明日8月19日の解体はありません。
本日船は鋭意操業しましたが、捕獲はありませんでした。従い明日8月19日の解体はありません。
〝この夏や汗も血もたゞに弁(べん)へず〟
この俳句は井上靖さんの年下の友人、高安敬義さんが戦地への出征前に、京都帝大哲学科の恩師に短冊で書き残していったものです。小説「あすなろう物語」にもこの句がそのまま使われています。運命を受け入れる強烈な覚悟のようなものを感じますね。高安さんはその後戦死。後に井上靖さんが以下の詩を書いています。
―亡き高安敬義君に―
むかし、白い砂の上に十四個の石を運び、
きびしい布石を考えた人間があった。
老人か若い庭師か、その人の生活も
人となりも知らない。
だが、草を、樹を、苔を否定し、
冷たい石のおもてばかり見つめて立った、
ああその落莫たる精神。
ここ龍安寺の庭を美しいとは、
そも誰がいい始めたのであろう。
ひとはいつもここに来て、
ただ自己の苦悩の余りにも小さきを思わされ、
慰められ、暖められ、
そして美しいと錯覚して帰るだけだ。
そうですねえ、運命なんて立派なものではないが、とりあえずは現況を受け入れましょう。一般に「明日には明日の風が吹く」らしいが、本当は吹かない方がいいですねえ。それでは。
〝この夏や汗も血もたゞに弁(べん)へず〟
この俳句は井上靖さんの年下の友人、高安敬義さんが戦地への出征前に、京都帝大哲学科の恩師に短冊で書き残していったものです。小説「あすなろう物語」にもこの句がそのまま使われています。運命を受け入れる強烈な覚悟のようなものを感じますね。高安さんはその後戦死。後に井上靖さんが以下の詩を書いています。
―亡き高安敬義君に―
むかし、白い砂の上に十四個の石を運び、
きびしい布石を考えた人間があった。
老人か若い庭師か、その人の生活も
人となりも知らない。
だが、草を、樹を、苔を否定し、
冷たい石のおもてばかり見つめて立った、
ああその落莫たる精神。
ここ龍安寺の庭を美しいとは、
そも誰がいい始めたのであろう。
ひとはいつもここに来て、
ただ自己の苦悩の余りにも小さきを思わされ、
慰められ、暖められ、
そして美しいと錯覚して帰るだけだ。
そうですねえ、運命なんて立派なものではないが、とりあえずは現況を受け入れましょう。一般に「明日には明日の風が吹く」らしいが、本当は吹かない方がいいですねえ。それでは。