機能)・餌の質によって、飼育する魚類の延命率は変わってくる訳で、水族館は日々魚が死なない様、延命する様に飼育技術を磨いてきた。さらに、魚類の産卵行動を観察しつつ、館内繁殖を試みてきた。そうした努力の結晶である諸技術が、現代では活魚流通・水産養殖といった水産業の諸領域に応用され、逆に日本の水産業を支えている。そういった観点からのお話を頂きました。特に高級魚シマアジの産卵については、たまたま水族館が停電に襲われ、水温が下落した時に、飼育していたシマアジの産卵が始まった、といううお話は圧巻でした。こんなお話を聞くと、「やはり飼ってみなければ、魚のことはわからないのだ。」という感を強くしますね。
 一方でイルカの飼育については、やはり体が大きいだけに食べる量も半端なものではないし、飼育するには巨大なスペースが必要だし、水槽内の水温を一定させるのには巨額の電気代がかかるので、そのコストは高額なものだ。さらに、館内繁殖をさせるには複数(相当数)の同種のイルカを同時に飼育する必要があり、その餌代・水槽・電気代のコストは、飼育する頭数に比例する。従い、イルカの館内繁殖には膨大なコストがかかるものだ、と指摘されました。子供達に人気の高いイルカショーを、動物愛護団体は「動物を虐待する行為」と非難します。一方、水族館側の立場からすると、それは見学者をイルカに触れ合わせる行為であり、かつ飼育にかかる膨大なコストを入園料の形で補填して貰っている、ということ。一般に人々は他者の支払うコストに関しては無頓着なことが多く、さらにコストのことばかり強調する論説は好感を持たれないことは多いが、「コストを十分に補填出来るだけのお金をいただけること」は、組織存続の基盤であることは間違い無い。コストを無視して、生命倫理のみで本件を論じることは片手落ちであることは明らかです。そして、日本の「生きたイルカの調達コストが相対的に低い」環境は、水族館が存立しやすい環境、大きな利点とも見なすことが出来そうです。
 また、日本と欧米のイルカの繁殖技術の相違についての質問が出ましたが、「欧米の水族館の種毎のイルカの飼育状況がわからないので、何とも言えない。」との西脇さんの返答でした。確かに、欧米の水族館は日本以上に厳しい動物愛護団体の批判に晒されていますから、穏やかな情報公開は望むべくもないのでは、と推定します。(本来水族館は穏やかに愉快に過ごす場所、穏やかさを失うのはまずいですねえ。)日本社会には一般に「日本は欧米と比べて遅れている」という論説を受け容れやすい土壌がありまして、それは高慢ちきになるよりは余程良いことではありますが、本件に関しては疑ってかかった方がよさそうですね。繁殖技術の比較は両方のデータが揃わなければ出来ないことですから。
 一方で欧米社会との比較という観点では、日本にはイルカを含めた鯨類を食べる文化背景、即ち捕鯨を是とする世論があり、太地の追い込み漁業は基本的には食用のイルカの捕獲を本業とする一方で、生きたまま傷つけないでイルカを捕獲する能力を持ち、町内の水族館に運搬してそこで飼育する施設と能力を持っていることが特徴と言えそうです。「残虐な行為を嫌う」感覚は日本人も欧米人も共有しているものと思いますが、今回のテーマである「水族館のイルカ問題」に対する感情には大きな落差があるのは間違いない。先述の通り、コストの問題は非常に大きい訳で、日本なりのやり方が欧米のそれと違っていても一向に差し支えはないのではないか。日本の「国のかたち」に合った水族館が昔から運営されてきたし、今後もこの「国のかたち」に合った水族館を運営していくべきであろう。何しろ「飼わなければわからないこと」は沢山ある訳だから、日々多大なコストをかけてイルカを飼育していく中で、多様な知見を蓄積していき、それを国際社会に発信していけばいい。そんなことを考えるに到りました。

 続いて、沖縄は石垣島在住のフリーランスのカメラマン西野嘉憲さんには、「ある自治体の自然環境保全条例と昆虫採集」と題して、今年石垣市で採択された自然環境保全条例についてのお話しをいただきました。西野さんは昆虫大好き人間、大阪生まれですが、昆虫に導かれて石垣島に住みついた経緯があります。自身の昆虫採集活動については、理科教育の題材に昆虫を使う博物館に寄贈したこと、定期的に山域の定点に赴いて昆虫の棲息状況を調べ上げて情報を研究者に提供する等、一定の社会貢献をしてきた、という自負を持っています。ところが突然、ある山域の昆虫等の捕獲を全面禁止とする「自然環境保全条例」が制定される運びとなり、研究者の皆さんと共にこの条例の制定に反対する運動を開始したものの、そのグループの声は全く反映されず、可決されました。この条例を対象とした審議委員会なる組織が設けられたものの、昆虫採集者の取締を論じるのみで、委員には専門分野の科学者はおらず科学的な議論がなされた形跡がない。又、外来種の管理を考慮しない特異な条例となり、その点環境省からの指摘を受けたそうです。
 一般に昆虫類の繁殖力は旺盛であって、棲息域の環境が維持されていれば、その数は減らない。昆虫類の増減は、絶滅の危機にない限りにおいては、人間による採集による影響は極めて軽微なもの。その絶滅は大規模な土木工事等の棲息環境の破壊によってもたらされるもの。科学的なアプローチからすれば、昆虫採集による影響は軽微であり、少なくても理科教育等の公的目的の採集は認められるべき、といった結論が導き出されるのが妥当と思われます。しかし、実際にはそうはならなかった。この条例は石垣市の与野党間の政治的な取引の材料となった、という印象を西野さんは持っている様です。
 その他、西野さんは「大半の人々は昆虫採集について無関心。一方で自然保護という言葉は、彼等の耳に心地よく響く。この問題は捕鯨問題に近い側面がある。」「クワガタムシ等特定の昆虫の保護ばかりが強調される傾向が強い」「昆虫採集者は、棲息環境のモニター等、一定の貢献をしているものと確信しているが、概ね個人的な活動の域を出ず、一般の人々はそういった昆虫マニアの貢献を知らない。」といったことを指摘されました。
 水族館の問題においては、「魚(イルカ)は飼ってみなければわからないことが沢山ある」ということを今回思い知りましたが、この昆虫採集も問題でも、「昆虫の棲息環境に定期的に行かなければ、昆虫のことはわからない。」と言えそうですね。安易な自然保護は、人間を自然から隔離させてしまう。「意図的に自然から隔離された人々は、自らが隔離されていることに気づかない」という訳で長期的には結構まずいことになってしまうのでは、という気さえします。また、環境保護団体への対抗措置として「学術・学校教育への貢献」という論理を私自身よく使いますが、この論理の先には「みんなで仲良く昆虫採集!採った昆虫はすぐにリリース」といった健全な世界が待っている。でも、そもそも虫取り・蟹取りというものは、「ここにいるのでは?」というぞくぞくした気分をたった一人で味わうもの。「みんなで仲良く」なんていう健全(?)な精神は馴染まない気もします。ホモルーデンス(遊ぶ動物)という定義さえある人間という生き物は、(その人間自身の感覚でも)実に不可解な行動をするもの。でもそんな不可解な行動の背後には何らの合理的乃至は不合理ながらも人間らしい(?)理由があることが多いのだと思う。存在していることには何らかの意味がある筈。流行の理屈に合わないからと言って、昔から続いてきた人間の変な行動を一方的に糾弾して抹殺したりはせずに、何故そんな行動をするのか、好奇心をもってそんな人と一緒に過ごして、その本意を愉快に学ぶ姿勢が持てたらいいなあ、と思う。変な人のいない世の中はつまらなそうです。我ながら支離滅裂、西野さんゴメンナサイ!

 最後に平本紀久雄さんに、「命を食べるー青学初等部児童との交流よりー」と題して、青山学院初等部の児童達との交流のお話をしていただきました。平本さんは十余年に渡り、館山にて青山学院初等部2年生を対象に講義を続けておられます。平本さんはイワシ資源の専門家ですが、子供達に「命を食べる」という感覚を教える教材として、当地の捕鯨という仕事を使うようになったそうです。子供達に当地の鯨の解体作業の画像を見せて、鯨を獲ることに是非について意見を求めると、多くの子供達が「反対」に手を挙げる。ところはその日の夕食で、子供達は鯨の立田揚を美味しく食べる。そして改めて捕鯨の是非を問うと、多くの子供達は「賛成。可哀想だけど、人間は生き物を食べないと生きていけないから。」といった感想を話し始める、というお話でした。平本さんは東京の芝生まれですが、戦災で埼玉に移り、その地で戦後の食料難を経験された世代。自ら飼育した鶏が絞めることはつらかった。でも食卓に上がれば、滅多に食べられないその肉を美味しく頂いた。捕鯨問題でも、水族館のイルカ問題でも、人間の営みの「残酷性」がクローズアップされる。誰でも残酷さを厭う感情を持ち合わせており、人間社会はそれを共有出来る。しかし、「人間は他の生物を食べること」、換言すれば「他の生物の命をいただく」ことによってその生命を維持している。本質的には人間は自らの行為に中に「残酷さ」を感じ、それを抱えながら自分なりの生命倫理を身につけていくものではないか?そういった哲学的なことを指摘された様に思います。

 以上、4日のセミナーの概要を書きましたが、質疑応答の時間には多くの皆さんが活発に議論に加わっていただき、このセミナーの目的である「ちょっと知的な空間の創造」は御蔭様で達成出来たものと喜んでいます

 続いて夜の交流会ですが、雨天ということで、初めて和田地域センターのシロナガス鯨の骨格標本付近で実施しましたが、なかなかいい雰囲気だったと思います。食べ物の方も愉しんでいただけた様ですが、逆に一次会でほぼ完食、二次会は乾き物のみの宴会となりました。まあ、物事良かれ悪しかれということで、ご容赦下さい。それと西野さんの「信州の熊猟」の画像とお話、圧巻でした。「冬は豪雪で孤立する集落が故に現存し、今まで何とか受け継がれているものの、後何年かで絶えんとする熊猟」のお話しに、私自身は深い悲しみを感じました。その感情は今でも強烈に残っています。

 翌5日は残念ながら鯨の解体作業がなかったので、10時に和田地域センターに集合し、西脇さんにツチ鯨についてのお話をしていただきました。二日酔いに苦しむ方もおられたものと思われますが、引き続き活発に質疑・意見交換が出来たものと喜んでいます。

 以上をもちまして、独断と偏見に満ちた第7回和田浦くじらゼミ総括とさせていただきます。皆さん、ご協力有難うございました。またそのうちに、或いは来年の夏にお会いしましょう。それでは。
文責:庄司義則

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