FC2ブログ

外房捕鯨株式会社

千葉県和田浦の捕鯨会社からのプレスリリースです。

明日10月14日の解体はありません。

 本日10月13日、沖は風強くして波高く、船は操業していません。従い明日14日の解体はありません。明日も同じような海況が続き、15日あたりから波風が治まる予報ですが、天気図を見た感覚では15・16日のそれも決していいものには思えず。秋の気象は複雑怪奇であります。

 今朝、(恐らくは)7-8年ぶりに調査員でいらしたTさんとの再会を果たしました。Tさんは、長崎は五島列島出身。鯨体の解剖・調査標本採取のプロフェッショナルでして、また一緒に働けることをとても嬉しく思います。

 それにしても、時間が過ぎるのは早いもの。こういった嬉しい再会の時に、そう実感します。また、お互い元気で生きていれて良かった!そう喜ぶ感覚も強いですね。という訳で、なかなか船が出れませんが、秋のうつろな曇天の空の下、またツチクジラ漁が再開された。そんな実感がわいてきました。それでは。

明日10月13日の解体はありません。

 本日10月12日より秋のツチクジラ漁が開始されましたが、生憎沖は北東の風強く、船は操業していません。従い、明日13日の解体はありません。また「天気図と睨めっこ」の生活が始まった訳ですが、どうも秋の房州から銚子・常磐にかけての気象は、自分の感覚と天気図の間のズレが大きい様に感じます。故に波予想・風予想のデータに依存することになります。尤も秋の操業は僕自身今回で確か3回目の経験。夏の感覚とずれるのは致し方ないところですね。

 ここ数年自身の仕事の責任範囲は広がり、捕獲調査から解放された時期は久しぶりに和田浦に帰郷する時期ということになるので、何かと忙しいです。危急の場合を除いて、夜遅くまで働く習慣を持ち合わせていないので、残った仕事は週末に持ち越して、辻褄を合わせることになる。かつての様に旅に出たい、山を登りたい、とは思うものの、それには相当なエネルギーを要する訳でして、どうしても「省エネ仕様」の生活となってしまいますね。齢の所為かしら?尤も漁が始まれば、基本的には当地を離れませんから、せいぜい房州の田園から海辺の道の散歩を励行することとにしたいと思います。

 もうすぐ8月の網走・9-10月の釧路と一緒に過ごした鮎川事業所の従業員が当地に到着します。彼らは4月末に鮎川発八戸に向かって以来、短いインターバルでの2-3日の帰郷を除いて、ずっと故郷を離れて生活している。この期間は年間で6ケ月に及ぶ次第でして、「本当にご苦労様」という気持ちで一杯です。「この仕事ではそれは当たり前」という感覚では、生身の人間によって運営される事業そのものが成り立たなくなるのは明らかですね。簡単には行きませんが、時間をかけて改善策を考えていく必要がありそうです。

 以上、思いつくまま書かせていただきました。自身の心象の吐露はストレス解消には有効なようです。また日々の解体情報と一緒に無駄話を書きましょう。それでは。

明日10月12日より和田浦のツチクジラ漁が再開されます。

  釧路での捕獲調査業務を10月5日に終了させ、明日10月12日より和田浦のツチクジラ漁を再開することになりました。季節外れの操業となりますが、従来通り解体時間等の情報を提供したいと思います。明日12日に捕獲があれば、明後日13日の解体となります。なお、漁期は概ね10月一杯と想定。気象の推移次第で、少し早く終漁するか、或いは少し延ばす可能性はありますが、概ね10月末までの操業とご理解下さい。

 釧路でも少しよもやま話でも書くつもりだったのですが、時間がなかったり、気が乗らなかったりで、すっかりご無沙汰してしまいました。現況では時節柄と言うか、結構せわしない生活を送っておりますが、漁が始まればとりあえずは何かを書くことになります。時には何か書くことを愉しむ感覚を味わえるかもしれません。

 最近当地は想いの外気温も湿度も高く、朝は10℃割れの釧路の気候に慣れてしまった故か、結構暑く感じます。上半身は下着一枚で日本手ぬぐいを首に巻く恰好で働いている次第です。無作法?そうかもしれないが、漁業会社故まあいいのではないかと。世間でも一般に仕事中の服装にはこだわりが無くなってきている様に思います。神無月は未だ残暑の候、ここ数年はそんな感覚が強いですね。

 時折和田の田園を散歩しますが、広葉樹は色づいているというよりも、台風由来の塩害で枯れてしまっている感覚ですね。銀杏の木も相当に落葉しており、今秋は美しい銀杏の木の風情が楽しめないかもしれません。

 とまあ、そんな訳で秋の漁が始まります。よろしくお願いします。以上

釧路より、地震・停電のこと

 久しぶりに書きます。網走から一旦帰郷しましたが、5日に再び釧路へ。翌早朝に件の地震が起こり、我が宿の方も停電に。9日にようやく釧路の事業が再開されましたが、11日夕刻再び帰郷し、用事を済ませて13日に釧路へ戻り(?)ました。かくも短かい期間に、おまけに地震で厄介なことになったり、深夜まで仕事をしたり、といった状態で、千葉と北海道の間を何度も往復するのはやはり大変でした。まあ、外せない用事があるから、わざわざ北海道から短期帰郷する訳で、まあ疲れるのは致し方ないことです。

 手元には9月6日の北海道新聞の朝刊(つまり件の地震の直前に配達されたもの)があります。その記事によれば、5日朝に北海道を通過した温帯低気圧(元台風21号)の影響で、未だ相当数の世帯が停電していた模様。それらの世帯では6日朝の地震でさらに停電に苦しむことになった筈です。またその朝刊は、3尺玉花火で有名な「釧路大漁どんぱく」の特集を別冊付で、4日間に渡る様々なイベントを紹介されいます。このお祭りも延期になってしまいました。道東地区の揺れは震度4程度でして、大した物理的な被害はなかったのですが、やはり全道一斉に「停電」となったことが、人々の生活に大きな影響を与えることになりました。また当地は秋の観光シーズンを迎えていますが、地震の再発を恐れてか、観光客は極端に少ない様に思います。今回は札幌在住の我が兄貴分から教えて貰った、北海道の電力事情について少し書いてみます。

 今回の停電は、北海道の電力の総供給量の6割を占める苫小牧東部の発電所が地震に直撃された為、全道一斉に停電となりました。何でも「電気の使用量が供給量を超える状態に陥ること」は(詳細は知りませんが)発電・送電設備に深刻なダメージを与えるらしく、今回北海道電力はメインの苫東火力がダウンしてしまったので、全道一斉に停電させる様にしたそうです。プレスは一斉に北電の電力供給体制に問題があるとして、批判的な論説を展開。道内の少なくない地域は地震当日夜には停電が解除され、その翌日には一部を除き大半の地域に電気が供給された模様です。それは北電関係者の不眠不休の努力によって成し遂げられたものと推察しますが、プレスはそういったことを書くことは全くない。東日本大震災の際は福島の原発現場の皆さんの命を張った奮闘について、最近でこそ東電の経営陣の不甲斐なさを浮かび上がらせる構図で、一応は称賛されてはいますが、当時はそんな雰囲気ではなかった。唯一、イタリア政府(或いはその関連団体)が福島原発の現場の人々を「勇気ある人々」として顕彰したことが、あの陰鬱な空気に差し込んだ一筋の光明の様に感じた記憶が残っています。

 今回表面化した北電の「芳しからざる電力供給体制」には、やはり原発問題が関係している。北海道には積丹の泊に原発がありますが、これは現在停止されています。現在我が国では「原発は停まっているのが常識」といった雰囲気ですね。但し、今回表面化した北電の苫東火力への過大な依存体質は、この泊原発の停止に拠るものです。「だったら新しい火力をつくればいい。」ということになりますが、北電は民間の会社。採算の取れない設備投資は出来ない。そんな構図です。

 また、今回の地震の発生のすぐ後のTV番組で、ある専門家は「発見されていない断層のズレに拠って引き起こされた可能性」を指摘していましたが、断層というのはそんなもの。即ち日本国中に多数の未発見の断層が存在するかもしれない、ということになります。一方で我が友が言うには、「国の原子力規制委員会は、地質学者の見解が極端に強く反映される構造」との由。そもそも未発見の断層の存在を無視して、発見済の断層の位置ののみから、「原発立地の適合性」を判断する方法は不合理ではないか?それが我が友の論説です。

 今回の北海道の停電では、多くの人々が自身の生活が電力供給に、大きく依存していることを思い知りまhした。一方で、プレスは北電の供給体制の不備を批判するのみで、原発問題には触れようとしない。そんな姿勢は常日頃プレスが批判している「ポピュリズム」以外の何ものではないと思われます。プレスは「黙過の罪」を犯したくないので取材活動を活発に行い、公的機関に対しては情報公開を要求するのを常としていますが、原発問題についてはブレス自体が「黙過の罪」を犯している。そんな感想がありますね。

 一昨日、2年に一度のブラジルでのIWC会議が閉会。IWCについて、時折プレスの取材に応じた次第ですが、追って僕なりにの感想の様なものを書きましょう。それでは。






長月が初日 和田浦にて

 月末・月初の仕事を片づけるべく、網走での仕事を少し早く切り上げ、房州に帰郷しています。今日より長月(9月)。例年はこの時期に「残暑よさらば、ざまあ見ろ!」と嘯いて北に向かう訳ですが、今年はどうも勝手が違います。それでも、もう数日和田浦で過ごした後、再び北の街へ、今度はオホーツク海ではなく、太平洋岸の街に旅立つことになります。

 網走の最高気温は20℃程度でしたが、30日の帰郷日の東京の最高気温予想は35℃。相当に警戒しましたが、流石にお盆明けの小雨の漂う天候、朝晩は風は案外涼しく、夜は秋の虫の音が響いている。案外涼しい。そんな印象を持ちました。私自身も田舎に引っ込でから20余年の歳月を過ごしてきた訳で、房州の気候に慣れたのかもしれませんね。

 網走では結構忙しい毎日を送り、昼と晩の食事は弁当(=概して揚げ物)ばかりであったが、昨日久しぶりに寿司を食べたら無茶苦茶に美味しかった。網走はオホーツク海の幸に恵まれた街ではありますが、生憎ホテルの付近に適当な食べ物屋さんが少ない(僕が知らない)。天ざるを何度か食べには行ったものの、外食の機会は少なかった。追って太平洋岸の街に行ければ、今秋は秋刀魚が豊漁の由。ここ数年愉しませてもらった(寒ブリと同品質の)ブリを味わえるかどうかはわからないが、宿の近くに馴染みの食堂もあり、せいぜい袖を涼風に吹かれながら、北国の秋の味覚を楽しみたいと思います。

 網走では少ない休日を使って、ようやく道立北方民族博物館を訪れることが出来ました。当地での仕事の関係上頻繁に天気図を眺め、閉鎖海区由来の夏のオホーツク海の穏やかさを実感したものですが、博物館にて北極から北半球を眺めた地図を見て、今まで気づかなかったことが多数理解できた感覚があります。この地球上の海洋の内、「大洋」と言えるのは、太平洋(南北)と大西洋(南北)とインド洋のみ(強いて言えば、南極海もそれにあたるかもしれない)。故に日本の本州太平洋岸には南米のチリ沖の大地震の影響で津波が打ち寄せる、なんて(信じ難い)ことが本当に起こる。一方でオホーツク海と同様に、日本海も明らかに閉鎖海域である。また、かつて日本の大型母船が蟹や鮭鱒や助宗鱈を捕獲・加工していたベーリング海もアリューシャン列島とアラスカとカムチャッカ半島に囲まれた閉鎖海域である。そんなことを強く実感した次第であります。

 また、博物館は北方民族の着衣等の民具を多数展示していますが、有史以来北極圏で暮らしてきた人々の大半は、我々と同じ蒙古斑(=青チン)のあるアジア人であることを再認識しました。グリーンランドの主たる街(集落)の大半が西海岸に点在していることから、かつてシベリアに住んでいたイヌイットの人々がベーリング海峡の氷の上を渡ってアラスカに達し、その一部の人々がカナダ北方の島々を経由してグリーンランドに到達したのではないか、と想像されます。(同じく、ベーリング海峡を渡ってアラスカに到達した人々の)別の一派は南下して北米大陸、カリブ海、さらには南米大陸南端のパタゴニア・最南端のケープホルンに到達していた。一方で、欧州の人々が有史前に北方に移動した痕跡は極めて稀少な様です。北欧三国の北部にサーメ人(或いはラップ人)と呼ばれるトナカイの遊牧を営む人々がいます。彼らはフィンランド語に近い言語を話す人々との由で、恐らくはウラル山脈の西側のタイガで生活をしていた人々ではないかと想像されます。こんな風に、人類の壮大な「グレートジャーニー」を、地球儀を上から(北極点を中心に)眺める形で想像することはとても愉しいことでした。これも業務上日々夏のオホーツクの海況と向き合ってきたからこそ、気付いたご褒美と言えそうです。やはり「旅はいいもの」ですね。

 という訳で早 長月(9月)に入りました。道東の太平洋岸の街より、気が向いたら、また何か書きましょう。それでは。



 





«  | HOME |  »

FC2Ad

プロフィール

gaibou

Author:gaibou
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する