外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

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如月朔日

 今日は如月朔日。今朝は昨年来定置の不漁が続いていることもあり、神社にお参りしてきた。何から何まで「神頼み」ではまずいのですが、僕は静寂の支配する神社の佇まいが大好きで、散歩がてら気楽に参拝している。日の出前の神社には独特の風情がある。仁我浦と和田の神社(両方共熊野神社)の境内からは海が望まれ、朝ぼらけの中海の方から段々と明るくなってくる様は、何とも清々しいものである。

 如月=二月と言えば、昔から最も寒い時期。また明後日2月3日が節分で、翌4日は立春ということになる。おやおや、うっかりしていると何もしないまま、春が来てしまう。思わず慌ててしまうが、そうそう昨日書いた通り、修行僧の如く、眼前に現れる事象をひとつひとつじっくりと見つめ、対応していけばいいのだ。そう自分に言い聞かせる。

 それにしても、やはり、極寒の頃に「春が立つ」というのは理解に苦しむ。この違和感は新暦と旧暦のギャップに由来するのであろうかと考え、本件をネットで確認してみたところ、意外や意外、「立春とは冬至と春分の中間点」とのことらしい。これは数理的に明快な理屈である。古の人々は極寒の中でも春が数理的な正確さをもって近づいていることを立春の日に感じていたのであろうか。

 それともうひとつ、「如月」と言えば、僕は決まって以下の西行法師の和歌を想い出す。

願わくは 花のもとにて 春死なん 
その如月の 望月の頃

 如月(二月)と春の(桜の)花は時期が異なる筈。桜の花は二月には咲かない筈である。そこで僕はこの和歌を以下の様に解釈。
「極寒の雲一つない夜空に満月がかかる。硬い蕾をつけた桜の大木を寒月が煌々と照らす。その桜の大木の下で死に、そこに埋めて欲しい。春になれば、この大木は万朶の花をつけるであろう。」
西行法師の「心無き」「冷えた」「落莫とした」精神を凛とした美しいものと感じていた。ところが、これについてもネットで確認したところ、「如月の望月の頃」とは旧暦(太陰暦)では確定出来る日であって、新暦では3月末に当たる由である。つまり西行は新暦の3月末の、まさに万朶の桜花の咲く満月の晩にここで身罷ることを希望し、実際にその時期に没した由である。ということでこれも大きな勘違いであった。でもねえ、麗しき春の朝に身罷るよりも、寒月かかる冬の夜に身罷る方が余程美しいものと思えるが、どんなものでしょうかねえ?

 房州は冬の陽光輝く温暖の地。先月から梅の花が咲き始めた。我が散歩ルートには数本の梅の木があり、毎朝それぞれの花の様子を眺めている。地味ではあるが、美しい。因みに花園地区の寒桜は今年は開花が早く、もう散る頃と聞いた。冬の名残に、見に行きたいものだ。以下井上靖の詩「愛する人へ」より、梅の花を表した部分を抜粋。

さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香ぐわしく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。

 以上、睦月末日と如月朔日に何かを書こうと決め、自分なりに書いてみました。相当に無理をした気がするけど、そうですねえ、それなりに無理をしなければ、前に進めませんねえ。そうそう、少しは無理をしながら、ぼちぼちと前に進みましょう。それでは。

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