外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

蓮の花の咲く頃に -逝った人々に-

 ここ房州ではまだ蓮の畑が残っている。いや畑と言うよりも、水田とか池とか呼んだ方が適当であろう。蓮の水田に植えられた蓮は毎年夏に大ぶりな葉の上に、大きな赤や白の花をつける。蓮根(レンコン)を生産しているのであろうが、当地で僕は未だ蓮根を掘る作業を見たことがない。
 蓮の花の咲く風景はなかなか優雅なものだと思う。日本では蓮の花は極楽浄土の象徴。芥川龍之介は小説「蜘蛛の糸」の中でお釈迦様のおられる極楽を表現している。
「池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂いが絶え間なくあたりへ溢れて居ります。」
 またドイツの詩人ハイネは蓮の花を恋や外つ国への憧れの象徴として表現している。
「遙かなるガンジスの岸辺、美しき庭園に咲く花」
「日の光にうなだれつつ、夜を夢見る。月こそ蓮の恋人」というふうに。
 彼の詩集「歌の本」の収められている「歌の翼に」や「蓮の花」はメンデルスゾーンの曲に乗せて日本でも愛唱されている。

ただこの暑く厳しく個人的には忙しい房州の夏の「蓮の花咲く風景」は好ましいものには感じられない。蚊が飛び回る湿気を含んだべっとりとした空間、大ぶりな葉の上に咲く大きな花は、むしろグロテスクなものにさえ感じられる。またこの花には我が一族はつらい思い出があるのだ。
 父親はかつて2人の兄と共に定置網、鮪延縄、鯖・秋刀魚漁業、捕鯨業等の海の仕事に従事していた。ところがその2人の兄が数年の間に若くして急逝してしまった。多くの子供達を残して。それが蓮の花の咲く時期であった。母親はその頃に隣人が持ってきてくれた、蓮の花の容姿を鮮明に記憶しているらしい。蓮の花弁は、血管の様な朱色の筋が多数走っていて、それが遠くから見ると何とも美しく見えるのだそうだ。その朱色の血管の如き花の一断面が、母親のこころに暗い影を落としたのだと思う。

 この7月、まさに蓮の花の咲く頃に、2つの訃報に接した。4つ上の先輩と、1つ下の従兄の奥さんと。先輩とは火葬場でお別れをした。それから少々時が過ぎ、時々車を運転しながら、その先輩に話すことがある。「僕に何も言わないで逝くなんて、とんでもないですよ。」奥さんの地獄を見てきたような青ざめたお顔、2人の娘さんの泣き顔が思い出される。

従兄の奥さんは、まだ幼ない愛息を残して逝ってしまった。泣いた後にファミコンを向かう息子さんの姿が痛々しかった。従兄は「死を悟った時、彼女は「体は滅びても、私はいつでも家族の近くに一緒にいるから大丈夫だよ。」と言っていました。」という挨拶に救われる気がした。

 それにしても、二人とも、余りに早くに逝ってしまった。生きていてさえいてくれれば、たまには「久しぶりです。」とでも言って会って、酒を飲みながら馬鹿話に花を咲かせ、一緒に大笑いできたのに、、、、そんなことを全くの手前勝手ながら考える。「いい加減にして下さいよ。こんなに早く逝ってしまって。」「勘弁してくださいよ。生きる楽しみが減りましたよ。」僕は無礼を承知で、手前勝手を承知でこうつぶやく。手前勝手であることを捨ててしまったら、もう何も話せないのだ。
ただ愛しき家族を置いて、子供達の成長を側で見守れず逝くことがいかに無念であったか。合掌。

 | HOME | 

FC2Ad

プロフィール

gaibou

Author:gaibou
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する