外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

断煙(煙草を止めてそれを継続すること)が難しい理由

  実は、はい、釧路滞在中に煙草を止めました。不快な咳にうんざりして9月25日から煙草の数を減らし、9月28日に断煙。10月6日の骨折事故に拠る都合3週間の入院期間をはさみ、煙草を吸わない生活が既に1ケ月半続いている計算になります。今では不快な咳もすっかり治まり、呼吸の方は実に快適です。加えて骨折事故を起こす前々日に釧路湿原を散歩したが、登路にてまったく息が切れないことに驚愕。これが断煙からたった1週間後の出来事だった訳で、その効果たるや恐るべし!当面は骨折した右足首を治癒させることが最優先ですが、来年は穏やかな登山を再開出来るのでは、と楽しみにしています。

 それにしても、よくもまあ煙草を止められたものだと思う。釧路での不快な咳、たまたま図書館で磯村毅博士著「リセット禁煙」なる本を借りたこと。さらに9月は鯨が獲れず暇だったので、「そうだ、せめて煙草を吸わない習慣をお土産に房州へ帰ろう!」と考えたことがその動機でした。が、現在では「もうタバコの常習者に戻ることはないだろう」といった確信を得るに到っています。そしてその「確信」は、上記の「リセット禁煙」なる本を熟読した結果、「煙草を止め、それを継続することが非常に難しい理由」、一言で言えば「止めるに易く、(断煙を)続けるのに難し」というタバコの本質をよく理解出来たことに拠るのではないかと考えています。最近「禁煙外来」のCMを時々見ますが、その治療を受けても喫煙を再発させてしまう事例が全体の70%もあるらしい(私もその事例に該当)。そういった意味では、私の如き意志薄弱な人間がかかる「確信」を獲得する到った経緯を書くことはひょっとして人様の役に立つかもしれない。そう考えて、その経緯を書いてみようか、という気になりました。

 なお、以下に書くことは「喫煙のもたらす健康被害の実態」や「正しい煙草の止め方」といったことではなく、専ら「断煙(煙草を止めてそれを継続すること)が難しい理由」に限定します。何故なら、喫煙は本質的に「止めるに易く、(断煙を)続けるのに難き」もの。思い立って煙草を止めた後に、「再び吸いたくなる私自身」と向かい合うのは、他でもない「私自身」であること。そしてその際に「何故に私は、呼吸が楽になり、運動時に息が切れなく等のメリットを享受しているにも拘わらず、再び煙草を吸いたいと思うのか?」と自らに問いかけ、どうするか(吸うか、吸わざるか)を己自身に決めさせることになる。断煙の継続が難しい理由をよく理解していることが、己の喫煙に対する欲求の客観的理解を促し、「喫煙の再発」を防止するとの確信があるからです。「断煙が難しい理由」。それを以下、「禁断症状」と「依存性」という、喫煙が人間もたらす2つの側面から書いてみたいと思います。尤も学術論文を書く訳でなし、努めて気楽に愉快に書いてみたいと思います。興味のある方は、以下を読んでみて下さい。

(1)はじめに
(ア)喫煙の歴史
 煙草はやはりいいものですね!だからこそ、なかなか止められるものではない。タバコは有史以前からアメリカ大陸で吸われており、15世紀末にコロンブスがカリブの島からタバコを持ち帰って以来、急速に世界中に広まりました。かくも急激に世界の隅々まで栽培されて吸われる様になったのは、やはり「とてもいいもの」だからでしょう。一方で喫煙のもたらす健康被害が広く報じられるようになったのは、僕の記憶ではせいぜいここ4-50年来のことではないかと思う。それでも最近ではWHO(国際健康機関)といった国際機関が喫煙習慣の撲滅の活動をしていますし、我が国に「禁煙外来」なる健康保険の対象となる医療行為が存在することは、国を挙げての喫煙の撲滅が意図されていることに他なりません。特に受動喫煙の防止については、ほぼ社会的な合意が形成されつつありますね。一方で「喫煙自体が罪悪だ」とまでは流石にまだ言われることはありませんが、喫煙に対する視線は社会的に年々厳しいものになりつつあることは実感出来ますね。尤もかく言う私自身、つい2ケ月前まで喫煙所のお世話になり、「かのクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、人類は500年の長きに渡りタバコを愛用してきた」と嘯いていた次第であります。

(イ)物質的にはタバコ=ニコチンだが、
 タバコが美味しいものと感じるのは、基本的には喫煙によりニコチンなる物質(有害です)が血液に溶け込み、脳に作用することに拠ります。それに加えて、我が口や鼻から煙が放出される雰囲気等も、ニコチンの作用と共に記憶として残ります。その「記憶に残るもの」、所詮は心理的なものですが、実は結構厄介なものの様です。例えば、煙とコーヒーが混ざった独特の香り、その香り漂う中での友人との会話。さらには、オホーツク海へ沈む真っ赤な太陽、夏の沢登りで大きな滝を無事越えた後の下流の風景と沢音、西風唸る3千米超の雪山の山頂。そいった人生の中でも最高位に属する時間は、私の場合は必ず喫煙と共にありました。そしてその「心理的な要素」が「喫煙を再開」させることに大きな役割を果たし得る。それは間違いのないことの様です。

(2)喫煙の禁断症状は比較的軽い
 煙草を吸うと、ニコチンが血中に溶け込み、ニコチンは人間の脳に対し、ドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質を強制的に分泌させます。前者は「人を元気する」、後者は「人を安心させる」神経伝達物質ですから、喫煙は少なくても一時的には人を元気にしたり、安心させる作用があります。(一方で喫煙によって、本来脳が神経伝達物質を(喫煙に頼らず)自律的に分泌する作用は弱まります。)
 しかしニコチンの血中濃度は、喫煙後30分断煙すれば喫煙直後の50%に減り、1時間後には25%に、2時間後には10%近くまで減る計算となります。これだけ急激に血中ニコチン濃度が低下すれば、「禁断症状」が出てきそうなものですが、実際のところはどうなのでしょう?例えば、2時間の会議時間、その間煙草を我慢することはさほど難しいことではありませんね?夜間6時間煙草を吸わないで就寝していることは、これは愛煙家が日々普通にしていることです。飛行機に乗って外国に行く場合、人は10時間を超えて煙草を吸わないでも我慢出来ますね。そういった現象からして、喫煙の場合、その「禁断症状は比較的弱い」ということが言えそうです。「禁断症状が弱い」、ということは、「とりあえず煙草を止めることは、決して難しいことではない」ということを意味します。
 磯村毅博士著「リセット禁煙」に拠りますと、一般に人は3日間の断煙期間で禁断症状から脱し、その後概ね1週間で脳の神経伝達物質の分泌機能が元に戻るとされます。つまり、煙草を止めてその禁断症状から自由になることは、精々10日で実現出来ることで、そしてそれはフイジカルには決して難しいことではない。そう理解して良さそうです。

(3)喫煙への依存性は恐ろしく強い
 上記(2)項で、「喫煙の禁断症状は比較的弱い」と書きましたが、一方で「喫煙への依存性」は一般に非常に高く、それが喫煙者をして「とりあえずは禁煙には成功するものの、また喫煙を始めさせてしまう」原因だそうです。
 私自身、当初は「禁断症状」と「依存性」が意味合いの違いがよく理解出来ませんでしたが、単純に前者を「物質的作用」、後者を「心理的作用」と見なしたところ(それが正しいのかどうか別にして)、自分なりに納得出来ました。
 一般に「ある薬物を投与してから、その効果を心身が実感出来るまでの時間が、短ければ短い程、その薬物への依存性は高まる」ものと言えるそうです。もっと簡単に言えば、簡単に即席的に効果が得られるもの程、それへの依存性は高まり、(たとえ有害とわかっていても)止めにくい、ということですね。煙草の場合、吸ってから7秒後には脳に作用して、その「心地良さ」を実感出来る。一方で薬物を血管注射した場合、その効果を実感出来るのは30分後のこと。つまり、「火をつけて煙を吸う」喫煙という方法が、最も簡単かつ即席的な(要するに非常に効率的な)薬物の摂取方法であり、故に喫煙者のそれへの心理的な依存度は極めて高くなる、ということになる訳です。
 「効果がすぐに現れること」に加えて、「簡単に吸えること」も煙草への依存性を高めています。確かにこの社会では煙草を吸うのはとても容易ですね。24時間オープンのコンビニに行けば煙草もライターを売っていて、店外に設置された灰皿付近で、何時でも喫煙を楽しむことができる。社会的には「受動禁煙」のリスクの排除に気を遣っていさえいれば、さほど非難されることはない。恥を忍んでタバコを胸ポケットに入れた歩行者に頼み込めば、1本位は吸わせてくれるだろう。加えて、上記(1)(イ)項に書いた通り、「喫煙者の人生の至福の時は煙草と共にあった」というのはよくあること。そりゃあ、愉快な宴席にて隣人が吸っていれば、吸いたくなりますね。つまり、「効果がすぐに現れること」と「簡単に吸えること」が喫煙への依存性を高め、断煙した人々はその依存性から一生自由になれず、再び煙草の常習者になってしまうリスクを常に抱えている、というカラクリです。

(4)私の断煙が継続している理由
 以上、喫煙は本質的に「止めるに易く、(断煙を)続けるのに難き」ものである理由を、「リセット禁煙」の記述を参考にして、まとめてみました。無論これを理解すれば断煙が実現するものではないでしょう。でも私自身は、この程度の知識をもって、ほぼ断煙に成功したのではないか、もう喫煙者に戻ることはないのではないか、との確信を得るに到っています。以下に私自身の喫煙を巡る心理的葛藤を思いつくまま記し、相当に難渋したこの執筆作業を止めましょう。この記述が、人々の断煙の動機になったりすれば、或いは単に読み物として面白かったと感じて下さる人々が少しでもいてくれれば幸甚です。

(ア)釧路の弁天浜への散歩で感じたこと
 釧路での断煙開始後に恒例の弁天浜への散歩を楽しんでいましたが、その最中「浜に着いたら、煙草を吸おう」と無意識の内に予定を入れている自分自身を発見しました。そして「既に断煙しているので吸えない事実」を悟った際、「僕は一体どうしたらいいのだろう???」という絶望的な気持ちに襲われました。海辺で煙草を吸えない程度のことで、かくも絶望的な気持ちの襲われるのは、やはり「異常」と断ぜざるを得ません。これが「強烈な喫煙への依存性」の正体です。結局、その際は「煙草を吸う代わりに、唄を歌おう」と思い直して、浪々と歌い、海岸を後にしました。
 「今はもう秋 誰もいない海」、「私は忘れない 海と約束したから 勧められても 煙かけられても 吸いはしないと」と。
 因みに今回骨折事故を起こした場所はそこから300米程離れたコンクリートの急斜面、時期はその1週間ほど後のことでした。そんなことから、「柄にもなく煙草を止めたりするから、骨を折るんだよ!」と同僚から笑われた次第です。

(イ)了いの一本
 今秋の釧路は、この断煙もさることながら、骨折による都合3週間の入院が我が最大の事件でした。仕事の関係では会社の同僚や同業者の皆さんに大変な迷惑をかけてしまいました。一方で多くに皆さんのお見舞いをいただき、恐縮しています。また、ここ十余年に渡り、釧路では毎秋素晴らしい散歩を楽しませて貰った。現在(骨折の問題はともかく)心身共にそこそこ健康でいられることは秋の釧路の風土の御蔭とも考えています。そんな釧路の地での散歩中の骨折事故、これは釧路とのご縁に属すものとも言え、止むを得なし、といたく納得している次第です。
 10月27日に退院し、しばし泊まっていたホテルの喫茶店で同僚達と談笑しました。ここでは喫煙可です。そこで私は「了いの一本」を、我が社の若手のホープI君から有難く頂戴し、火をつけました。まあ、いろいろあった今秋の釧路、我が人生の「了いの一本」をここで吸うのも悪くはなかろう、と考えた次第です。「了いの一本」は、8mgとそれなりに強い煙草でした。丁度1ケ月の断煙にも拘わらず、クラクラっとくることはなかった。「やはり、結構いいものだなあ。」とは感じましたが、「とても美味しいもの」とは感じませんでした。でもなかなかいい時間だったなあ。
 かくして「了いの一本」を吸ってしまったので、私はもう吸わないことにします。大体、あの「吸いやすさ」「買いやすさ」がいけないですね。もし宴席で吸ってしまえば、血中ニコチン濃度の低下を食い止め為に「チェーンスモーキング」をしてしまうかも。そうなってしまったら、折角快適になった呼吸がまた苦しくなるのは自明です。そんな思いはしたくない。また、煙草の税金が上がった時、多くの人々が「値上げにどう対応するか」を結構深刻に考えていた様な気がするが、時が経てば人々はその値段に慣れてしまって、普通に買っている。これも煙草の「高い依存性」に拠るものだと思う。

(ウ)TVの喫煙シーン
 煙草を吸っている頃は気付かなかったことだけど、TVドラマでも「喫煙のシーン」は結構頻繁に放映されていますね。釧路の病院で入院した際にそれを思い知りました。入院生活はやはり退屈なもの、「気分転換の一服」をしたいという願望はありました。
 TVで喫煙シーンを見た際は「おやおや、いいもの吸っているじゃん。」なんて呟いていました。入院の時点で既に断煙後10日が経過していた為か、精神的に結構余裕がありました。実はこの「余裕」が大切なのだと思います。
上記(ア)項の書いた通り、喫煙願望は時に結構深刻なものになります。故にそれを避ける姿勢としては、「一歩後に下がって冷静に考え」、「にこにこ笑いながら」、「おやおや、うまそうな煙草吸っているねえ。いいなあ。俺も吸いたいのだけど、体がしんどくてやめたんだ。」といった感じで余裕をもった対応をすること。これがポイントですね!

(エ)たたずむ場面に煙草は似合う!
 断煙をして残念に想うことがひとつあります。それは「ひとり佇む(たたずむ)場面に、煙草は極めて似つかわしい」ということです。例えばひとり旅をして、夕刻城下町を見渡せる高台の城跡に一人佇み(たたずみ)、落日を眺めながら、過ぎし世のこと偲び、我が人生を振り返る。そんな「ひとり佇む(たたずむ)場面」に煙草は無くてはならないもの、との強いイメージを僕は持っています。でもこうなったら、仕方ない。これからは熱いコーヒーでも持参し、それを煙草の代わりとしましょう。尤もこの足の状態では当面は旅には出られないが、、、。
 それと上記(1)項で、「人生の中でも最高位に属する時間は、私の場合は必ず喫煙と共にありました。」と書いたものの、「その時間は煙草が無くても最高だったのではないか。」という気がしてきました。そりゃあそうですねえ、煙草は添え物だから。それとかかる人生最高位に属する時間に吸った煙草の本数を仮に200本とすれば、それは20本/日とすればたった10日分の本数に過ぎない。今まで、勤勉に35年間毎日欠かすことなく煙草を吸い続けてきたが、最高位のそれがたった10日分というのは、いかにも残念だし、馬鹿々々しい気がしますね。

(オ)もし吸うとしたら?
 「もし吸うとしたら?」と自分に問えば、とにかく健康被害は厭なので、常習者に戻ることは絶対にないと答える。「依存性の高さ」故に、数少ない本数の喫煙が常習者に戻る「快適な近道」が存在する。だから「ちょっと一服」というのがまずいのだ。
 それでもまた、「もし吸うとしたら?」と問われれば、そうですねえ、とりあえずシガレット(紙巻き煙草)は先月の27日に釧路にて「了いの一本」を吸ってしまったので絶対に駄目!止めておく!加えて、紙巻き煙草は簡単に買えるから、最も危ないものだし。
 そう言えば、5月にベルギーのブルージュにて煙草と酒のお店に連れて行って貰った。その店ではガラスの囲われたスペースがあり、そこで葉巻とウイスキーをオーダーして楽しむことが出来る。そうだねえ、次回ベルギーのブルージュに行く機会があれば、ウイスキーを飲みながら葉巻を一本吸うことは検討してみたいなあ。
 葉巻と言えば、10年ほど前のことだったが、友人と北大山岳部が管理するヘルベチアヒュッテ(山小屋)に泊まったことがあった。普段煙草を吸わない友人は、その夜一本の葉巻を愉しんでいたっけ。そんなのも悪くはないかなあ。
とまあ、そういう訳で、「もし次回煙草を吸うとしたら」なんていることを、明るい気分でつらつらと考えるのは、とても愉しいことですねえ!まあ、馬鹿々々しいと言ってしまえば、それまでだけど。それじゃあ、また。

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