外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

粗大ゴミの正しい投機方法

 一昨日よりゴールデンウイーク、今日で4月も終わりです。僕の方は引き続き宮城県の鮎川にて捕獲調査事業に従事しています。昨年は5月末のIWC科学委員会が終了するまで、鮎川の捕獲調査事業が実施出来なかったので、2年ぶりの鮎川長期滞在。当初は石巻駅近くのホテルから通勤していたが、4月中旬より金華山近くの定宿に移動。雨が降らない限り1時間10分間の徒歩通勤を愉しんでいます。この時期は未だ春浅き広葉樹林が徐々に淡い緑色に変わり、やがて様々な種類の桜が時期をずらして開花し、やがて葉桜となり、散っていく。早朝峠の展望台に佇めば、金華山・網地島・(最近猫で有名になった)田代島といった近隣の島々がコバルトブルーの海の上に凛として浮かんでいる。ここ10年以上春にはこの道をおそらくは数百回歩いているが、僕の生活の中では「無くてはならない」時期になっている。昨年はこの時期が無かったから不調だったのだ!そう感じています。

 この道は峠を越える山の斜面を切り拓いたつづら折りの道。時折、道の下の斜面に冷蔵庫や洗濯機といった粗大ごみが落ちているのを見かけます。この急斜面、ああいった投機物は人手で持ち上げる以外に回収する方法はあるまい。洗濯機はともかく、冷蔵庫は結構重いので、その回収には相当に難渋するのではないかと思う。それがわかっているなら、わざわざ道路から斜面に落とすこともないじゃあないか。道沿いの少し広いのところに、冷蔵庫や洗濯機なんかを丁寧に並べておいてもらえば、後の回収も楽なので仕事は早い。かくも無様な風景を歩く度に見ていると、ついついこんな馬鹿げたことを考えてしまう。

 そう言えば、遠い昔僕が高校生の頃、我が社は沿岸大型捕鯨会社であったNT捕鯨さんに和田浦の鯨体処理場を賃借し、NTさんは遥か小笠原沖で捕獲したマッコウクジラやニタリクジラを解体していた。僕が生まれて初めて「鯨の尾肉」なるものを食べたのはこの頃である。当時NT捕鯨はマッコウクジラの頭部を(多分大型トラック1台に2つ積んで)和田から遥か岩手県の山田町まで運んでいた。その運送を担当した会社が今でも何かと我が社の面倒を見てくれるY運輸さんなのだが、ある時Y社のトラックがマッコウの頭を1つ、北上山地の谷底に落としてしまったらしい。運転手さんは速やかに警察に連絡したらしいが、谷底に落下したあの数トンはあろうマッコウの頭を回収する術はなし。結局そのまま放置することとなり、あれから30余年、あのマッコウの頭は当初は貴重な油脂として、今頃はカルシウムとして、その谷間の植物の肥料として大いに貢献しているに違いない。まあ、これも警察黙認の「不法投棄」に他ならぬが、少しは北上山地の植物の役に立ってはいるし、今となっては何だか牧歌的な香りさえする。

 そういえば、このマッコウクジラの脳油(頭の袋の中の融点の高い油)、古くは米国東岸にて高級蝋燭の原料に使用され、その製品は欧州に高値で輸出されたと聞くが、戦後には人類初の月面着陸に成功したアポロ11号の潤滑油として必要不可欠な物質だったそうだ。そして、当時米国のS社はこのマッコウの脳油の代替となる油脂の合成に成功したものの、多額の製造コストがかかった由。そこでS社はグリーンピースに多額な献金をした、との逸話が残っている。その努力の甲斐があったのか、1972年に開催された国際人間環境会議で商業捕鯨の10年間禁止が決議され、やがて捕鯨という産業は壊滅への道を辿ることになる。

 粗大ごみの話から、マッコウの脳油絡みのアポロ11号の月面着陸と、商業捕鯨モラトリアムと、何とも脈絡のないことを書いてしまいました。が、歩くときに考えることは概ねこんなものです。

 捕獲調査の方ももうすぐ当地鮎川での仕事を終え、我々は北に向かいます。未だ葉桜の残る愛おしき鮎川の徒歩通勤、金華山の風景ともお別れですね。「さらば、金華山よ、またこの場所で会おう、桜舞い散る道の、桜舞い散る道の上で」。以上森山直太朗の「桜」を捩ったお別れの言葉でした。それでは。また書きましょう。

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