外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

春の嵐

  確か先週春一番の報に接し、今週も春の嵐で始まり、明日も大荒れで気温も上昇しそうです。まだ西高東低の冬型がばっちり決まって冷え込む朝もあるが、移動性の低気圧が春の嵐をもたらし、季節は確実に春に向かっている。そんな印象ですね。

 それにしても今年はやたらに寒桜が目立ちます。やはり日本人は桜が好きで、冬場にもそれを見たがる。だから当地でもここ数年で多くの寒桜が植えられたものと思う。

 でも僕に言わせれば、この時期は梅花の楚々とした姿を心静かに愛でる時期かと。散歩の途中でしばし梅の木の下で佇み、その仄かな香りを愉しんでいます。かつて北国の大学を卒業して東京の会社に就職した頃、冬場は一緒に山に付き合ってくれる相棒もなく、ひとりぼっちで中央線沿線の山々や乾徳山、茅ケ岳といった山々を登っていました。あの頃甲州の梅林の風景は美しかった。春の甲府盆地の桃や李(そもも)の風景は格別なものですが、少々地味ではあるものの、僕は寒い時期の甲州の梅林が好きだった。そんなことを思い出します。

 私の生活は相変わらず。朝晩に加え、時には昼にも歩いている。週末は結構纏まった時間歩く。全く歩けない1ケ月、装具で患部を庇いながら慎重に杖で歩いた1ケ月、杖で結構軽快に歩いた1ケ月の都合3ケ月の後、この睦月と如月は兎にも角にも、我が和田浦を歩き回っています。不思議なもので、我が和田浦を歩いてさえいれば十二分に満足し平穏な気分である。逆に専ら我が街を歩き回ることで、精神の健康を何とか維持出来ている感覚もありますね。遠出をして見たい、という希望は起こらず。むしろ家を離れるのが不安な感覚もあります。昔は頻繁に山を登ったり、それが適わなければ、とりあえず旅に出て、知らない街を歩き回ったものですが、、、、。

 そんなことを考えている内に、久しぶりにどこか遠くへ行ったら案外愉しいのでは、と思う様になりました。この冬の名残に、甲信国境の低山を登って、真白き八ヶ岳と南アルプス連峰を眺めて来ようか?そうだ、京都や琵琶湖もいいなあ。今冬の湖北は相当に雪が多い筈だ。未だ手が着いていない仕事が多くて気が晴れないが、修行僧の如くひとつひとつ祈る様に片付けいければ、いずれ我がこころにも平穏な気分が訪れるのではあるまいか。そんな気になってきました。

 そうですねえ、いつか、ぶらりと、電車とバスに揺られ、福寿草が春の兆しを告げる、雪深き村を訪れ、長靴を履いて、雪の道を歩き回りたい。漠然とそう思います。それでは。

立春

 立春の朝は、如月朔日と同様、定置網漁の回復を祈念しての神社巡り。今回は旧和田地区の花園から真浦までの5つ神社に、和田の竜宮様と小浦の弁天様と稲荷様を加えた、なかなか豪勢(?)なものとなった。「神様に祈る以外に能が無いのか?」と言われてしまいそうだが、僕は歩くことが好きで、早朝の神社の佇まいは何とも美しいもの。朝の散歩でそこに赴けば、掌を合わせて何事かをお願いしている次第である。立春の朝にはどの神社も例外なく、昨日(節分の日に)撒いた大豆が残っていた。誰かがこうした昔からの習慣を守ってくれている。ゆかしきことである。

 その後大学の同窓会に出席すべく、千葉へ。この同窓会に誘ってくれた県庁のAさんが一昨年急逝。そんなこともあって、出席しない訳にはいかないのだ。鈍行電車を使っての千葉行きは乗り継ぎがうまくいっても2時間半はかかる。かつてはそれを嫌ったものだが、最近では鈍行列車の旅を愉しむ感覚が強い。いつか「駅から散歩」を楽しむべく、勝浦あたりまで車窓の風景をじっくり眺め続ける。今回行川アイランド駅手前付近で、遙か下方の急坂の下に小さな漁港を発見。おせんころがし付近と思われが、いつか散歩してみたいと思う。

 同窓会を終え、鈍行列車で帰宅。とまあ、そんな一日となりました。それでは、お終いに、井上靖さんの詩「立春」を以下に紹介し、「快癒宣言」以来の頻繁な作文を終了したいと思います。気が向いたらまた書きましょう。それでは。

立春 井上靖
雪が降った日から七日経っている。
庭の陽かげに いつまでも残っていた雪も、
最後はしゃぼんの泡のようなものになって、
今日の午後消えてしまった。
そしてそのあとの湿った黒い土の上に、
静かな冬の陽が落ちている。

雪の降った日にふいに私のところにやってきた
ある烈しい思いも、少しずつ形を変えて
今日まで心の片隅に残っていたが、
最後はやはりしゃぼんの泡のようなものになって、
静かな冬の陽がどこかに持って行ってしまった。

雪が消えるように思いも消え、
思いが消えるように雪も消えた。
天地の間には百数十時間という刻(とき)が過ぎ、
それを七つに割った安佚(あんいつ)な明暮が、
私の内部においては繰返されたのだ。
暦は立春を伝えている。

節分

  今日は節分。節分の翌日が立春となることは、一応は知ってはいたが、一体そういうことなのか疑問に思っていた。という訳で今回ようやくネットで調べてみた次第です。

 そもそも節分とは季節を分ける、季節の最終日を意味するが、江戸期以降は特に立春の前日を節分と呼ぶ様になった由。季節の変わり目には邪気が発生する由にて、節分に「鬼は外 福は内」と叫びながら豆をまく習慣が形成された由。思えば昨秋から冬は怪我のこともあって、なかなか大変だった。今晩はコンビニで豆を買ってきて、しっかりと豆をまいて、邪気を祓いましょう!

 邪気と言えば、ここ数日はトランプ大統領の移民政策のことで大騒ぎですね。将に「鬼が現れた!」という感覚でしょう。7ケ国の国民が当面は問答無用で米国に入国出来ない由にて、世界中のプレスを中心に非難轟々(ごうごう)です。ところが、米国内の世論は大統領令への賛成47%・反対41%で、むしろ「鬼の出現を喜んでいる」人々の方が多いということになりますね。これを「社会の分断」と理解し、その責をトランプ大統領に押しつける言い分もありますが、彼の当選も含めて、何故こうなったのか、よく考えてみる必要がありそうですね。我等日本の姿勢も含めて。
 
 日本の航空会社が、当該7ケ国の国民の米国行飛行機への搭乗を断っていることが、悪いことをしているが如く報道されていることを奇異に感じています。米国に入国出来ないことがわかっていて、彼等を飛行機に乗せるのはどう考えても合理的とは言えない。故にこの航空会社の姿勢はむしろ良心的と言えるのではないか、と思う。航空会社の方も、何だか申し訳ない様な言い方をしています。思えば最近は中国・韓国・ロシアといった隣国、さらに同盟国である米国においても、穏やかならざる多くに事象が生起している様に思われます。プレスも含めて、大いに混乱してしまっているかしら?いずれにせよ、今何が起こっているのか、それをよく考えてみる必要がありそうですね。

 節分の日も一筆書こう、でも節分の話だけでは保たない、という訳で久しぶりに時事問題なんかを書いてみました。嗚呼しんど。それでは。

如月朔日

 今日は如月朔日。今朝は昨年来定置の不漁が続いていることもあり、神社にお参りしてきた。何から何まで「神頼み」ではまずいのですが、僕は静寂の支配する神社の佇まいが大好きで、散歩がてら気楽に参拝している。日の出前の神社には独特の風情がある。仁我浦と和田の神社(両方共熊野神社)の境内からは海が望まれ、朝ぼらけの中海の方から段々と明るくなってくる様は、何とも清々しいものである。

 如月=二月と言えば、昔から最も寒い時期。また明後日2月3日が節分で、翌4日は立春ということになる。おやおや、うっかりしていると何もしないまま、春が来てしまう。思わず慌ててしまうが、そうそう昨日書いた通り、修行僧の如く、眼前に現れる事象をひとつひとつじっくりと見つめ、対応していけばいいのだ。そう自分に言い聞かせる。

 それにしても、やはり、極寒の頃に「春が立つ」というのは理解に苦しむ。この違和感は新暦と旧暦のギャップに由来するのであろうかと考え、本件をネットで確認してみたところ、意外や意外、「立春とは冬至と春分の中間点」とのことらしい。これは数理的に明快な理屈である。古の人々は極寒の中でも春が数理的な正確さをもって近づいていることを立春の日に感じていたのであろうか。

 それともうひとつ、「如月」と言えば、僕は決まって以下の西行法師の和歌を想い出す。

願わくは 花のもとにて 春死なん 
その如月の 望月の頃

 如月(二月)と春の(桜の)花は時期が異なる筈。桜の花は二月には咲かない筈である。そこで僕はこの和歌を以下の様に解釈。
「極寒の雲一つない夜空に満月がかかる。硬い蕾をつけた桜の大木を寒月が煌々と照らす。その桜の大木の下で死に、そこに埋めて欲しい。春になれば、この大木は万朶の花をつけるであろう。」
西行法師の「心無き」「冷えた」「落莫とした」精神を凛とした美しいものと感じていた。ところが、これについてもネットで確認したところ、「如月の望月の頃」とは旧暦(太陰暦)では確定出来る日であって、新暦では3月末に当たる由である。つまり西行は新暦の3月末の、まさに万朶の桜花の咲く満月の晩にここで身罷ることを希望し、実際にその時期に没した由である。ということでこれも大きな勘違いであった。でもねえ、麗しき春の朝に身罷るよりも、寒月かかる冬の夜に身罷る方が余程美しいものと思えるが、どんなものでしょうかねえ?

 房州は冬の陽光輝く温暖の地。先月から梅の花が咲き始めた。我が散歩ルートには数本の梅の木があり、毎朝それぞれの花の様子を眺めている。地味ではあるが、美しい。因みに花園地区の寒桜は今年は開花が早く、もう散る頃と聞いた。冬の名残に、見に行きたいものだ。以下井上靖の詩「愛する人へ」より、梅の花を表した部分を抜粋。

さくらの花のように、
万朶を飾らなくてもいい。
梅のように、
あの白い五枚の花弁のように、
香ぐわしく、きびしく、
まなこ見張り、
寒夜、なおひらくがいい。

 以上、睦月末日と如月朔日に何かを書こうと決め、自分なりに書いてみました。相当に無理をした気がするけど、そうですねえ、それなりに無理をしなければ、前に進めませんねえ。そうそう、少しは無理をしながら、ぼちぼちと前に進みましょう。それでは。

睦月末日

 早いもので今日は睦月末日。今朝は北風唸る冬らしい朝であったが、年始に比べれば少し日の出が早くなってきた様に思う。骨折事故を起こしたのが昨秋10月初旬であったから、もうすぐ4ケ月、何と一年の三分の一が経過する計算になる。たかが骨折、されど骨折。それは自分にとっては「普通の生活」とは言い難いものであったし、その期間が一年の三分の一にも及んだことに驚いている。

 先日患部のレントゲン及びCT撮影を実施。主治医の見立てでは「骨折部の骨は比較的順調に癒合しつつあるので、再手術不要の公算大」との由。再手術ということになると、治癒しにくい足首付近の皮膚に再びメスを入れることとなり、その回復に長い時間を要することとなる。そのリスクが概ね無くなったことに喜んでいる。一方で患部に多量の金属が埋め込まれたままになっているという、感覚的及び理屈上の違和感は残るものの、現況では普通に歩くことに概ね違和感はないし、今後も快方に向かう見込みである。一年の三分の一にも及んだ「普通にあらざる生活」が故か、思いの他「こころのリハビリ」に難渋する現況。とりあえずは、修行僧が日々の務めをこなしていくが如く、目の前に現れる事象に対してひとつひとつ対応していこうと思う。それを淡々と続けていれば、いずれ「元気」が出てくるのではないか。そんなことを考えている。

 この一年の三分の一の期間、思えば僕はよく歩いたものだ。10月末の帰郷以来ほぼ毎日、それなりの距離を歩いてきた。重厚な装具で右足を保護しながらの歩行はなかなか厄介なものではあったが、その頃は歩けるようになったことに喜びを感じた。12月にその装具が外れた後は、杖2本での歩行は相当に軽快となり、行動範囲も大幅に広まった。年末にはようやく杖が外れ、年始は毎日二足直立歩行で和田浦の田園から海への道の散歩を楽しんだ。気分が鬱いでいても、歩いてさえいれば元気でいられる。そんな感覚で過ごしてきた様に思う。

 最近では、週末に「駅から散歩」を励行している。この日曜には富浦のバス停に放置した自動車を回収する必要があった。岩井駅まで電車で行って富浦のバス停まで歩くつもりであったが、館山駅での20分の乗り継ぎが面倒なので、結局館山駅から歩くことにした。富浦に向かって、館山市の那古や船形といった海沿いの集落を歩く。この辺には友人がおり、高校時代に泊めて貰ったこともあるが、こうしてゆったりと散歩するのは初めてのことである。船形の「漁村らしい風景」に感動する。思えば遠い昔、札幌五輪の年だから1972年に、親父がここの「茂八寿司」に連れてきてくれたことを想い出す。多分親父はあの頃その辺の造船所に用事があったのだろう。崖観音なんかを眺めながら、陽光溢れる富浦への海沿いの道の散歩を大いに楽しんだ。

 「房州人」或いは「和田の人間」を自称する僕でも、地域内の多数の集落の内、その雰囲気を知っているのは、ほんの僅かの数の集落に過ぎない。先週末は和田浦の隣駅の南三原で下車して、中三原・真浦経由帰宅した。かつての同じ和田町内なのに、大いに「知らない街を歩いている感覚」を味わった。僕はいかに旧和田町のことを、房州のことを知らないか!そんなことに驚かされる。これからも「駅から散歩」房州内部での「小さい旅」を続けていきたいと思う。

 という訳で、昨日「快癒宣言」の文章を紹介しましたが、本日睦月末日に再度快癒を宣言し、こころして自らが元気で生活していける様に鼓舞したいと思います。明日より如月。そうですね、愉しく生きていきたいですね。それでは。

«  | HOME |  »

FC2Ad

プロフィール

gaibou

Author:gaibou
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する